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論語--子路 憲問 衛霊公 季氏

来源:孔子 作者:日语港 时间:2010-02-16 阅读:6081

 

13 子路篇
●子路-01
子路問政、子曰、先之勞之、請益、曰、無倦

子路が政治について訊ねた。先生はこう答えた。
国民の先頭に立つこと、そして国民の苦労をねぎらう事だ。
子路は更に詳細な答えを求めると、先生はこう答えた。
怠らない事だ。

●子路-02
仲弓爲季氏宰、問政、子曰、先有司、赦小過、擧賢才、曰、焉知賢才而擧之、曰、擧爾所知、爾所不知、人其舎諸

冉雍が季氏のとある領地の取締役になって、政治の事について訊ねた。先生はこう答えた。
任務の分担を明確にする事、地位さな過失は大目に見ること、有能な者を抜擢する事だ。

冉雍が、どうすれば良い人材を見つけられるでしょうか?というので、先生が答えた。
お前にわかった人物を起用しなさい。お前にわからなかった人物は他の者が推薦してくる。

●子路-03
子路曰、衛君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣

子路が言った。
衛の王が先生を登用して政治を任せたとすれば、先生は何から先にするんですか?

先生が答えた。そうだな、名を正すかな。

えへ~?まったく先生は遠回りしますね。なぜ名を正すんです?

先生答える。
子路はがさつだな。名が正しくなければ言葉も順当でなく、言葉が順当でなければ仕事も出来ず、仕事が出来なければ礼儀や音楽も盛り上がらず、礼儀や音楽が盛んでなければ刑罰も上手くいかず、
家罰が上手くいかなければ、生活が不安だらけになる。

名をつけたら、言葉で言えるし、言葉で伝えたら、他のものも実行できるようになる。立派な人は、言葉についてはいいかげんにしないものだよ。

●子路-04
樊遅請學稼、子曰、吾不如老農、請學爲圃、子曰吾不如老圃、樊遅出、子曰、小人哉樊須也、上好禮、則民莫敢不敬、上好義、則民莫敢不服、上好信、則民莫敢不用情、夫如是、則四方之民、襁負其子而至矣、焉用稼

樊遅が農業を習いたいと言うと、先生はこう言った。
私はベテラン農家にかなわない。

畑作をしたいと言うと、先生はこう言った。
私はベテラン畑師にかなわない。

樊遅が退出すると、先生はこう言った。
まだまだだな樊須は、指導者が礼を好めば下の者は尊敬するし、指導者が信義を好めば下の者はそれなりの対応をせざるおえない。指導者が誠実であれば下の者は真心を働かせる。そうなれば、各方面からそのものを慕ってやって来る。指導者はわざわざ大変な農業に通ずる必要は無い。

●子路-05
子曰、誦詩三百、授之以政不達、使於四方不能専對、雖多亦奚以爲

先生がこう言っていた。
詩経を全て暗記しても、政治も出来ず、外交もままならないのでは、暗記という行為に意味などない。

●子路-06
子曰、其身正、不令而行、其身不正、雖令不從

先生がこう言っていた。
自分の姿勢が正しければ、命令しなくても自主的に動き、自分の姿勢が正しくなければ、命令した所で動いてくれない。

●子路-07
子曰、魯衛之政兄弟也

先生がこう言っていた。
魯と衛の国の政治はまるで兄弟のように似ている。

●子路-08
子謂衛公子荊、善居室、始有曰苟合矣、少有曰苟完矣、富有曰苟美矣

先生は衛の国の公子の荊のことをこう言った。
貯蓄が上手いね、やっとできた時には、なんとか間に合うと言い、かなり蓄えられた時には、なんとか整ったと言い、非常に蓄えられて時には、なんとか立派になったと言っている。

●子路-09
子適衛、冉有僕、子曰、庶矣哉、冉有曰、既庶矣、叉何加焉、曰富之、曰既富矣、叉何加焉、曰教之

先生が衛の国に行ったとき、冉有が御者だった。

先生が言う。人口が多いね。

冉有が言う。そうですね、人口が多くなったら、次の政策は何でしょうか?

先生が言う。生活の向上だな。

冉有が言う。では生活の向上ができたら、次は何でしょうか?

