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論語--陽貨 微子 子張 堯曰

来源:孔子 作者:日语港 时间:2010-02-16 阅读:5029

  

17陽貨篇
●陽貨-01
陽貨欲見孔子、孔子不見、歸孔子豚、孔子時其亡也、而往拝之、遇諸塗、謂孔子曰、來、予與爾言、曰、懷其寳而迷其邦、可謂仁乎、曰、不可、好從事而亟失時、可謂知乎、曰、不可、日月逝矣、歳不我與、孔子曰、諾、吾將仕矣

陽虎が先生に面会しようと思ったが、先生は会わなかった。そこで陽虎は先生に豚を贈った。先生は陽虎の留守を見計らって、返礼に出かけたが、途中で出くわしてしまった。

陽虎が言う。
さて、やっと話が出来ます。孔先生はせっかく宝をもちながらも役立てず、国を乱れたままにして仁といえますか?否、もちろん言えない。政治に興味がありながら度々その機会を逃して智といえますかな?否、もちろん言えない。月日は去り行く、歳月は待ってはくれないものです。私に仕えてはみぬかね?

先生は言った。
分かりました、ご奉公しましょう。

*(孔子はどうにもキライな陽虎を避けていたが、ある日かるい脅迫まがいの登用申し出を受けた。が、孔子は自然な言葉をえらんで依頼を受け流した様)


●陽貨-02
子曰、性相近也、習相遠也

先生がこう言っていた。
生まれもった性質にはさほどの差はない。学習によって大きな差が出てくる。

●陽貨-03
子曰、唯上知與下愚不移

先生がこう言っていた。
ただ詳しいだけの者と、全く詳しくない者にさほど差はない。

●陽貨-04
子之武城、聞絃歌之聲、夫子莞爾而笑曰、割鷄焉用牛刀、子游對曰、昔者偃也、聞諸夫子、曰、君子學則愛人、小人學道則易使也、子曰、二三子、偃之言是也、前言戲之耳

先生が子游が治める武城という小さい領地へ行った時、国家で演奏するような音楽が聞こえてきた。

先生が笑いながら言った。
ニワトリを料理するのに、でっかい刀は必要なかろうて。

子游がこう言い返してやった。
以前私は、先生から聞きました。指導者が礼楽を学ぶと人を思いやれるようになり、部下が礼楽を学ぶとよく働くようになると!どのような人間でも教えてやるべきではありませんか?

先生は言い訳した。
(し、しまった!)諸君、子游の言う事が正しい!私の言葉は悪い例を挙げたまでだ。いや本当にだよ??。

●陽貨-05
公山不擾以費畔、召、子欲往、子路不説曰末之也已、何必公山氏之之也、子曰、夫召我者、而豈徒哉、如有用我者、吾其爲東周乎

公山不擾が費の地で反乱を起こしたとき、先生が招かれた。先生が行こうとしたので、子路がこう言って止めた。
先生!行く事も無いでしょう。なんであんな人物の所へいくのですか?

先生答える。
うむ、どんな国でも私に政治を任せてくれるなら、周のような国を造れるかなと思ってね。

●陽貨-06
子張問仁於孔子、孔子曰、能行五者於天下爲仁矣、請問之、曰、恭寛信敏惠、恭則不侮、寛則得衆、信則人任焉、敏則有功、惠則足以使人

子張が仁について訊ねた。

先生はこう答えた。
五つのことを実施できたなら仁と言える。
礼儀正しい事。敬われる。
寛大である事。人望が得られる。
誠実でいる事。頼られる。
機敏に働く事。仕事が上手く行く。
思いやれる事。信頼される。

●陽貨-07
ヒツキツ招、子欲徃、子路曰、昔者由也聞諸夫子、曰、親於其身爲不善者、君子不入也、ヒツキツ以中牟畔、子之徃也如之何、子曰、然、有是言也、曰不曰堅乎、磨而不リン、不曰白乎、涅而不緇、吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食

ヒツキツが先生を招こうとした。先生は行こうとしたので、子路がこう言って止めた。
俺は以前先生から直接聞きました。道を外れようとする者に協力しないものだと!ヒツキツは反乱を起こしているというのに、先生が行くという事は、いかがなものでしょう!

