「お食(く)い初(ぞ)め」なる風習がある。赤ん坊が先々ひもじい思いをしないよう、大人と同じものを口に運ぶ儀式で、百日(ももか)の祝いともいう。育ちぶりや、親の心労のほどで、生後の100日は長くも短くもなろう▼裁判の100日にも、長短の別がある。公職選挙法の「百日裁判」は、選挙違反の判決を議員任期の浅いうちに下すべく、迅速な審理を促すルールだ。逆に、せいぜい数週間で終わる裁判員裁判では、100日は異例の長丁場を意味する▼本日さいたま地裁で始まる連続不審死事件の裁判では、裁判員の任期がまさに空前の100日と定められた。裁判員6人と補充要員は4月半ばの判決まで、50回ほど裁判所に通うことになる▼首都圏で男性3人を殺害した罪に問われた女性被告(37)は、そもそも人を殺(あや)めたと認めていない。「自殺を装うために練炭を買った」といった間接証拠が多いせいか、証人は延べ63人を数える。裁判員は精勤の上、殺人については「極刑か無罪か」の判断を迫られる公算が大きい▼かほどの拘束と重圧は、人生の想定外に違いない。日当では償えない苦行に、勤め人であろうがなかろうが、尻込みしたいのは分かる。裁判員の候補330人からは辞退が続き、選任の抽選に残ったのは1割ほどだった▼ともあれ万人注視の法廷になる。検察官が糾弾する「悪の所業」と、被告と弁護人が語る全く別のストーリーを「素人の感覚」はどう消化するのか。この100日、裁判員と一緒に悩んでみようと思う。