(天声人語)現金のリスク
2017年4月24日05時00分
20世紀の初頭、米国の旅行家が南太平洋のヤップ島を訪れ、奇妙なお金に出会った。真ん中に穴の開いた車輪のような石である。大きさは様々で直径4メートル弱という巨大なものもある。あまりに重いので、外に置いても誰も盗もうとしない▼実際に取引に使われ、お金の持ち主は時折変わる。それでも所有権が移るだけで、現物は以前の持ち主の土地に置かれたままだという(マーティン著『21世紀の貨幣論』)。独自に育んだ通貨制度なのだろう▼石と違って運びやすい現代の紙幣である。それにしてもこれほどの現金を持ち歩く人がいるとは。福岡市の繁華街で銀行からおろしたばかりの3億8400万円がスーツケースごと奪われた▼被害にあった男性は「金塊を買うためだった」と話しているそうだが、銀行送金の通用しない世界なのか。直後に7億円超の現金が福岡空港で運び出されようとしたのも見つかった。強盗との関連は薄そうだというから、現金社会の広がりに驚く▼現金のリスクは盗難に限らない。脱税や犯罪を支えているとして、米国では段階的に紙幣を廃止してはどうかと提案する経済学者もいる。一方でクレジットカードも不正な読み取りなど心配は拭えない。便利さを求め、リスクを抑えるのは容易ではない▼ヤップ島のお金の実物が東京の日比谷公園にある。1920年代に寄贈されたという直径1メートルほどのそれは、わずかに光沢があり、どこか威厳さえ感じる。巨大通貨を使いこなした人々の知恵を思う。