先生答える
確かに言ったな。でも『堅いといわずにおれようか、黒土にまぶして尚黒くならないものを』というコトワザのように、染まらない事も可能だ。用いてくれるなら、仕えてみたいな~なんて思ってみたのだ。

●陽貨-08
子曰、由女聞六言六蔽矣乎、對曰、未也、居、吾語女、好仁不好學、其蔽也愚、好知不好學、其蔽也蕩、好信不好學、其蔽也賊、好直不好學、其蔽也絞、好勇不好學、其蔽也亂、好剛不好學、其蔽也狂

先生がこう言っていた。
子路や、お前さん、一歩誤れば、六つの害をもたらす言葉を聞いた事があるかい?

子路答える。いえ、ないです。

先生が言う。おおそうか、まあそこに座って、座って。教えてあげるから。

人間味を身に付けても、学びを怠れば、情に溺れることとなる。知識が豊富でも、学びを怠れば、頭でっかちなだけの者になる。信義に生きても、学びを怠れば、かえって人を傷つける事になる。真っ直ぐに生きても、学びを怠れば、頑固になる。勇気があっても、学びを怠れば、ただの乱暴者になる。腕っ節が強くても、学びを怠れば、平常心を失う。

●陽貨-09
子曰、小子、何莫學夫詩、詩可以興、可以觀、可以群、可以怨、邇之事父、遠之事君、多識於鳥獣草木之名

先生がこう言っていた。
お前達、どうして詩をやろうとしないのかね?詩は感性を高めるし、客観的な観察力も養える。そして詩で交流できるし、イヤミもやんわり伝えられる。親孝行の、仕事のヒントにもなるし、動植物の名もたくさん覚える事ができる。

●陽貨-10
子謂伯魚曰、女爲周南召南矣乎、人而不爲周南召南、其猶正牆面而立也與

先生が息子に言った。
周南と召南の詩をやったか?やらなければ何も見えないし、前進できない。

●陽貨-11
子曰、禮云禮云、玉帛云乎哉、樂云樂云、鐘鼓云乎哉

先生がこう言っていた。
礼、礼とよく口にはするが、礼はただ単に形式のことを指すのではない。音楽、音楽とよく口にはするが、音楽はただ単に音を鳴らすだけの事を指すのではない。心だよ。

●陽貨-12
子曰、色勵而内荏、譬諸小人、其猶穿愈之盜也與

先生がこう言っていた。
見かけは良いが、中身は頼りない者がいる。そう言うものは、いうなれば、こそこそ隠れたコソ泥だね。

●陽貨-13
子曰、郷原徳之賊也

先生がこう言っていた。
道徳家ぶっている者が道徳の価値を下げる。

●陽貨-14
子曰、道聽而塗説、徳之棄也

先生がこう言っていた。
いまそこで聞いた事を、すぐに他人に受け売りする。これでは素通りで身につかない。

●陽貨-15
子曰、鄙夫可與事君也與哉、其未得之也、患得之、既得之、患失之、苟患失之、無所不至矣

先生がこう言っていた。
性悪な野郎とは共に働けない。出世しないうちは意地汚いし、出世すると保身のためになんでもする。

●陽貨-16
子曰、古者民有三疾、今也或是之亡也、古之狂也肆、今之狂也蕩、古之矜也廉、今之矜也忿戻。古之愚也直、今之愚也詐而已矣

先生がこう言っていた。
昔の人間には三つの癖があった。いまは同じ癖でも質が悪くなった。
昔の熱狂者は、まだなんとかなったが、今のは暴れ放題である。昔の頑固者は、絡み辛いが、今のは更に輪をかけて怒りながら語る。昔のアホウは、わりと単純だったが、今のは嘘ばかりつく。