先生が言う。教育だね。

●子路-10
子曰、苟有用我者、期月而已可也、三年有成

先生がこう言っていた。
もし誰かが、私に政治を任せてくれる国があれば、一年で基礎をかため、三年で立派な成果を上げて見せるのだが。

●子路-11
子曰、善人爲邦百年、亦可以勝殘去殺矣、誠哉是言也

先生がこう言っていた。
善人でも百年も国を治めていれば、犯罪をおさえて極刑を無くす事ができると言うが、本当だね、この言葉は。

●子路-12
子曰、如有王者、必世而後仁

先生がこう言っていた。
もし、英雄が現れても、今の世では、名十年か経ってから初めて、思いやりが通じる世になろう。

●子路-13
子曰、苟正其身矣、於從政乎何有、不能正其身、如正人何

先生がこう言っていた。
もし自分の姿勢を正せば、政治をするくらい何ともない。自分の姿勢を正す事が出来なければ、人を導く事など出来ないだろう。

●子路-14
冉子退朝、子曰、何晏也、對曰、有政、子曰、其事也、如有政、雖不吾以、吾其與聞之

冉子が朝廷から退出してきた。先生が言った。
どうして遅くなったのかね?

政務がありました。と答えると先生がこう言った。
事務かな?もし政務があるのなら、私を用いていないとしても、私はきっと相談にあずかっているはずだ。

●子路-15
定公問、一言而可以興邦有諸、孔子對曰、言不可以若是、其幾也、人之言曰、爲君難、爲臣不易、如知爲君之難也、不幾乎一言而興邦乎、曰、一言而可喪邦有諸、孔子對曰、言不可以若是、其幾也、人之言曰、予無樂乎爲君、唯其言而樂莫予違也、如其善而莫之違也、不亦善乎、如不善而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎

魯の王の定公がこう訊ねた。
国を盛んにできる座右の銘というのはないだろうか?

先生答える。
そのものズバリな言葉は見当たりませんが、このような言葉があります。『人の上に立つ事は難しいが、人に仕える事もまた容易ではない』この言葉を理解するのなら、国を盛んにすることも可能です。

定公が訊ねる。
では、国を滅ぼす言葉はないだろうか?

先生答える。
このような言葉があります。『国を治めるのは楽しくない。ただ自分の言う事をだれも反対しないのが楽しい』これは、王のすることが良いうちは問題ありませんが、良くない場合は国を滅ぼす言葉にもなります。

●子路-16
葉公問政、子曰、近者説、遠者來

楚の国の王の葉公が政治の事を訊ねた。先生がこう答えた。
身近にいる領民に慕われる政治をする事です。そうすれば評判を聞いた他の国の領民もやってくるはずです。

●子路-17
子夏爲魯キョ父宰、問政、子曰、毋欲速、毋見小利、欲速則不達、見小利則大事不成

子夏が魯のキョ父という土地の取締役になり、政治について訊ねた。先生はこう言った。
焦って成果を挙げようとは思わない事だ。目先の利益につられない事だ。焦れば成功できないし、目先に気をとられていては、大事を成し遂げられない。

●子路-18
葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣

楚の国の王の葉公が先生に自慢した。
私の領内に正直者の躬という男がいて、自分の親が羊を盗んだのを、その息子が進んで役所に訴えました。

先生はこう言った。
私の国のものは、そうはしません。親子は双方にかばい合います。この親と子、双方向の思いやりが正直に繋がると私は思います。

●子路-19
樊遅問仁、子曰、居處恭、執事敬、與之夷狄、不可棄也

樊遅が仁について訊ねた。先生はこう答えた。
内では丁寧に、外では慎重に、交流は誠実にするということは、未開の土地でも棄てられない事だろう。

●子路-20
子貢問曰、何如斯可謂之士矣、子曰、行己有恥、使於四方不辱君命、可謂士矣、曰、敢問其次、曰、宗族稱孝焉、郷黨稱弟焉、曰、敢問其次、曰、言必信、行必果、脛脛然小人也、抑亦可以爲次矣、曰、今之從政者何如、子曰、噫、斗肖之人、何足算也

子貢がこう訊ねた。
士とはどのような人物を指すのでしょうか?

先生答える。
自分の行動について何が恥になるかと言う事をわきまえている人物。そして、ひとたび命令を受ければ立派に使命を果たす人物。これが立派な士といえよう。

子貢が言う。ではその次はどのような人物でしょうか?

先生答える。
身内からは孝行者だといわれ、郷里からは働き者だと言われる者かな。

子貢が言う。では更に次の人物はどうでしょうか?

