独(どく)秀(しゅう)峰(ほう)
原作: 赵平
注译: 阿部治平 福井耕一 李玲 赵平 呉琴 苏丽萍 袁广泉 小林栄三
朗读: 森畑結美子
目(め)の前(まえ)に黒々(くろぐろ)とした高(たか)い山(やま)がある。天(てん)を支(ささ)える大(だい)黒(こく)柱(ばしら)とでも言(い)うべき[1]か。
夜(ばかり[3]である。夜(
震(ふる)えが来(き)た。
仰(あお)ぎ見(み)て、切(き)り立(た)った断崖(だんがい)は今(いま)にも崩(くず)れんばかり[6]だ。怖(こわ)くなった。桂林(けいりん)は南国(なんごく)にあるが、十二月(じゅうにがつ)ともなれば、軍用(ぐんよう)のオーバーを着(き)ていても寒(さむ)さはしんしんと身(み)に凍(し)みてくる。
ボタンを留(と)めて、山を巡(めぐ)っている道(みち)を上(うえ)まで行(い)ってみることにした。
二日(ふつか)前(まえ)、株洲(しゅしゅう)に出張(しゅっちょう)した。緊急(きんきゅう)に必要(ひつよう)だった鋼管(こうかん)を何(なん)とかしなければならなかった。そのころ、私は貴州(きしゅう)赤水(せきすい)天然(てんねん)ガス化学(かがく)肥料(ひりょう)工場(こうじょう)に勤(つと)めていて、その鋼管というのはアメリカから来たものだったが、どういうわけか間違(まちが)って株洲のとある事業所(じぎょうしょ)に送(おく)られてしまった[7]。そこから電話(でんわ)があって、輸入(ゆにゅう)設備(せつび)管理所(かんりしょ)の所長(しょちょう)は確認(かくにん)のために私を派遣(はけん)した。
「もう十九(じゅうく)だろう。まだ、出張したことはなかったよな。どうせおまえは暇(ひま)なんだから、行(い)って勉強(べんきょう)して来(こ)い。仕事(しごと)は簡単(かんたん)だ」
そこで私は、軍用(ぐんよう)オーバーを着込(きこ)んで喜(よろこ)び勇(いさ)んで出(で)かけた。確(たし)かに仕事は簡単だった。株洲のその事業所の倉庫(そうこ)で、鋼管に記(き)された標識(ひょうしき)と私のノートをつきあわせ、確認(かくにん)できたところでクレーン車(しゃ)を呼(よ)んで鉄道(てつどう)の駅(えき)まで運(はこ)んだ。託送(たくそう)伝票(でんぴょう)に書(か)き込(こ)んで託送所(たくそうしょ)の係(かか)りに渡(わた)すと、あとは切符(きっぷ)を切(き)ってお帰(かえ)りになるばかりとなった[8]。
駅(えき)に着(つ)いてみると、このままあっさり出張から帰るのはもったいないような気(き)がしてきた。切符売(きっぷう)り場(ば)で次(つぎ)の駅名(えきめい)を見たとき、突然(とつぜん)ひらめいたものがあった。ほかの線(せん)に乗(の)ると、意外(いがい)や意外、桂林に行けるじゃありませんか。「桂林山水(さんすい)天下(てんか)の名勝(めいしょう)」ちょっと回(まわ)り道(みち)をして遊(あそ)ばない手(て)はありません[9]。どうせ交通費(こうつうひ)や宿泊料(しゅくはくりょう)はお上(かみ)がお支(し)払(はら)いになる。
まあ、こうして私は、株洲から桂林に来たのだった。たそがれどきに桂林駅に着(つ)くと、駅前(えきまえ)の屋台(やたい)でかゆを一杯(いっぱい)すすり、蒸(む)しパンを二(ふた)つかじって、泊(と)まるところを探(さが)した。私の収入(しゅうにゅう)からすれば[10]まともな旅館(りょかん)に泊(と)まるわけにはいかない。目標(もくひょう)は風呂屋(ふろや)だ。そのころ、風呂屋は昼(ひる)は風(ふ)呂(ろ)に入(い)れ、夜はすなわち宿屋(やどや)となったものだ。腰(こし)かけの上(うえ)に板(いた)を並(なら)べてベッドとし、男女(だんじょ)かまわず[11]衣服(いふく)を着たまま寝る、いかにも[12]安(やす)い宿(やど)である。
だがまことに残念(ざんねん)なことに、この日(ひ)はよほど[13]運(うん)がなかったと見(み)える。風呂屋を何軒(なんげん)か聞(き)いて回(まわ)ったが、どれもみな客(きゃく)がいっぱいだという。しかたなく、宿屋もいくつか探したがこれも断(ことわ)られた。うろうろしているうちに人通(ひとどお)りはどんどん淋(さび)しくなり、私も足(あし)が棒(ぼう)になって[14]きた。
不意(ふい)に大学(だいがく)が見えた。小学校(しょうがっこう)を退学(たいがく)してから教室(きょうしつ)で勉強(べんきょう)するのは、ずうっと私のかなわぬ夢(ゆめ)[15]だった。私は、そこにいた女子(じょし)大生(だいせい)のうしろから校門(こうもん)を入(はい)った。警備員(けいびいん)もとがめなかった。おそらくは軍用(ぐんよう)鞄(かばん)を肩(かた)に引(ひ)っ掛(か)けていたので、学生(がくせい)と思ったかもしれない。