●陽貨-17
子曰、巧言令色、鮮矣仁

口だけ上手くて、うわべを飾る者は、人間味が少ない。

●陽貨-18
子曰、惡紫之奪朱也、惡鄭聲之亂雅樂也、惡利口之覆邦家

先生がこう言っていた。
紫が朱を圧倒するのが嫌だ。鄭の国の音楽が雅楽を乱すのが嫌だ。見当違いの口達者が国を乗っ取るのが嫌だ。

●陽貨-19
子曰、予欲無言、子貢曰、子如不言、則小子何述焉、子曰、天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉

先生がこう言っていた。
私はだんまりを決め込みたいと思う。

子貢が言う。
先生が何も言わなければ、弟子達はなにを伝えれば良いのでしょう。どうかお話ください。

先生答える。
お天道様はなにも語りはしない。それでも四季は巡り、日は昇る。お天道様は言葉で伝えない。

●陽貨-20
孺悲欲見孔子、孔子辭之以疾、將命者出戸、取瑟而歌、使之聞之

孺悲が先生に会いたいといってきたが、先生は仮病を使って断った。取次ぎの者が出て行くと、先生は音楽を演奏し外にも聞こえるようにした。

●陽貨-21
宰我問、三年之喪期已久矣、君子三年不爲禮、禮必壊、三年不爲樂、樂必崩、舊穀既沒、新穀既升、鑚燧改火、期可已矣、子曰、食夫稻、衣夫錦、於女安乎、曰、安、女安則爲之、夫君子之居喪、食旨不甘、聞樂不樂、居處不安、故不爲也、今女安則爲之、宰我出、子曰、予之不仁也、子生三年、然後免於父母之懷、夫三年之喪、天下之通喪也、予也有三年之愛於其父母乎

宰我が言った。
喪が三年は長すぎます。一年でも充分です。三年空ければ、学習?耕作も衰えます。

先生答える。
親が死んですぐに食事をし、装飾するのはなんともないのかね?

宰我答える。
なんともありません。

先生答える。
お前がなんとも思わないならそうしなさい。喪に服するのは、美味い物を食べても美味しくないし、音楽聞いても楽しくないし、どこに居ても落ち着かない。だからだ。おまえがなんとも思わないのならそうしなさい。

宰我が退出すると先生言った。
ふむう、子供は生まれると三年は親につきっきりで育つ。宰我も例外ではなかろうに。

●陽貨-22
子曰、飽食終日、無所用心、難矣哉、不有博奕者乎、爲之猶賢乎已

先生がこう言っていた。
一日中タラフク喰って、ゴロゴロしているというのは困ったものだね。双六か囲碁?将棋でもやっていたほうがまだ増しだ。

●陽貨-23
子路曰、君子尚勇乎、子曰、君子義以爲上、君子有勇而無義爲亂、小人有勇而無義爲盗

子路が言った。立派な者は勇気を重んじますか?

先生答える。真っ当な義を第一にする。勇敢でも義がないのでは、指導者は反乱を起こすし、民は盗賊になる。

●陽貨-24
子貢問曰、君子亦有惡乎、子曰、有惡、惡称人之惡者、惡居下流而謗上者、惡勇而無禮者、惡果敢而窒者、曰、賜也亦有惡乎、惡徼以爲知者、惡不孫以爲勇者、惡訐以爲直者

子貢がこう訊ねた。
立派な人でも人を憎むでしょうか?

先生答える。
もちろんあるよ。他人の悪い部分をけなす者を憎み、年寄りをけなす者を憎み、勇ましいだけで礼儀知らずな者を憎み、はっきりモノを言うが見当違いな者を憎む。子貢はどうだね?

子貢答える。
はい、他人の知恵をかすめとって自分のものとする者を憎み、傲慢を勇気と勘違いしている者を憎み、他人の個人的な秘め事をあばいて、それが正義だという者を憎みます。

●陽貨-25
子曰、唯女子與小人、爲難養也、近之則不孫、遠之則怨

↑注:孔子の時代は今と全く社会制度が違います。

先生がこう言っていた。
異性と小ずるいひとは付き合いにくい、親しくすれば、まとわるし、相手にしないと怨まれる。

●陽貨-26
子曰、年四十而見惡焉、其終也已

先生がこう言っていた。
40になっても人から憎まれるのでは、おしまいだね。

18 微子篇
●微子-01
微子去之、箕子爲之奴、比干諌而死、孔子曰、殷有三仁焉

殷王朝の末期、紂王が乱暴であったので、微子は逃げ、箕子は身を落として、比干は諌めて処刑された。
先生は言った。殷には三人の仁者がいた。

●微子-02
柳下惠爲士師、三黜、人曰、子未可以去乎、曰、直道而事人、焉徃而不三黜、枉道而事人、何必去父母之邦

柳下惠は罪人を扱う職についたが、三回も免職された。
ある人が言った。あなたそれでも他国に行かないのですか?