先生答える。
言動に嘘がなく、そして清潔な者。パッと見嘘っぽい印象を受けるが、とりあえず士だろう。

子貢が言う。では今の政治家はどうでしょう?

先生答える。
ああ、今のか?今の政治家はどれも話にならんな。大概つまらん。

●子路-21
子曰、不得中行而與之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不爲也

先生がこう言っていた。
友人とするなら、温和でバランスがいい人が望ましい。でなければ、つまらん俗物よりかは、熱狂的?ヘンクツな人物の方が私は交流したいね。熱狂的な者は熱いものを持ってるし、ヘンクツな者もなにかしら節度があるものだ。

●子路-22
子曰、南人有言、曰、人而無恆、不可以作巫醫、善夫、不恆其徳、或承之羞、子曰、不占而已矣

先生がこう言っていた。
南方の人の言葉に、『人として一定した心がないと、占いも、医者の治療も受けられない』とあるが、賛成だね。

もう一つ、『徳を一定にしなければ、いつも辱めを受ける』という言葉があるが、その通りだね。

●子路-23
子曰、君子和而不同、小人同而不和

先生がこう言っていた。
立派な人は、他人と調和を保つが、妥協しない。小ずるい人は、妥協するが、人の和を保たない。

●子路-24
子貢問曰、郷人皆好之何如、子曰、未可也、郷人皆惡之何如、子曰、未可也、不如郷人之善者好之、其不善者惡之也

子貢が訊ねた。
村中から好かれる人物と言うのはいかがでしょう?

先生答える。
ふむ、感心はできないな。

子貢が訊ねた。
では、村中から憎まれる人物はどうでしょう?

先生答える。
まだまだだな。善人から好かれて、悪人から憎まれる事には及ばない。

●子路-25
子曰、君子易事而難説也、説之不以道、不説也、及其使人也、器之、小人難事而易説也、説之雖不以道、説也、及其使人也、求備焉

先生がこう言っていた。
立派な人の下だと働きやすいが、気に入られるのは難しい。ダメ上司の下だと働きにくいが、気に入られるのは簡単だ。

●子路-26
子曰、君子泰而不驕、小人驕而不泰

先生がこう言っていた。
立派な人は堂々と落ち着いているが威張らない。小ずるい人は威張り散らすし、行動がせこい。

●子路-27
子曰、剛毅朴訥近仁

先生がこう言っていた。
一本気で無骨な者のほうが人間味がある。

●子路-28
子路問曰、何如斯可謂之士矣、子曰、切切偲偲怡怡如也、可謂士矣、朋友切切偲偲、兄弟怡怡如也

子路が訊ねた。
どのようにしたら士になれますか?

先生答える。
よく尽くしよく励まし、にこやかに和らいでいれば士といえよう。友達にはよく尽くしよく励まし、身内にはにこやかにやわらぐのだ。

●子路-29
子曰、善人教民七年、亦可以即戎矣

先生がこう言っていた。
普通の人でも、十分教育すれば、戦力となる。

●子路-30
子曰、以不教民戰、是謂棄之

先生がこう言っていた。
訓練させずに戦わせる、これでは捨てるのと同じだ。

14 憲問篇
●憲問-01
憲問恥、子曰、邦有道穀、邦無道穀、恥也

原憲が恥について訊ねた。先生はこう答えた。
真っ当な政治が行われている国なら、仕官して大いに仕事に励むが良い。ただ、真っ当でない場合、その国で給料をとるのは恥だ。

●憲問-02
克伐怨欲不行焉、可以爲仁矣、子曰、可以爲難矣、仁則吾不知也

原憲が言った。
出過ぎ?自慢?怨み?欲望が抑えられれば、仁でしょうか?
先生答える。
難しい事柄だが、ずばり仁と言えるかどうかはわからない。

●憲問-03
子曰、士而懐居、不足以爲士矣

先生がこう言っていた。
指導的立場にいながら、マイホーム主義に走っているようじゃぁ、指導者として二流だ。

●憲問-04
子曰、邦有道危言危行、邦無道危行言孫

先生がこう言っていた。
国家運営が真っ当であれば、ズバズバ発言をし、キビキビ行動する。国家運営が乱れていれば、キビキビ行動して、発言は控える。

●憲問-05
子曰、有徳者必有言、有言者不必有徳、仁者必勇、勇者不必有仁

先生がこう言っていた。
立派な人のいう事はさすがに立派だ。だが立派な事を口にする者が必ずしも立派とは限らない。立派な人には勇気があるが、勇気がある人が必ずしも立派とは限らない。

●憲問-06
南宮カツ問於孔子曰、ゲイ善射、ゴウ盪舟、倶不得其死然、禹稷躬稼而有天下、夫子不答、南宮カツ出、子曰、君子哉若人、尚徳哉若人

南宮カツが先生に訊ねた。
ゲイは弓に長けていたし、ゴウは舟を持ち上げるほどの強力でした。が、どちらもまともな最後を遂げられませんでした。ところが禹や稷は自分で耕してそれで天下を取りました。先生これは????