私は女子大生につかず離(はな)れず[16]歩(ある)いた。彼女(かのじょ)のよく動(うご)く腰(こし)を眺(なが)めながら、彼女とひとつ教室で机(つくえ)を並(なら)べる男子(だんし)学生がうらやましくてならなかった[17]。
私は、そのとき裏皮(うらがわ)の労働靴(ろうどうぐつ)を履(は)いていたから、靴音(くつおと)はこつこつと響(ひび)いたが、彼女はまったく気にしないようだった。彼女は一度(いちど)、歩(ほ)を遅(おそ)くした。私も歩調(ほちょう)を合(あ)わせて[18]距離(きょり)を保(たも)たなければならなかった。彼女の後(あと)に付(つ)いて[19]曲(ま)がると道(みち)はさらに曲(ま)がって学生宿舎(しゅくしゃ)に続(つづ)いていた。入(い) り口(ぐち)を入(はい)るとき、長(なが)い髪(かみ)をさっとふって何気(なにげ)なく私のほうをちらりと振(ふ)り向(む)いた。一目(ひとめ)私を見ると、パタンと足(あし)で扉(とびら)を閉(し)めて奥(おく)に消(き)えた。
すぐに、二階(にかい)の一(ひと)つの窓(まど)が大(おお)きく開(ひら)いて、五(ご)、六人(ろくにん)の女子学生が餌(えさ)を待(ま)つツバメのように顔(かお)を出(だ)し、私を見てピーチクパーチク騒(さわ)ぎたてた。私が跡(あと)を付(つ)けた[20]あの女の子もその中にいるのがわかった。彼女は私のほうを指差(ゆびさ)してまるで[21]親(おや)の仇(かたき)にでも[22]あったように顔をゆがめてなにか罵(ののし)っていた。私も恥(は)ずかしいのと腹(はら)が立(た)った[23]のとで、こぶしを彼女らに突(つ)き出(だ)した。女の子たちはそれを見るとさっと頭を引(ひ)っ込(こ)めて窓をバンと閉(し)めた。
「まったく!鞄にナイフでもしまってあるんじゃないの」
という恐(おそ)ろしげな声(こえ)が聞(き)こえた。
「くそー。なにを威(い)張(ば)ってやがる。裏(うら)口(ぐち)入(にゅう)学(がく)のゴマすり子(こ)豚(ぶた)ども」
私のほうも一声(ひとこえ)やり返(かえ)して、ぷんぷん[24]しながら引(び)き返(かえ)し、それから何(なん)の気なしに[25]キャンパスをうろついた。知(し)らず識(し)らずのうちに[26]山の下に来た。すぐ「独秀峰」だとわかった。これはよく知っている。桂林を紹介(しょうかい)したポスターにはどれにもあって、ずっと一度(いちど)は見てみたいと思っていたものである。このたびの桂林訪問(ほうもん)の半分(はんぶん)はこれが目当(めあ)てだった。思(おも)いがけずも[27]ここでお目にかかれる[28]とは[29]!
だが、この「独秀峰」は私が想像(そうぞう)していた、人里(ひとざと)はなれたところに聳(そび)え立っているあの山ではなかった。大学の塀(へい)のなかのキャンパスにあって、庭園(ていえん)の山(さん)水(すい)のひとつだ。これにはいささか興(きょう)ざめ[30]だ。
だが、今夜落(お)ち着(つ)くところがないとすれば、この「独秀峰」の夜行(やこう)登山(とざん)というのはどうだ。ちょっとばかり[31]しゃれてるじゃないか。とはいうものの、私はけちな計算(けいさん)をして、宿代(やどだい)がいくらか節約(せつやく)できるのをひそかに喜(よろこ)んだ。何(なに)しろ、私は国家(こっか)の主人公(しゅじんこう)だ。時(とき)には国家の立場(たちば)でものごとを考(かんが)えなければならない。国(くに)の財産(ざいさん)は、とどのつまり[32]、私の財産でもあるのだ。
目の前の山を巡(めぐ)る道(みち)は、蛇(へび)のようにうねって夜空(よぞら)に消(き)えている。月はいよいよ高(たか)くなって、煌々(こうこう)と「独秀峰」の姿(すがた)を照(て)らし出(だ)した。ポスターの「独秀峰」は、秀麗(しゅうれい)な山姿(やますがた)だが、目の前のこれはまた、天に届かんばかりの巨大(きょだい)な柱(はしら)だ。傲然(ごうぜん)として、計(はか)り知(し)れない[33]高い夜空に突(つ)き刺(さ)さっている。もちろん頂上(ちょうじょう)は遙(はる)かなる雲(くも)に届いているんだろうな、と私は想像した。頂上に着いて手を伸(の)ばしても、あのきらきら光(ひか)る星(ほし)を取(と)れるわけはないな。だが、なんといっても「独秀峰」だ。大学の構内(こうない)だからといって貫禄(かんろく)を無(な)くすわけでもあるまい[34]。