柳下惠答える。
信義を貫いて働こうとすれば、どこへいっても同じ事です。信義をまげて働くくらいなら、故郷を去ることもありません。

●微子-03
齊景公待孔子曰、若季氏則吾不能、以季孟之間待之、曰、吾老矣、不能用也、孔子行

斉の王の景公が先生を待遇するにつき、こう言った。
季氏のようには、出来ないが、孟氏との中間ぐらいで待遇しよう。

しかしその後、私も年をとった、用いる事は出来ないと言ったので、先生は国を去った。

●微子-04
齊人歸女樂、季桓子受之、三日不朝、孔子行

斉の国から魯へ、女優歌舞団が派遣されてきた。
重臣の季桓子が数日出仕しなかった。先生は職を辞して国を去った。

●微子-05
楚狂接輿歌而過孔子、曰、鳳兮鳳兮、何徳之衰也、徃者不可諌也、來者猶可追也、已而已而、今之從政者殆而、孔子下欲與之言、趨而辟之、不得與之言

楚の怪しげな振る舞いの接輿が歌いながら先生に近づいてきた。

そのものが言った。
鳳よ鳳よ、なんと徳の衰えた事だろう。過ぎた事をどうこういっても意味が無いが、これからのことはまだ間に合う。止めよ止めよ、今の世で政治に関わるのは、危険なだけだ。

先生は車を降りて話をしようとしたが、その者は走っていったので話が出来なかった。

●微子-06
長沮桀溺藕而耕、孔子過之、使子路問津焉、長沮曰、夫執輿者爲誰、子路曰、爲孔丘、曰、是魯孔丘與、對曰是也、曰是知津矣、問於桀溺、桀溺曰、子爲誰、曰爲仲由、曰是魯孔丘之徒與、對曰、然、曰滔滔者天下皆是也、而誰以易之、且而與其從辟人之士也、豈若從辟世之哉、憂而不輟、子路行以告、夫子憮然曰、鳥獣不可與同群也、吾非斯人之徒與而誰與、天下有道、丘不與易也

隠者の長沮と桀溺が耕作していた。先生がそこを通って、子路に舟の渡し場について訊ねさせた。

長沮が先生の事をあの人は誰です?と聞くので、子路は、孔丘ですと答えた。重ねて魯の孔丘かね?と聞くので、子路はそうです。と答えた。

長沮が言う。
それじゃ、渡し場などは色々詳しい孔丘はとっくに知っておろう。

桀溺が言う。
ところでお主は?

子路答える。
孔丘の弟子の子路です。

桀溺が言う。
流れていくものは川だけでなく、世界中そうだ。一体、誰とこの世を変えるのだ。お前さんも、諸侯を選んで、アレはダメ、これはダメ言うヤツよりも、いっそ世俗を棄てる人についたほうが良いのではないのかな?

そう言って、耕作を止めなかった。子路がこのことを先生に話すと、先生はこう言った。

動物?けもの、だけと暮らすわけには行かない。私は人間らしく人間世界で生きたい。秩序ある世界なら、私も社会を変えようとはしないのだ。

●微子-07
子路從而後、遇丈人以杖荷簣、子路問曰、子見夫子乎、丈人曰、四體不勤、五穀不分、孰爲夫子、植其杖而芸、子路拱而立、止子路宿、殺鷄爲黍而食之、見其二子焉、明日子路行以告、子曰、隠者也、使子路反見之、至則行矣、子路曰、不仕無義、長幼之節、不可廢也、君臣之義、如之何其可廢也、欲潔其身而亂大倫、君子之仕也、行其義也、道之不行也、已知之矣

子路が先生の一行より遅れて歩いていた時、杖で竹篭を担った老人に出会った。子路がその老人に訊ねた。

あの、うちの先生を見ませんでしたか?