先生は答えられず、南宮カツが出て行くと、こう言ったという。
立派だね、ああいう人は。徳を大事にするんだね、こういう人は。

●憲問-07
子曰、君子而不仁者有矣夫、未有小人而仁者也

先生がこう言っていた。
立派であっても、根性が悪い人はいるだろうね。だが小ずるいのに出来た人間というのはいないな。

●憲問-08
子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎

先生がこう言っていた。
情があるなら励まさずにいられようか。誠実であれば過ちを教えずにいられようか。

●憲問-09
子曰、爲命卑甚草創之、世叔討論之、行人子羽脩飾之、東里子産潤色之

先生がこう言っていた。
命令を作るとき、卑甚が下書きを作り、世叔が検討し、外交官の子羽が添削し、東里に居た子産が色付けした。

●憲問-10
或問子産、子曰、惠人也、問子西、曰、彼哉、彼哉、問管仲、曰、人也、奪伯氏駢邑三百、飯疏食、沒齒無怨言

ある人が子産のことを訊ねると、先生はこう答えた。
恵みの人です。

子西のことを訊ねると、先生はこう答えた。
ああ、あの人か?

管仲のことを訊ねると先生はこう答えた。
あの人は、伯氏から村を取り上げたのだが、伯氏は粗末な飯を食べながら、生涯恨み言を言わなかった。心服させたんだね。

●憲問-11
子曰、貧而無怨難、富而無驕易

先生がこう意っていた。
貧しいとひがみっぽくなるし、金持ちだと傲慢になりがちだ。だが、ひがみと傲慢なら、傲慢を正す方が容易だな。

●憲問-12
子曰、孟公綽爲趙魏老則優、不可以爲膝薛大夫也

先生がこう言っていた。
孟公綽は趙?魏のような大国でも家老となるに相応しいが、膝?薛のような小国でも中間職にすることはできない。

●憲問-13
子路問成人、子曰、若臧武仲之知、公綽之不欲、卞莊子之勇、冉求之藝、文之以禮樂、亦可以爲成人矣、曰、今之成人者、何必然、見利思義、見危授命、久要不忘平生之言、亦可以爲成人矣

子路が人間的完成を訪ねた。先生はこう答えた。
臧武仲ほどの知恵と、公綽ほどの無欲さと卞荘子ほどの勇気と冉求ほどの教養とがあって、更に、礼儀正しく音楽をたしなむなら、完成といっていいだろう。だが、そこまでいかなくても、利益を目の前にして、それが正当なものかどうか判断できて、やるべきときには身を投げ出し、古い約束も忘れないのなら、完成といってもいいだろう。

●憲問-14
子問公叔文子於公明賈、曰、信乎、夫子不言不笑不取乎、公明賈對曰、以告者過也、夫子時然後言、人不厭其言也、樂然後笑、人不厭其言也、義然後取、人不厭其取也、子曰、其然、豈其然乎

先生が公叔文子のことを公明賈にこう訊ねた。
こんな噂がありますが本当でしょうか?公叔文子は無口で笑いもせず、贈り物も受け取らない無愛想だと。

公明賈答える。
いえいえ、違いますよ。あの人は、言うべき時になって初めて発言するので、その発言を誰も嫌わず、あの人は、楽しくなって初めて笑いますから、その笑いを誰も嫌わず、あの人は、正当な贈り物であって初めて受け取りますから、その受け取りを誰も嫌いません。

先生はこう言った。そうでしょう、噂のようなことはないでしょう。

*出来すぎた話ということで最後の孔子の発言に(おいおい本当かよ、疑っちゃうよ)という意味を含むとする解釈もあり


●憲問-15
子曰、臧武仲以防求爲後於魯、雖曰不要君、吾不信也

先生がこう言っていた。
臧武仲は防を以って後継ぎを立てたいと魯に要求した。主君に強迫したのではないと言ったところで、信用できない。

●憲問-16
子曰、晋文公譎而不正、齊桓公正而不譎

先生がこう言っていた。
晋の文公は偽って正しくないが、斉の桓公は正しくて偽らなかった。

●憲問-17
子路曰、桓公殺公子糾、召忽死之、管仲不死、曰未仁乎、子曰、桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也、如其仁、如其仁