ともあれ、一(ひと)晩(ばん)あれば何(なん)で行くべきところに行けないはず[35]があろう。私はゆっくりと道を登って行った。さっきいた平地(へいち)が次第(しだい)に真(ま)っ暗闇(くらやみ)の中に沈(しず)んでいった。「タイタニック号(ごう)の甲板(かんぱん)が海(うみ)に沈(しず)むところだな」と独(ひと)り言(ごと)を言(い)った。体(からだ)がだんだん温(あたた)かくなり、気分(きぶん)も上々(じょうじょう)になってきた。いささか興奮(こうふん)する。ともかく、夜(や)半(はん)二更(にこう)に「独秀峰」に登ったなどという文人(ぶんじん)墨客(ぼっきゃく)なんぞ[36]聞いたことがない。私は正々堂々(せいせいどうどう)のプロレタリアートとしてまずは先(さき)駆(が)けをしたことになろう。まさしく、「風流(ふうりゅう)の人物(じんぶつ)を数(かぞ)えんとすれば、さらに今朝(けさ)を見(み)よ」という一節(いっせつ)は正(ただ)しいということを証明(しょうめい)したことにもなる。
ところが、私の上機嫌(じょうきげん)はほどなく挫折(ざせつ)した。山を巡(めぐ)る小道(こみち)の前方(ぜんぽう)に太(ふと)い鎖(くさり)がかかった鉄(てつ)の柵(さく)が現(あらわ)れたのである。まわりはすべて断崖絶壁(だんがいぜっぺき)、回(まわ)り道(みち)もない。鉄柵(てっさく)ははなはだ高くてのり越(こ)えるのはとうてい[37]無理(むり)だ。どうやら、今夜の風流もここまでか。私はなんだかがっかりして石段(いしだん)に座(すわ)った。下(した)のほうから吹(ふ)き上(あ)げる風が私の軍用オーバーに入(はい)り込(こ)み、せっかくの暖(あたた)かい空気(くうき)を運(はこ)んで行ってしまう。震(ふる)えが来た[38]。この山道でぐずぐずしていて、うっかりすべり転(ころ)んで墜(つい)落(らく)するのはばかばかしい。風流と命(いのち)とどちらが大切(たいせつ)かといえば、命が大切に決(き)まって[39]いる。そこで、無茶(むちゃ)をやる[40]か山を降(お)りるか考える。私は立(た)ち上(あ)がると、未練(みれん)たらしく鉄柵の扉(とびら)を揺(ゆ)さぶってから山を下りようとした[41]。
するとこのとき、背(はい)後(ご)で「ギイ」と音(おと)がした。振(ふ)り返(かえ)ると鉄柵の小(ちい)さな扉がぎこちなく、ゆっくりと開(ひら)いたのである。
扉は人(
風が吹いた。上に登っていくといよいよ強(
「ギャーア」
「月明(げつめい)星(ほし)稀(まばら)、烏雀(うじゃく)南(みなみ)へ飛(と)ぶ」
私は曹(そう)孟(もう)徳(とく)の詩(し)を口(くち)ずさんでまた歩(ある)き出(だ)した。また身震いした。石段につまづいてすんでのところで転(ころ)ぶところだった。
あれ、山道の前のほうに真(ま)っ黒(くろ)な子(こ)どもが座っている?
月の光は子どもの背中(せなか)から照(て)ってその輪郭(りんかく)を映(うつ)し出(だ)しているだけで、顔なんかはっきりしない。どうやら石段に座っているようだ。高く上げた手をゆっくりと下ろした。手はいやに長(なが)くて、指先(ゆびさき)が月光の中で曲(ま)がって震(ふる)えている。
「だれだい?こんなところで何(なに)をしてるんだ?」
と驚(おどろ)きながらもたずねてみる。
子供は黙(だま)っている。ゆっくりと体を起(お)こすと手を伸(の)ばして木の枝に掴(つか)まった。
ようやくはっきり見(み)えてきた。子どもじゃない。猿(さる)だ。
怪我(けが)をしているのか、動作(どうさ)がナマケモノと同(おな)じで、猿にしては鈍(にぶ)すぎる。背中(せなか)が湿(しめ)っていて血(ち)が出ているようだ。それでも力(ちから)を絞(しぼ)り出(だ)して崖を登って灌木(かんぼく)のやぶに消(き)えていった。背中に血が流(なが)れていたから、傷(きず)は首にあるのだろう。大学のキャンパスにある「独秀峰」に猿がいるはずがないから、動物園(どうぶつえん)かどこかの家から逃(に)げ出(だ)してきたのだろう。
我(わ)が家(や)の近(ちか)くに衛生局(えいせいきょく)があってそこの医師(いし)たちが、ある冬(ふゆ)、広東(かんとん)と広西(こうざい)に出張して、猿を十(じゅう)数匹(すうひき)持ち帰ったことを覚(おぼ)えている。彼らはそれを知り合いの家に一匹(いっぴき)ずつ[48]配(くば)った。私は、猿と生死(せいし)をともにするお話(はなし)を心(こころ)に描(えが)き、かわいがり[49]たくて大(おお)いに欲(ほ)しかったのだが、父母(ふぼ)はあいにく衛生局とは何のかかわりも持たなかったから、ただ羨(うらや)ましがるだけ[50]だった。数日(すうじつ)たって、突如道端(とつじょみちばた)のごみの山の上に歯(は)をむき出(だ)した、恐(おそ)ろしげ[51]な表情(ひょうじょう)をした猿の頭がいくつか出現(しゅつげん)した。私はそのそばにしゃがんで鼻水(はなみず)と涙(なみだ)とを流(なが)し、暗くなって父母が引きずるように連(つ)れ帰(かえ)るまで、そこで泣(な)いていた。ご飯はわけもなく[52]食(た)べなかった。ハンストを夜中の十二時(じゅうにじ)まで続(つづ)けてようやく終(お)わりにした。そのあと一気(いっき)に肉(にく)うどん二杯(にはい)とゆで卵(たまご)三(みっ)つを平(たい)らげた[53]。
