先週の朝日俳壇に、清冷かつ揺るぎない句があった。〈大根(だいこ)引く大地偽りなかりけり〉。作者の枝澤聖文(えだざわ・きよふみ)さんが詠んだのは土の力だという。丹精した畑は裏切らない。手にする恵みの、何という白さ▼根菜の季節である。通年で出回るダイコンやニンジンも滋味を増す。サトイモ、カブ、レンコンあたりを乱切りにして炊けば、和洋中どんな味つけでもうまい。地中で肥える野菜たちのほっこりした土の匂いこそ、偽りなき大地の刻印だ▼作家水上勉さんが随筆の中で、料理番組の板前さんに注文をつけている。小芋の皮のむき方が厚すぎると。「これでは芋が泣く。というよりは……冬じゅう芋をあたためて、香りを育てていた土が泣くだろう」▼ゴボウの芳香にしても、皮に近いほど深いという。大地と「交感」してきた証しである。そうした履歴もろとも食すのが、けんちん汁でも筑前煮でも、旬に対する礼儀のように思う▼何にせよ、寒さに耐えたものには凜(りん)とした強さが宿る。ふきのとうの苦みや、雪割草(ゆきわりそう)の若紫が五感に染みるのは、越冬の喜びと響き合うからだろう。酷寒の先の安息を願い、心は凍(い)てつく被災地に飛ぶ。仮の宿でも、鍋いっぱいの根菜が湯気を立てていようか▼寒あれば暖があるように、天地がもたらすのは災いだけではない。一周忌が営まれる頃には、南から柔らかな陽光が戻り、地の恵みを重ね着したタケノコが出る。悲しみにひと区切りはないけれど、手を携えて前に進みたい。まっさらの春が待つ。