子路が言った。
桓公が公子糾を殺したとき、招忽は殉没しましたが管仲は身を全うしました。仁じゃないですね。

先生は言った。
桓公が諸侯をまとめたとき武力を用いなかったのは、管仲のおかげだ。誰がその仁に及ぼうか。誰がその仁に及ぼうか。

●憲問-18
子貢曰、管仲非仁者與、桓公殺公子糾、不能死、叉相之、子曰、管仲相桓公覇諸侯、一匡天下、民到于今受其賜、微管仲、吾其被髪左衽矣、豈若匹夫匹婦之爲諒也、自経於溝涜而莫之知也

子貢が言った。
管仲は仁の人ではないでしょうね。桓公が公子糾を討った時、殉没もできないで、更に桓公を輔佐しました。

先生が言った。
管仲は桓公を輔佐して諸侯の頭にならせ、天下を正した。民はそのおかげで今の生活を送っている。管仲がいなければ、今ごろとんでもない風習の中に生活していただろう。庶民を虐殺するのとどうして同じに出来よう。

●憲問-19
公叔文子之臣大夫撰、與文子同升諸公、子聞之曰、可以爲文矣

公叔文子の家来だった大夫の撰は、公叔文子の推薦を受けて、公叔文子と並び衛の国の重臣になった。先生はこのことを聞くとこう言った。公叔文子は文といえるね。

●憲問-20
子言衛霊公之無道也、康子曰、夫如是、奚而不喪、孔子曰、仲叔圉治賓客、祝鴕治宗廟、王孫賈治軍旅、夫如是、奚其喪

先生が衛の王の霊公のマヌケぶりを話していたので、康子は言った。
どうしてまたそのような話をされて、失脚しないのですか?

先生答える。
仲叔圉が外交接待を務め、祝鴕が宗廟のことを治め、王孫賈が軍事を治めています。このような感じですから失脚はしません。

●憲問-21
子曰、其言之不乍、則其爲之也難

先生がこう言っていた。
自分の言葉から恥を知らないようでは、それを実行するのは難しい。

●憲問-22
陳成子弑簡公、孔子沐浴而朝、告於哀公曰、陳恆弑其君、請討之、公曰、告夫三子、孔子曰、以吾從大夫之後、不敢不告也、君曰、告夫三子者、之三子告、不可、孔子曰、以吾從大夫之後、不敢不告也

陳成子が主君の簡公を討った時、先生は身を清めて出仕すると、哀公にこう言った。
陳恒が主君を討ちました。どうか討ち取ってください。

哀公はあの三人に言いなさい。と言った。
先生は退席すると、こう言った。
私も大夫の端くれにいる以上は申し上げずにいられないのだ。だが王はあの三人に言えと言った。その通り、三人に言ったが、聞かなかった。

先生はこう言った。
私も大夫の端くれにいる以上は話さずにいられないのだ。

●憲問-23
子路問事君、子曰、勿欺也、而犯之

子路が君主への仕え方を訪ねた。先生はこう答えた。
嘘偽りはいけないが、言うべき事は逆らってでも言うべきだ。

●憲問-24
子曰、君子上達、小人下達

先生がこう言っていた。
立派な人はますます高まっていくが、努力しない人はますます低迷する。

●憲問-25
子曰、古之學者爲己、今之學者爲人

先生がこう言っていた。
昔の人は自分を高める為に勉強したが、この頃は他人を念頭において、見せびらかす為に勉強する。

●憲問-26
遽伯玉使人於孔子、孔子與之坐而問焉、曰夫子何爲、對曰、夫子欲寡其過而未能也、使者出、子曰、使乎使乎

遽伯玉が先生へ遣いをよこした。先生は用事が終わってから訊ねた。あのひとはどんな様子ですか?