あとになって、広東と広西の人は、猿を強壮薬(きょうそうやく)にすると聞(き)いた。現地(げんち)の連中(れんちゅう)が出張した医者(いしゃ)をそそのかして、冬の強壮薬として買(か)わせたのだ。あの猿たちは、はなから[54]殺(ころ)される運命(うんめい)にあったのだ。だが、強壮薬だというのはどうも信用(しんよう)しがたい。そこであるとき広州(こうしゅう)から来(き)た仕事仲間(しごとなかま)に、この心中(しんちゅう)の疑問(ぎもん)を聞いてみた。彼は唾(つば)を飲(の)み込(こ)むようにして、確(たし)かに猿は十全(じゅうぜん)の強壮薬だと私に告(つ)げたのである。
「猿はな、全身(ぜんしん)これ[55]宝(たから)だ。いちばんいいとこが脳(のう)みそ。頭でなけりゃ[56]だめなんだよ。どうして頭を捨(す)てたのかねえ?ばかどもめ[57]」
手を左(さ)右(ゆう)に振(ふ)って、じつに惜(お)しいことをしたというしぐさをした。
ここの猿はまさかギロチンから逃げ出したものではあるまい。猿は藪(やぶ)の中に入り込むとこそりとも音を立て[58]なくなった。どうやってこの寒い夜をすごすのだろう。明るくなったら、とっ捕(つか)まえられて頭を切(き)られるんじゃないか?
私は、冷(ひ)え切(き)った鉄(てつ)の塊(かたまり)を飲(の)み込(こ)んだような重苦(おもくる)しい気分(きぶん)になった。それがまた全身(ぜんしん)にまわり、手足(てあし)をしびれさせ、頭が働(はたら)かなくなった。私は頭を垂(た)れ重(おも)い足を引(ひ)きずって無(む)理(り)やり登りつづけた。
いつの間(ま)にか[59]、山道が消えて、平(たい)らな場所(ばしょ)に来た。見ると目の前にあずまやがある。もう頂上に着いたのだ。この「独秀峰」は、山の下(した)から眺(なが)めたときほど高くそびえて雲に入るという代物(しろもの)ではなかったのだ。
今夜はこのあずまやで寝るとするか、と考えてそこに入った。壁(かべ)はない。風が吹(ふ)き抜(ぬ)ける。なんだか小便(しょうべん)のにおいがする。寝るのに適切(てきせつ)な場所(ばしょ)というわけにはいかない[60]らしい。私はあずまやを離(はな)れ、崖っぷちに行って下を見た。桂林の町(まち)の灯(ひ)は、深海(しんかい)の底(そこ)で狩(かり)をするというアンコウの提灯(ちょうちん)のように、点々(てんてん)と光(ひか)り、あるいは隠(かく)れあるいは消え、あちこちに揺(ゆ)れ動(うご)いて、なかなかきれいだ。
山国(やまぐに)の貴州(きしゅう)生(う)まれだから、冷凍(れいとう)と動物図鑑(どうぶつずかん)の中(なか)でアンコウを見たことがあるだけで、生きたアンコウは一度も見たことがない。だが、夢(ゆめ)の中でこんな感動的(かんどうてき)な美(うつく)しい景色(けしき)を見たことがある。たくさんのアンコウが星々(ほしぼし)のような発(はっ)光(こう)器(き)を伸(の)ばして、真(ま)っ暗(くら)な静(しず)かな海底(かいてい)で、ぎざぎざの鋭(するど)い歯(は)の大口(おおぐち)をあけて餌(えさ)がくるのを待(ま)っている。こいつは夢なんだと夢の中でわかっていたが、夢境(むきょう)のなかにいつづけようとして目をあけるのを拒(こば)んだ。二十八歳(にじゅうはっさい)まで、私は海なるものにお目にかかったことがなく、どうしてだかわからないが、いつも夢の中に海が登場(とうじょう)した。思えば、小さいときから家の後ろにある「八鴿崖(はっこうがん)」に登るのが好きだった。崖の上の乱石(らんせき)の中に魚や巻貝(まきがい)の仲間(なかま)の化石(かせき)を見(み)つけてあれこれと想像(そうぞう)することができたからである。遠(とお)い昔(むかし)、貴州はまちがいなく海だったのだ。だから、山の上にたくさん海底動物(かいていどうぶつ)の化石が残(のこ)っているのだ。そこで私の思いは、海の風や海の色にまとわりついて離れない。海には、私の前世(ぜんせい)の、何か離れがたい[61]縁(えん)があるのかもしれない。