老人が言う。
畑を耕さず、誰のことを先生と言うのだ。
そういうと、草を刈り始めた。

子路は只者ではないと感じ、両手を胸の前で組み合わせて立っていると、老人は、宿をとらせ、料理をご馳走され、その二人の子供にも引き合わされた。

このことを先生に言うと。先生は子路にもう一度合わせようとしたが、姿は見えなかった。

子路は子供達に伝言した。
国に仕えなければ、面倒は無いが、それでも親子の情は棄てられない。あなた方の父も同様だ。そうすると、国を思う情も棄てられない。世を捨て、黙っていたのでは、やり過ごせてもなにも変えることは出来ません。仕えるということは、その情を大切にしていると言う事です。頑張っても簡単に秩序をとりもどせない事などは、とっくに心得ています。

●微子-08
逸民、伯夷、叔齊、虞仲、夷逸、朱張、柳下惠、少連、子曰、不降其志、不辱其身者、伯夷叔齊與、謂柳下惠少連、降志辱身矣、言中倫、行中慮、其斯而已矣、謂虞仲夷逸、隠居放言、身中清、廢中權、我則異於是、無可無不可

隠者には伯夷?叔斉?虞仲?夷逸?朱張?柳下惠?少連がいる。

先生は言った。
貫いて、わが身を汚さなかったのは伯夷?叔斉。貫ききれないで、身を汚したが、言葉?行動は思いにかなっていたのは柳下惠?少連。隠れ住んでいて、言いたい事を言ったが、身は潔白で、世捨て具合も程よかったのは虞仲?夷逸。

私は、それとは違う。進もうと決めなければ、退こうとも決めない。信義に基づいて進退自在だ。

●微子-09
大師摯適齊、亞飯干適楚、三飯繚適蔡、四飯缺適秦、鼓方叔入于河、播トウ武入于漢、少師陽撃磬襄入于海

殷の末期、音楽が乱れたので、音楽長の摯は斉の国へ行き、音楽係の干は楚の国へ行き、その下の繚は蔡の国へ行き、その下の缺は秦の国へ行き、太鼓係の方叔は河内の地へ行き、振り鼓係の武は漢水の地へ行き、音楽長の補佐の襄は海中の島へ向った。

●微子-10
周公謂魯公曰、君子不施其親、不使大臣怨乎不以、故舊無大故、則不棄也、無求備於一人

周公旦が息子に言った。
指導者は自分の家族の事も忘れず、人を用いられなかったといって怨まず、昔馴染みは、よほどひどいことが無い限り見捨てず、一人に万能を求めてはならない。

●微子-11
周有八士、伯達、伯カツ、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季カ

周王朝に八人の人物がいた。伯達?伯カツ?仲突?仲忽?叔夜?叔夏?季随?季カ

19 子張篇
●子張-01
子張曰、士見危致命、見得思義、祭思敬、喪思哀、其可已矣

先生がこう言っていた。
士は危機と見るや身を投げ出し、上手い話を聞けば筋が通っているか判断し、祭祀に関しては、敬う心を忘れず、葬式では故人を悼む。これでよかろう。

●子張-02
子張曰、執徳不弘、信道不篤、焉能爲有、焉能爲亡

子張が言った。
徳を重んじていても大きくなく、道を信じていても軽々しい。これでは居ても居なくても同じだ。

●子張-03
子夏之門人問交於子張、子張曰。子夏云何、對曰、子夏曰、可者與之、其不可者距之、子張曰、異乎吾所聞、君子尊賢而容衆、嘉善而矜不能、我之大賢與、於人何所不容、我之不賢與、人將距我、如之何其距人也