先生答える。
ええ、過失のないように励んでいますが、現状ではぼちぼちですよ。

使者が帰ると、先生はこう言った。
うんうん、あの使者は立派だ。

●憲問-27
子曰、不在其位、不謀其政

先生はこう言っていた。
それに関係しているのでなければ、それの中身の口出しをしない事だな。

●憲問-28
曾子曰、君子思不出其位

曾子は言っていた。
できた人は、自分の職分以外のことを考えないものだ。

●憲問-29
子曰、君子恥其言之過其行也

先生がこう言っていた。
立派な人は、言う事だけ立派で、行動がそれに伴わないことを恥とする。

●憲問-30
子曰、君子道者三、我無能焉、仁者不憂、知者不惑、勇者不懼、子貢曰、夫子自道也

先生がこう言っていた。
立派な人の道に三つ考えられるが、私にはできない。仁者は心配しない。智者は惑わない。勇者は恐れない。

子貢が言った。
ああは言っているが、先生は謙遜している。

●憲問-31
子貢方人、子曰、賜也賢乎哉、夫我則不暇

子貢がしきりに批評の毒舌を吐いていたので、先生はこう言ってやった。いや~子貢よ、おぬしは賢いのだな。私にはとてもそれだけの余裕がないよ。

●憲問-32
子曰、不患人之不己知、患己無能也

先生がこう言った。
自分が認められない事を嘆かないことだ。それよりも自分にそれだけの能力がないことを嘆け。

●憲問-33
子曰、不逆詐、不億不信、抑亦先覺者、是賢乎

先生がこう言っていた。
騙されないかと警戒し、信用されているか勘ぐるとか、そういう意識的に人を探ることなく、ごく自然に相手の気持ちを察する事ができる者は賢者と言える。

●憲問-34
微生畝謂孔子曰、丘何爲是栖栖者與、無乃爲佞乎、孔子對曰、非敢爲佞也、疾固也

微生畝が先生に向って言った。
丘さん、どうしてそんなに忙しいのかね。口だけ人間になっていやしないだろうか。
先生答える。
決して口だけではありません。柔軟でない事がいやなのです。

●憲問-35
子曰、驥不称其力、称其徳也

先生がこう言っていた。
名馬はその能力を称えられるのではなく、品格を称えられるのである。

●憲問-36
或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳

ある人が言った。徳で怨みの仕返しをするのはどのようなものでしょう?

先生答える。
ではその徳のお返しは何でするのでしょう。正直な心で怨みにむくい、徳によって徳にお返しする事です。

●憲問-37
子曰、莫我知也夫、子貢曰、何爲其莫知子也、子曰、不怨天、不尤人、下學而上達、知我者其天乎

先生が私のことを理解してくれる者がいない。と嘆いた。
子貢が言った。(おや?)なんでまた先生を理解する者がいないのでしょうか?

先生答える。
天を怨まないし、人を非難もしない。私はこれまで大小さまざまな研究をしてきたが、だれからも理解は得られなかった。わかってくれるのは、お天道様くらいだな。

●憲問-38
公伯寮愬子路於季孫、子服景伯以告曰、夫子固有惑志於公伯寮也、吾力猶能肆諸市朝、子曰、道之將行也與、命也、道之將廢也與、命也、公伯寮其如命何

公伯寮が子路のことを季孫に告げ口した。
子服景伯がそのことを先生に伝えた。
季孫は公伯寮に乗せられている様子ですが、私の権力で公伯寮を消す事ができます。

先生が言った。
いや、真っ当な政治が行われるのも時代ですし、乱れるのも時代です。公伯寮のヤツを始末したところで時代は変わりません。

●憲問-39
子曰、賢者避世、其次避地、其次避色、其次避色、子曰、作者七人矣

先生がこう言っていた。
賢い人は、乱れた世では隠遁する。つぎに賢い人は、乱れた場所を避ける。つぎに賢い人は、乱れた者と付き合わない。そしてつぎに賢い人は、乱れた考えに同調しない。

先生が言った。これを行った人物が7人いる。

●憲問-40
子路宿於石門、晨門曰、奚自、子路曰、自孔氏、是知其不可而爲之者與

子路が石門という所に泊まった。門番がどちらから?と言ったので、孔の家からと言うと、
門番は言った。それは、ダメとわかっていてもやらずにいられない人ですね。

●憲問-41
子撃磬於衛、有荷簣而過孔氏之門者、曰、有心哉撃磬乎、既而曰、鄙哉、脛脛乎、莫己知也斯己而已矣、深則勵、淺則掲、子曰、果哉、末之難矣

先生が衛の国都で楽器を奏でている時、モッコを担いで家の前を通り過ぎた者がこう言った。
いまの演奏は心がこもっているね。

また通り過ぎた時言った。
だめだな。今の演奏は。自分の力が通用しないのなら、あきらめるだけだ。『深い川だったら着物を脱いで渡るし、浅いなら着物の裾を上げて渡るものだ』

先生は言った。
ハッキリ言うね。だがすぐに諦める必要があるほど難しいことではないよ。

●憲問-42
子張曰、書云、高宗諒陰三年不言、何謂也、子曰、何必高宗、古之人皆然、君薨、百官總己以聽於冢宰三年

子張が言った。
書経に『高宗は喪に服して三年の間言葉を発しなかった』とありますがどういうことでしょうか?