ときには、人々といっしょの船に乗って島(しま)に行ったという夢を見たことすらある。島の崖には海風(うみかぜ)に吹きさらされた大小(だいしょう)さまざまの洞穴(どうけつ)があった。ペリカンやカモメがその中で卵(たまご)を産(う)み雛(ひな)をかえしていた。どの穴(あな)にも何羽(なんわ)ずつか裸(はだか)の雛鳥(ひなどり)がいてピーピーと餌を求めて頭を出していた。海岸(かいがん)にはいたるところにいろんな模様(もよう)の卵が転(ころ)がっていた。漁師(りょうし)の娘(むすめ)たちはズボンを捲(まく)り上(あ)げ、かがんでその卵を拾(ひろ)って手(て)元(もと)の籠(かご)に入(い)れた。波(なみ)が打(う)ち寄(よ)せる海(かい)岸(がん)にはたくさんの小(こ)魚(ざかな)が打(う)ち上(あ)げられていた。魚(さかな)はぴょんぴょん跳(は)ね回(まわ)り鱗(うろこ)がきらきら光(ひか)った。黒猫(くろねこ)が何匹(なんびき)か海辺(うみべ)にいたが、足元(あしもと)の小魚など見向(みむ)きもしない[62]で黙(だま)って波(なみ)の寄(よ)せる海を見ていた。まるで船が帰るのを待つ漁師の女たちのようで、その背中はなにがしか憂鬱(ゆううつ)で、哲学的(てつがくてき)であった。
このとき、「独秀峰」の頂上に立って、私はなおも大海(たいかい)の姿(すがた)を求(もと)め続(つづ)けた。私は体を曲(ま)げて両足(りょうあし)の間に頭を入れ、そこから遠くを見た。なんだか高空(たかぞら)に浮(う)かんでいる感(かん)じがした。上下(じょうげ)さかさまだから「上空(じょうくう)」には灯火(とうか)が灯(とも)り、「脚下(きゃっか)」には深い深い海があった。海面には煌(こう)々(こう)と輝(かがや)く銀(ぎん)の盆(ぼん)がひとつ浮いていた。
体の温(あたたか)みがまた夜空に消えていった。私は寒さに凍(こご)えて体を起こした。眠気(ねむけ)がきて震えながらあくびをした。やはり寝る場所を探さなきゃと思ってしばらく歩き回った。夕方(ゆうがた)から走り回り、そのうえ長時間(ちょうじかん)の山登りで、すっかり疲れていた。あずまやを巡ると,窪(くぼ)んだ石があったので座ってみる。ちょっとした手すりのついた椅子という感じだ。お尻(しり)はいささか湿(しめ)っぽい[63]が、ないよりはましだ[64]。
私はうつらうつらし始めたが、ほんとうに眠れたわけではない。この石の窪みは深海の冷えきったタコのように私を抱え、私のわずかばかり残った温もりを必死(ひっし)になって吸盤(きゅうばん)で吸(す)い取(と)ってゆく。私はまるで氷水(こおりみず)の中に落ちた小(こ)ネズミで、全(ぜん)身(しん)がこまかく震えて止まらない。座り方もよくないのか、筋肉(きんにく)がだるく痛くなってきた。肩もこってきた。私はまた目をあけた。
その一瞬(いっしゅん)、心臓(しんぞう)が跳(は)ね上(あ)がりひっくり返(かえ)って喉(のど)から飛(と)び出(で)るかと思った。
目の前に大きな人影(ひとかげ)があって視線(しせん)をさえぎっている。
腰(こし)をかがめて、私の様子を探(さぐ)るかのように、真(ま)っ白(しろ)な髪(かみ)の毛(け)が月光に光り、喉(のど)がごろごろいう音をまわりの空気(くうき)に伝播(でんぱ)させながら、こちらを見ている。
「史亮(しりょう)や、ぼんやりしているんじゃないよ。そんなに若(わか)いんだから新(あたら)しくやり直(なお)す機会(きかい)もあるのだ。私たちのような老(お)いぼれは、くたばるしかないのだけれど。棺(かん)桶(おけ)のふたをしてからその人の評価(ひょうか)はきまるんだよ。救(すく)えるものもみんな救えなかった」
彼が何かいうのを聞いて、私はようやく心臓のおどるのを抑(おさ)え込(こ)んだ。こいつは幽霊(ゆうれい)じゃないや、じっさい生きてる人間なんだ。
「なにか人(ひと)違(ちが)いをしていますよ」
私は史亮という人じゃなくてただの旅(りょ)行(こう)者(しゃ)です、と私は言った。
「おまえはまだあの災難(さいなん)から抜(ぬ)け出(だ)せないのかね。私が悪かった。私の罪(つみ)だ。先(さき)が見(み)通(とお)せ[65]なかった。極悪(ごくあく)非道(ひどう)だった。気が利(き)かなかった[66]。おまえには悪いことをした。許(ゆる)してくれ、誠心(せいしん)誠意(せいい)お詫(わ)びをする[67]、おまえが許してくれるまで私は腰を曲げお辞(じ)儀(ぎ)をつづけるよ」とこの人は言った。
彼は背筋(せすじ)を伸(の)ばし、また深々(ふかぶか)と腰を曲げた。真っ白な髪がほとんど私の顔に触れんばかりだ。男が私にお辞儀をするのを見(み)ると、どうしてよいかわからなくなり、あわてて彼を起こして言った。