子夏の弟子が交流のことを子張に訊ねた。
子張は子夏は何と言ったのか、言うので、弟子は、良い人と交際して、良くない人と交際しない。といわれました。と答えた。

子張が言う。
私が先生から聞いた事とは違う。先生はこう言った。立派な人は、優れた人を尊敬しながら、一般の人も包容する。
有能な人を誉めつつ、そうでない人には励ます。こちらが優れていれば、包容できるし、劣っているなら相手がこちらを断るだろう。また断ることもない。

●子張-04
子夏曰、雖小道必有可觀者焉、致遠恐泥、是以君子不爲也

子夏が言った。
どんな小道にも見どころはあるものだが、遠くまで行くつもりなら、寄り道していては進めない。

●子張-05
子夏曰、日知其所亡、月無忘其所能、可謂好學也已矣

子夏が言った。
常に未知の事を知る探究心を忘れず、身に付けた事を忘れないとすれば、学問好きと言える。

●子張-06
子夏曰、博學而篤志、切問而近思、仁在其中矣

子夏が言った。
広く手を出すが、気持ちは集中し、疑問をとことん探求するが、身近な問題に即して考えるなら、そこに自然と仁徳が生まれる。

●子張-07
子夏曰、百工居肆以成其事、君子學以致其道

子夏が言った。
職人はそれぞれの職場にいて仕事を仕上げる。できた人は、学んで、それぞれの道を極める。

●子張-08
子夏曰、小人之過也必文

子夏が言った。
器の小さい人が、失敗すると、必死でごまかす。

●子張-09
子夏曰、君子有三變、望之儼然、即之也温、聽其言也勵

子夏が言った。
立派な人の印象は三回変化する。遠くから見ていると威厳があり、接してみると温和で、言う事は鋭い。

●子張-10
子夏曰、君子信而後勞其民、未信則以爲勵己也、信而後諌、未信則以爲謗己也

子夏が言った。
立派な指導者は、まず信用されてから使う。信用されていないと部下は自分が苦しめられていると感じるものだ。また、上司に信用されてから初めて諌める。信用されていないと上司は悪口を言われていると思うだろう。

●子張-11
子夏曰、大徳不踰閑、小徳出入可也

子夏が言った。
道徳に大と小がある。大きな道徳はけじめをつけなければならないが、小さな道徳はあまりやかましく縛りつけない。

●子張-12
子游曰、子夏之門人小子、當酒掃應對進退則可矣、抑末也、本之則無、如之何、子夏聞之曰、噫、言游過矣、君子之道、孰先傳焉、孰後倦焉、譬諸草木區以別矣、君子之道、焉可誣也、有始有卒者、其唯聖人乎憂

子游が言った。
子夏の若手の弟子達は家事や接客は良いが、つまりは使われの身だ、中身が無い。どうだろう。

子夏答える。
違うな。どれを先にして、どれを後にするなどは問題でない。ちょうど植物を育てる手順がそれぞれで違うように、教育も能力に応じ人それぞれだ。全部身につくなんて聖人くらいのものだ。