先生答える。
何も高宗に限らず、昔の人はみんなそうだった。主君が没すると、部下達はみな宰相の命令を仰いだものらしいよ。

●憲問-43
子曰、上好禮、則民易使也

先生がこう言っていた。
リーダーが礼儀正しいと、部下も言う事をよく聞くようになる。

●憲問-44
子路問君子、子曰、脩己以敬、曰如斯而已乎、曰脩己以安人、曰如斯而已乎、曰脩己以安百姓、脩己以安百姓、尭舜其猶病諸

子路が出来た人間について訊ねた。先生はこう答えた。
自分を成長させて慎重に振舞うことだ。

子路が言う。
それだけでいいんですか?

先生が言う。
では、付け加えて、自分を成長させ人を安らかにさせる事だ。

子路が言う。
それだけですか?

先生が言う。
では、自分を成長させて周囲を安らかにすることだ。自分を修養して万民を安らかにすると言う事は、尭?舜でさえも苦労をされたようだ。

●憲問-45
原壌夷俟、子曰、幼而不孫弟、長而無述焉、老而不死、是爲賊、以杖叩其脛

昔馴染みでろくでなしの原壌がうずくまって座っていた。先生は言った。
小さい頃は苦労しないで何も覚えようとせず、それでいて大きくなっても何も身につけず、今も尚、ただ長生きしているだけだ。これでは賊と大差ないな。そう言うと先生は杖で脛を小突いた。

●憲問-46
闕黨童子將命矣、或問之曰、益者與、子曰、吾見其居於位也、見其與先生竝行也、非求益者也、欲速成者也

闕の村の少年が客の取次ぎをしていた。
あるひとが、その少年のことを訊ねて、こう言った。
進んだ子ですか?

先生答える。
私はあれが、大人と混じってど真ん中の席についていたのを見ましたし、先輩と肩を並べてそのあたりをうろついていたのも見ました。進んでいるのではなく、はやく大人に見られようとして、背伸びをしているのです。

15 衛霊公篇
●衛霊公-01
衛靈公問陳於孔子、孔子對曰、俎豆之事、則嘗聞之矣、軍旅之事、未之學也、明日遂行

衛の王の霊公が先陣について訊ねた。先生はこう答えた。
祭器のことならよく存じておりますが、軍事の事はよくわかりません。こう言うと翌日に立ち去った。

●衛霊公-02
在陳絶糧、從者病莫能興、子路慍見曰、君子亦有窮乎、子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣

陳の国で食糧がなくなり、供の者も疲労していた。
そのとき子路が怒って、先生に食って掛かった。
頑張っている者でも困窮することがあるんですか!

先生答える。
立派な人ももちろん困窮するさ、だが立派でない者は困窮すると取り乱す。

●衛霊公-03
子曰、賜也、女以予爲多學而識之者與、對曰然、非與、曰、非也、予一以貫之

先生がこう言っていた。
子貢よ、お前さんは私は広く多く学んでそれぞれを覚えている人間だと思うかい?

子貢答える。
ええ、そう思いますが。

先生が言う。
いや、私は一筋の道を歩いてきた。

●衛霊公-04
子曰、由、知徳者鮮矣

先生がこう言っていた。
なあ子路よ、徳の本質を知る人はほとんどいないね。

●衛霊公-05
子曰、無爲而治者、其舜也與、夫何爲哉、恭己正南面而已矣

先生がこう言っていた。
とくに何もしないで上手くまとめられるのは舜ぐらいだろうね。それはなぜだろうか?慎重に振る舞い、真っ当なリーダーらしくしていたからだ。

●衛霊公-06
子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣、言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉、立則見其参於前也、在輿則見其倚於衡也、夫然後行也、子張書諸紳