「止してください。どうかお座りください」
お座りくださいというのは、自分でもとてもおかしかった。この山の上に椅子などないのだから、「どうか」といっても、どこへ「お座(すわ)りになる[68]」というのか。
彼は、あっさり草の上にあぐらをかいた[69]。
「こういえばおまえは私を許してくれるのかね」
話はまたぶり返してきた。私も座って、困惑(こんわく)しながらも聞いてみた。
「あなたはなにか間違いをしでかしたんですか、よければ話してください」
「うーん……」と彼はため息(いき)をつくと、話し出した。
「間違いというのは、おまえと小安(しょうあん)の交際をとがめたことだよ。おまえは生まれも育(そだ)ちもよい。立派(りっぱ)な貧(ひん)農(のう)の出身(しゅっしん)で、小安は『くそインテリ』の家の生まれじゃないか。おまえと付き合うのは高(たか)望(のぞ)みだというわけだ。どうしてあんな融通(ゆうずう)の利か[70]ないことを言っちゃったんだか。時勢(じせい)がわからずに、白黒(しろくろ)をひっくり返(かえ)して生木(なまき)を裂(さ)いてしまったんだね」
私も少しわかってきたような気がした。それで好奇心(こうきしん)がわいてきた。
「それで、小安はどうしました?」
「恥(は)ずかしいことだよ。あの子(こ)は一週間(いっしゅうかん)というもの、水も飯も喉に入らなかった。病院へ送ってようやく命はとりとめたんだがね」
「じゃ、史亮は?……私がいうのは、つまり私のことですが。私がどんなになったか知っていますかね?」
「あの日私がお前を追い出してから、おまえはすぐには唐(とう)山(ざん)へは行かなかったね。両親のところへ帰ったんじゃないかね?」
「それで、あなたは?」
「私かね?私はね、私は、私はいま何にもできなくなっちゃったんだよ。ピアノを教えることもできなくなって、毎日(まいにち)検査書(けんさしょ)を書いているよ」
この人の話は少しおかしいところはあるものの、だいたいの理屈(りくつ)は通(とお)っていた[71]。この人は、ピアノの先生で娘を小安という。史亮という若者と仲良くなったのを父親に邪魔(じゃま)されて、ふたりは離(ばな)ればなれになった。それからしばらくして父親は後悔(こうかい)しはじめ、山に登って夜となく昼(ひる)となく[72]過(あやま)ちを悔(く)やむうちに、私を史亮にしてしまったのだ。
「先生、ほんとのところ、あなたは人違いをなさっています。私はあなたのいう史亮でもなんでもありません」
「そら来た。やっぱりおまえは許してはくれないんだね。ならば私はまたおまえに頭を下げるよ。何回下げればよいのかね」
「いや、いや。私は史亮です。認(みと)めます。もうあなたを許しています。これでいいでしょう?」
私はあわてて彼の肩をたたいて、こんなに遅くなりましたから、山の上は冷え込みます。先にお帰りになってはいかがですか、と言ってみた。
「家に帰るって?家には壁のほかひと気がなんにもない[73]。心底(しんそこ)、冷えるよ」
「奥様(おくさま)は?」
「おまえは知(し)らなかったね。八年前(はちねんまえ)にめでたく昇天(しょうてん)したよ」
「じゃ、小安は?」
「行っちゃった。おまえより遠くへ行ってしまったよ。クラスメイトについて『北大荒(ほくたいこう)』へ行って農民(のうみん)になったんだ。それは光栄(こうえい)なことだ」
「あなたが彼女と史亮……私との友情を引き裂いたから、彼女はあなたを許すことができなくて、遠くへ行ってしまったのですか」
「おまえはまだ知らなかったんだね!」
ピアノの先生はまぶたを伏せてポケットからハンカチを取り出して鼻水(はなみず)を拭(ふ)いた。そのハンカチは真っ黒に汚(よご)れていて、よく見るとパンツを半(はん)分(ぶん)にひき裂(さ)いたものだった。寒さがひどくなって私も鼻水が垂れそうだ[74]ったので、軍用オーバーの袖で鼻の頭をこすった。
「やはり知らなかったか!」
彼はまた言い出した。
「知らないんだね。そうだろ?」
「何にも知らないんです」
と私は認めた。
「おまえが知るはずはないよ。私でさえ知らないんだから。小安も知らないよ。あの子が行ってから、私はいつも心配で心配で。あの子の気持ちにはわだかまりがあってね、私にかかわりたくないんだよ。ひょっとしたら私があの子を咎(とが)めると思っているかもしれないね」
「彼女を咎めるですって[75]?彼女がどんな悪いことをしたんですか」
「あれに何ができるもんかね。まだ小さいんだよ。ものごとがわからないんだから、どんな悪事(あくじ)もやれるわけはない」
彼は憤激(ふんげき)した。