●子張-13
子夏曰、仕而優則學、學而優則仕

子夏が言った。
職に就いて、余裕があればなにか身に付け、また逆に、身に付けて余裕ができたら職に就くことだ。

●子張-14
子游曰、喪致乎哀而止

子游が言った。
喪は哀悼の気持ちが第一だ。

●子張-15
子游曰、吾友張也、爲難能也、然而未仁

子游が言った。
吾が友、子張は難しい事をやり遂げる。だがいまだ仁ではない。

●子張-16
曾子曰、堂堂乎張也、難與竝爲仁矣

曾子が言った。
子張は堂堂としているが、共に道をあるくのは難しい。

●子張-17
曾子曰、吾聞諸夫子、人未有自致也者、必也親喪乎

曾子が言った。
私は先生から聞いたのだが、自分の本音を出し尽くすというのはなかなか無い事だ。あるとすれば葬式?人の死ぐらいだろう。

●子張-18
曾子曰、吾聞諸夫子、孟莊子之孝也、其他可能也、其不改父之臣與父之政、是難能也

曾子が言った。
私は先生から聞いたのだが、孟荘子の孝行のしかたはまだ真似できるが、親としての態度を改めないのは真似できない。

●子張-19
孟氏使陽膚爲士師、問於曾子、曾子曰、上失其道、民散久矣、如得其情、則哀矜而勿喜

孟氏が陽膚を罪人取締りにさせたとき、その職について曾子に訊ねた。

曾子はこう答えた。
秩序乱れて久しい。もし犯罪の実情を掴んだときは、決して喜んでいけない。

●子張-20
子貢曰、紂之不善也、不如是之甚也、是以君子惡居下流、天下之惡皆歸焉

子貢が言った。
殷王朝の紂王が悪人だというが、後年仕立て上げられたほど酷くはなかった。だから指導者は落ちぶれるのを嫌う。やってもいない悪事がそこに集まるからだ。

●子張-21
子貢曰、君子之過也、如日月之蝕焉、過也人皆見之、更也人皆仰之

子貢が言った。
上に立つものの過ちは、日食や月食のようなものだ。過ちを犯せば、皆が見ているし。過ちを改めれば、皆が仰ぎ見る。

●子張-22
衛公孫朝問於子貢曰、仲尼焉學、子貢曰、文武之道、未墜於地、在人、賢者識其大者、不賢者識其小者、莫不有文武之道焉、夫子焉不學、而亦何常師之有

衛の公孫朝が子貢に訊ねた。貴方の師はだれに学んだのですか?

子貢答える。
昔の善政は今も残っています。賢い人はそれを覚えてますし、そうでないひとも少しは知っています。善政はどこにでもあるのです。先生は誰からも学び、特定の先生を持ちませんでした。

●子張-23
叔孫武叔語大夫於朝曰、子貢賢於仲尼、子服景伯以告子貢、子貢曰、譬諸宮牆也、賜之牆也及肩、窺見室家之好、夫子之牆也數仭、不得其門而入者、不見宗廟之美百官之富、得其門者或寡矣、夫子之云、不亦宜乎

叔孫武叔が朝廷で大夫達に言った。子貢は孔子より上だ。

子服景伯はそのことを子貢に知らせると、子貢が言った。
屋敷に例えるなら、私の塀は肩くらいで、家の中は丸見えですが、先生の塀は非常に高いので、門を通らない限り、豪華で活気ある家の中を見ることはできません。それに門も見つけにくいので、あの方がそう言ったのは、いかにもな様子ですね。

●子張-24
叔孫武叔毀仲尼、子貢曰、無以爲也、仲尼不可毀也、他人之賢者丘陵也、猶可踰也、仲尼如日月也、人無得而踰焉、人雖欲自絶也、其何傷於日月乎、多見其不知量也

叔孫武叔が先生の悪口を言ったので、子貢が言った。
やめてください。先生の事は悪くはいえませんよ。他の人の優れているところは丘のようで、まだ超えられますが、先生の良いところは、日月のようで、とても超えられるものではありません。だれかが、先生をけなした所で、日や月がどうこうなるわけではありません。身のほど知らずを自分で表明するだけです。

●子張-25
陳子禽謂子貢曰、子爲恭也、仲尼豈賢於子乎、子貢曰、君子一言以爲知、一言以爲不知、言不可不慎也、夫子之不可及也、猶天之不可階而升也、夫子得邦家者、所謂立之斯立、道之斯行、綏之斯來、動之斯和、其生也榮、其死也哀、如之何其可及也

陳子禽が子貢に言った。
あなたは謙遜されているのです。孔子がどうしてあなたより優れているのですか?

子貢答える。
上に立つ者は、ただ一言で人からよくも悪くも言われます。言葉は慎重でなければいけません。先生が上の理由は、ちょうど天にはしごがかけられない状態です。先生がもし国家を治めることになれば、いわゆる、『立たせば立ち、導けば歩き、安らげば集まって、激励すれば答える』で、生きていれば栄え、亡くなれば悲しまれる。私ごときが及ぶ所ではない。

