雑煮は心に根ざした食べ物である。土地土地、家々に流儀があって、こればかりは他家や他郷のでは駄目という人が、このご時世にも多い。自慢しあうことはあっても、よそをまねて作る話はあまり聞かない▼俳優で演出家だった芥川比呂志に雑煮の随筆がある。芥川家では具が野菜だけの質素な仕立てが受け継がれてきた。一時鶏肉を入れてみたが、すぐにやめたという。「野菜だけのほうが、正月の朝が、静かに落ち着くのであった」。一椀(ひとわん)への愛着、おいそれとは捨てられない▼年あらたまる淑気のなか、「わが家の雑煮」に一族再会をかみしめる方もおられよう。人が往(い)き来してむつまじくするゆえに正月を睦月(むつき)と呼ぶそうだ。水入らずの団欒(だんらん)を、外の寒さが引き立てる▼かつて津々浦々に、その地ならではの雑煮を生む風土と暮らしがあった。だが戦後の日本は、多彩で懐の深い「地方」を踏み台に、都市中心の繁栄を築いてきた。災厄が呼びさました悔恨の一つだろう▼青森出身の寺山修司が言っていた。「今日では、標準語は政治経済を語ることばになってしまった。人生を語るのには、もう方言しか残っていない」と。思えば過疎地に原発を林立させてきたのも「標準語で語られる政治と経済」ではなかったか▼そして今、「グローバル化」という世界標準語が、妖怪のように地球を席巻する。栄華と便利は幸せと同義ではなかった。それを知って、さあどの方向へ歩むのか? 辰(たつ)年の空から小さき問いが聞こえてくる。