「なら、彼女は、どんなことをやらかして叱られると思っているんですか」
「あれは、私の指を一本(いっぽん)潰(つぶ)したんだ」
ピアノの先生は、右手(みぎて)を伸ばした。月の光のなかで彼の五本の指は不自然(ふしぜん)に曲がっていて爪は長かった。鷹(たか)の爪のようだ。しかし、私には潰されたという指がどれだかわからなかった。むしろ、どの指もみな潰されているように見(み)えた。
私はあの怪我をした猿の挙げた両手を思い出した。
「小安はあなたの娘でしょう?あなたはピアノの先生です。なんだって[76]彼女が心を鬼(おに)にして[77]あなたの指を潰せるんですか」
「小安には小安のやむにやまれぬ[78]ところがあったんだ。あの当時(とうじ)の空気じゃやらざるを得(え)なかった[79]んだ」
ピアノの先生はゆっくりとそのできごとを話し出した。
文(ぶん)化(か)大(だい)革(かく)命(めい)が始(はじ)まってから、ピアノの先生はショパンなど外国(がいこく)野郎(やろう)のピアノ曲(きょく)を熱(ねっ)心(しん)に教えていたことで、関係方面(かんけいほうめん)から何回も警告(けいこく)を受(う)けた。にもかかわらず[80]彼は、依然(いぜん)として表向(おもてむ)きは従(したが)いながら陰(かげ)では違反(いはん)していたから、これはこっそり「封建主義(ほうけんしゅぎ)・資本主義(しほんしゅぎ)・修正主義(しゅうせいしゅぎ)」を教室(きょうしつ)に持(も)ち込(こ)んでいたことになる。このやり方がついには革命(かくめい)委員会(いいんかい)のボスを怒(おこ)らせた。彼を停(てい)職(しょく)処(しょ)分(ぶん)にして家に帰らせ検査書を書かせた。ピアノの先生は頑(がん)迷(めい)固(こ)陋(ろう)で、検査書を書きながら、なおもやりたいことをやり、家でこっそり学生にショパンだのモーツァルトだのベートーベンなどを教えた。彼の「地下活動(ちかかつどう)」を娘は無意識(むいしき)にそとに漏(も)らしてしまった。革(かく)委(い)会(かい)の関係方面は、かんかんになって怒り、突然彼のところを襲撃(しゅうげき)した。彼と学生が夢中(むちゅう)になってピアノを弾(ひ)いているところへ門(もん)を破(やぶ)って突入(とつにゅう)したのだ。
犯(はん)人(にん)はとっ捕(つか)まえたし証拠(しょうこ)もそろっている。この罪は逃(のが)れがたい!
ピアノの先生は革委会の反省室(はんせいしつ)へ押(お)し込(こ)められた。それから、革委会のお歴々(れきれき)[81]は、娘を連れてきた。一通(ひととお)り[82]正義(せいぎ)に満(み)ち満ちた厳しいことばで彼を批判したあと、大男(おおおとこ)が何人かで彼をつかまえ、右手をテーブルの上に押さえつけた。革委会のボスは、ハンマーをもってきてピアノの先生の娘に持たせ、彼女に言ったものだ。
「おまえんとこ[83]のロートル[84]は、指を使って『封建主義・資本主義・修正主義』を宣伝している。われわれはこれを根(こん)本(ぽん)から断(た)ち切(き)るために、彼の宣伝手(しゅ)段(だん)を潰(つぶ)すことにした[85]。おまえは老いぼれと階(かい)級(きゅう)の境(きょう)界(かい)をはっきりさせなければならない。革委会は研究(けんきゅう)の結果、この重要(じゅうよう)な革命的な仕事をおまえに担当させることに決めた。いまおまえには二つの選(せん)択(たく)がある。立(たち)場(ば)を堅(けん)持(じ)して『くそインテリ』の汚(きたな)い爪をぶっ潰すか、それとも動(どう)揺(よう)して、それができないなら、まずおまえの頭をトラ刈(か)りに剃(そ)って『黒五類(こくごるい)』のガキとして学校へ送って掃(そう)除(じ)をやらせる。思(し)想(そう)が赤いか黒いか、社(しゃ)会(かい)主(しゅ)義(ぎ)か修正主義か。この一(ひと)振(ふ)りで決(き)まるんだ!」
娘はハンマーを握(にぎ)ると、一(ひと)言(こと)も言わずにつかつかと[86]父親の前へ行ってハンマーを高々(たかだか)と振(ふ)り上(あ)げて、机(つくえ)に押(お)さえつけられている手を電光石火(でんこうせっか)、ものの[87]見事(みごと)に叩き潰した。
「痛かったでしょう?」と、つい私は聞いてしまった。
