ユーモアというより毒舌の類(たぐ)いだが、高齢の方は怒らずにお読みください。「いまどきの若い者は、と怒るのは年寄りの必須の健康法の一部で、これで大いに血行がよくなる」。米国の文筆家の言として『《医》をめぐる言葉の辞典』という本にある▼もっとも、かのソクラテスも若者の無礼に嘆息していたというから、賢愚とは関係がなさそうだ。若者への小言は、言われた者がいつしか言う年齢になり、有史以来のたすきリレーが連綿と続いてきた▼わが高校時代の天声人語を読んでみても、随分な言われようだ。「歩く鍛錬が少ないから体中の筋肉がゆるみ、電車の中でだらんと足を投げ出す」「学校と自宅という線を結んだ受験勉強以外に手ごたえのある現実が乏しい」▼まだまだある。「大時代的な大志は少なくなったが、志まで薄れて『先は見えているんだ』などと分かった風なことをいう」――。40年近くも前なのに、今朝の記事から抜いてきたようだ。これは悲劇なのか、喜劇というべきか▼人はだれも受け身の形で生まれ、与えられた生を自分の人生として引き受ける。そんな思春期の葛藤をこえ、大人として「身」に「心」を添わせて歩んでゆく。その節目ともいえるきょう、成人の日である▼被災地で、各地で、祝いの催しがあろう。万の繰り言は人の世の常として、若者の存在そのものが何より素晴らしい。時代はきびしいが折れぬ心を持ってほしい。小欄を含む先行世代の「健康法」を蹴散らして行くほどに。