20 堯曰篇
●堯曰-01
尭曰、咨爾舜、天之暦數在爾躬、允執其中、四海困窮、天禄永終、舜亦以命禹、曰、予小子履、敢用玄牡、敢昭告于皇皇后帝、有罪不敢赦、帝臣不蔽、簡在帝心、朕躬有罪、無以萬方、萬方有罪、罪在朕躬、周有大賚、善人是富、雖有周親、不如仁人、百姓有過、在予一人

尭が言った。
舜よ、天の巡る運命はなんじの身にあり。真にほどよき中ほどを守れ。四海は苦なり。天の恵みの続かん事を。

舜もまたその言葉を帝位を譲る時に禹につげた。湯は言った、我、ふつつかなる者。ここに黒牛を供え、はっきりと上帝に申し上げよう。罪あるものを勝手に許しません。臣下は退けず、よく選びましょう。わが身に罪あるときは万民を苦しめず、万民に罪あるときは、罪をわが身にあらしめたまえ。周には天のたまものがあり、善人の豊かなことだ。武王は言った。近しい親戚があっても、仁者には及ばぬ。民に過ちがあれば、責任はわが身にある。

●堯曰-02
謹權量、審法度、修廢官、四方之政行焉、興滅國、繼絶世、擧逸民、天下之民歸心焉、所重民食喪祭

計量を慎重にし、制度をよく定め、すたれた官を復活させれば、政治は上手く行く。滅んだ国を復興させ、絶えた家を引き継がせ、隠者を用いれば、民は心を寄せる。大事にすべきは、民と物資と、冠婚葬祭。

●堯曰-03
寛則得衆、信則民任焉、敏則有功、公則民説

おおらかであれば、人望が得られ、信用があれば頼りにされ、機敏であれば仕事ができ、公平であれば心服される。

●堯曰-04
子張問政於孔子、曰、何如斯可以從政矣、子曰、尊五美屏四惡、斯可以從政矣、子張曰、何謂五美、子曰、君子惠而不費、勞而不怨、欲而不食、泰而不驕、威而不猛、子張曰、何謂惠而不費、子曰、因民之所利而利之、斯不亦恵而不費乎、擇其可勞而勞之、又誰怨、欲仁而得仁、又焉貧、君子無衆寡、無小大、無敢慢、斯不亦泰而不驕乎、君子正其衣冠、尊其瞻視儼然、人望而畏之、斯不亦威而不猛乎、子張曰、何謂四惡、子曰、不教而殺、謂之虐、不戒視成、謂之暴、慢令致期、謂之賊、猶之與人也、出内之吝、謂之有司

子張が先生に訊ねた。
どのようにすればうまい政治ができましょう?

先生答える。
五つのことを大事にして、四つのことを避ければ、うまい政治ができよう。大事にすべきは、指導者が民に対する施しを忘れてはならないが、国庫の負担を考慮する。苦労しても、他人を怨まない。なにか得ようとして意欲は燃やすが、ガツガツしない。ゆったりしていても、傲慢にならない。威厳はあるが、相手に威圧感を与えてはならない。

子張言う。
施しても負担を気にするとはどういうことですか?

先生答える。
民が豊か?自立できるような政策を打ち出すことだ。それが民への施しであり、それによって、国庫に負担をかけずに、民に幸福をはかるというのであろう。自分で選んだ苦労だ。誰を怨む事があるだろう。欲を燃やすと、勢いづくが、焦るべきではないだろう。人を差別せず侮らない、これこそ傲慢でないということだろう。身辺を正し、態度を正せば、黙っていても尊敬されるだろう。

子張言う。
では、避けるべき四つとはなんでしょうか?

先生答える。
教えもしないで、罪を犯したときは、厳しく罰する。これは残酷である。指導?注意もせずに、成果を求める。これは横暴だ。中途半端な指示をしておいて、急に期限をつける。これは理不尽だ。どのみち出すべきものなのに、けちって出し渋る。これを下っ端根性と言う。

●堯曰-05
孔子曰、不知命、無以爲君子也、不知禮、無以立也、不知言、無以知人也

先生がこう言っていた。
自分のやるべき事を知らないのでは立派になれない。慎重さの大切さが分からないのでは信用されない。言葉の真偽がわからなければ、判断できない。

 

 

 

 

 

 

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