「私にはね、ぷうっという音が鈍(にぶ)く聞こえただけだよ。一番(いちばん)大事(だいじ)な指の関(かん)節(せつ)がそのとき爆(ばく)発(はつ)したようだったが、痛みは感じなかった。私は心配してあのこの目を見ていた。気持ちは解(かい)放(ほう)されてかえってすっきりしたね。小安は正(せい)確(かく)に潰したよ。小さいときあの子にピアノを教えたんだが、ある半音(はんおん)がいつもうまく弾けないでね、私はあの子にそのキイを一(いっ)千(せん)回(かい)も練(れん)習(しゅう)させたんだよ。あの子は道具箱(どうぐばこ)からハンマーを持ち出してそのキイを二つに打(う)ち砕(くだ)いたんだ。それでその罰(ばつ)として冬のストーブの石(せき)炭(たん)を砕くのを彼女の仕事にしたんだ。一つ一つ間違いなく砕いたものだ」
ピアノの先生は、いくぶん得意そうだった。
「それから?」
「それから?それからってなんだね。私の指が砕かれて以後(いご)のことかね?あの子はハンマーを投(な)げ捨(す)て、あとも見ずに出て行ったよ。部屋の中にいた連中(れんちゅう)はみんなぱちぱちとあの子のために拍手(はくしゅ)をして、口々(くちぐち)に誉(ほ)めそやしていたよ」
「それから?」
「それから?まだなんかあるのかね?うーん……それからか。革委会の人がつぶれた指に包(ほう)帯(たい)を巻(ま)いて固(こ)定(てい)して、それから一ヶ月閉じ込められた。出てきたら、つぶれた指の関節は長い間固定していたからもうまっすぐには伸びなくなった。ピアノかね。当然弾けなくなった。それもいい。気が楽になった[88]」
「それから?」
「それから?なんにもないよ。小安は私の指を完全に砕いたその日に、上からの呼びかけに応(こた)えて荷物をまとめて『北大荒』へ行ってしまった。その後、あの子の消(しょう)息(そく)はなんにも知らない。だれだったか、あの子が『北大荒』に行ってから、またどこかいろんなところへ移動したという話を、ついでのときに、してくれたがね、後はぷっつり[89]。探そうとしても探すところがないんだよ。私は何回も何回も関係のお上のところにいって、私の娘がどこに行ったか教えてくれるように頼んだが、何回も叩き出されてね……。私が正真正銘の精(せい)神(しん)病(びょう)にかかったというんだよ。いまみたいに気持ちを晴(は)らし[90]たくなると、町に出かけるしかない。人は後ろ指を指(さ)して[91]変人(へんじん)だというし、子(こ)どもは大人(おとな)のまねをして物(もの)陰(かげ)から私に石を投げる。私は変人じゃないよ。おまえは私の様子が変人に見えるかね?だがね、毎(まい)日(にち)、行方知(ゆくえし)れずのかわいい一人娘のことを心配しているんだ。気が変になってもおかしくないよ。父親が娘を見つけられないなら、変(へん)にならずにいられる[92]か!」
ピアノの先生は涙を流しつづけ、パンツの半分を取り出して馬(うま)が鼻を鳴らすような音を立てて鼻をかんだ。真っ白な髪が風の中に舞(ま)い、瞳(ひとみ)は深く窪んだ眼窩(がんか)にあってくるくると動いた。どうも、やっぱり少しおかしいのかな。
しばらくすると彼は平静に戻って、また話した。
「ほんとに冷たいね。凍りつきそうだよ、……この世の中は」
私は黙っていた。
彼は、よいしょ[93]と声をかけて体を起こし、腰をちょっとひねって空を眺めた。
「史亮や、もう真夜中の十二時だよ。帰って寝なくちゃな。私は、私の巣(す)に帰るよ。おまえはおまえの唐山に帰るんだね。いつかわからないけど、小安はきっとおまえのところへ行くよ。おまえは、あの子と行き違いになる[94]かもしれないね。あの子は、ほんとにおまえのことが好きなんだよ。あの子のことがわかったらすぐ、私に知らせておくれ。一生恩(おん)に着(き)る[95]よ。死(し)んで魂(たましい)になってもお礼(れい)にくるよ」
ピアノの先生は、ほんとに頭がおかしいかもしれない。そうでなければ、彼は唐山と桂林が二千(にせん)キロも離(はな)れていることを知(し)らないはずはない。私(わたし)は、だれが死(し)んだとしても、霊魂(れいこん)になってお礼にこられて死ぬほどびっくりさせられるのはごめんだ[96]。
どう説明しても無駄のようだ。そこで私は言(い)い逃(のが)れを言った。
「先生、お先にお帰りください。私はいっしょに参るわけには行きません[97]。ここで友だちを待っていますので」
「じゃ、いいよ。おまえはここにいなさい。邪魔はしないよ。先に行くよ。またな」
ピアノの先生は山を下りはじめた。
「朔(さく)風(ふう)吹(ふ)きて、林(りん)涛(とう)吼(ほ)え、峡(きょう)谷(こく)震(しん)蕩(とう)す……」
彼は突然うなりだした。のんびりとした姿が歌声とともに私の視野(しや)から消えていった。
ふらふら歩くのを見ると、崖から落ちるんじゃないかと心配になって[98]きた。だが、歌声はいつまでも聞こえてきたから、いささか安心した。
ほんとの変人か、話を本気にしていいものか?
もし信じるとすれば潰されてしまったのはどの指なんだ?