子張が思惑通りことが運ぶコツを訊ねた。先生はこう答えた。
言葉に真心があり、行動が丁寧であれば、どの国でも上手く行く。言葉に刺があり、行動が荒々しければ、小さな村でも上手くいかない。立っている時には、真心と丁寧さがにじみ出るように見え、車で移動中には、車の周囲にそれらがにじみ出るように見える。そのくらいになって初めて、上手くいくだろう。

子張はこの言葉をベルトにメモした。

●衛霊公-07
子曰、直哉史魚、邦有道如矢、邦無道如矢、君子哉遽伯玉、邦有道則仕、邦無道則可卷而懷之

先生がこう言っていた。
ストレートだな史魚は、国家が真っ当なときにも矢のようだし、乱れていても矢のようだ。立派な人だな遽伯玉は、国家が真っ当なときには才能を発揮するが、乱れた時はそれを隠しておける。

●衛霊公-08
子曰、可與言而不與之言、失人、不可與言而與之言、失言、知者不失人、亦不失言

先生がこう言っていた。
話し合うべきときなのに話し合わないと、友人になるチャンスを逃す事になる。話し合うべきときでない者と話すと、言葉が無駄になる。智者はチャンスを逃さないし、言葉を無駄にしない。

●衛霊公-09
子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁

先生がこう言っていた。
精神力のある人?思いやる人は、保身の為に人道を外れる事はしない。そして時に危険と分かっていてもやるときはやる。

●衛霊公-10
子貢問爲仁、子曰、工欲善其事、必先利其器、居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者也

子貢が仁徳を身に付けるコツを訊ねた。先生はこう答えた。
職人がよい仕事をしようと思うと、まず道具を整えておく。それと同じ様に、良い上司の下につき、良き友と交流して自分を磨く。

●衛霊公-11
顔淵問爲邦、子曰、行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞、放鄭聲、遠佞人、鄭聲淫、佞人殆

顔回が国の治め方を訊ねた。先生はこう答えた。
夏王朝の暦を使い、殷王朝の車に乗り、周王朝の礼服を着る。音楽は舜の舞、鄭の音曲はいやらしいので避け、口だけ人間は危険だから退ける。

●衛霊公-12
子曰、人而無遠慮、必有近憂

先生がこう言っていた。
長期的に物事を考えないと、目先の事でよく心配するハメになる。

●衛霊公-13
子曰、已矣乎、吾未見好徳如好色者也

先生がこう言っていた。
なんだよ、なんだよ。恋をするほどの熱心さで人格向上をする者がいないとは。

●衛霊公-14
子曰、臧文仲其竊位者與、知柳下惠之賢、而不與立也

先生がこう言っていた。
臧文仲は職務をせずに位を盗んだ。柳下恵が有能だと知りながら推挙しなかった。

●衛霊公-15
子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣

先生がこう言っていた。
自分の責任を認め、人のせいにしない。これで人間関係は上手く行く。

●衛霊公-16
子曰、不曰如之何如之何者、吾末如之何也已矣

先生がこう言っていた。
どうしたら良いのか!?どうすれば上手くいくか!?と自分に問いかける者でなければ、私は手の下しようがない。

●衛霊公-17
子曰、羣居終日、言不及義、好行小慧、難矣哉

先生がこう言っていた。
集まって一日中話しているが、自分の小賢しい頭脳を見せびらかすだけで、まるで会話に実がなかった。困ったものだね。

●衛霊公-18
子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之、君子哉

先生がこう言っていた。
信念を基にしながら、慎重さを大事にして、謙遜を学び、誠実によって仕上げる。立派だ。

●衛霊公-19
子曰、君子病無能焉、不病人之不己知也

先生がこう言っていた。
立派な人は才能がない事を心配して、人が自分をどう思うかなどは、さほど気にしない。

●衛霊公-20
子曰、君子疾沒世而名不称焉

先生がこう言っていた。
出来た人は、人生を終えて、後世自分の名が伝わらない事が悩みだ。

●衛霊公-21
子曰、君子求諸己、小人求諸人

先生がこう言っていた。
立派な人は自分の能力を頼り、小ずるい人は他の力を頼りきる。

●衛霊公-22
子曰、君子矜而不爭、羣而不黨

先生がこう言っていた。
立派な人はプライドが高いが、やたら毒を吐かない。良く交流するが、気まずい雰囲気をつくらない。

●衛霊公-23
子曰、君子不以言擧人、不以人廢言

先生がこう言っていた。
立派な人は、良い言葉?良い文章だけで人を抜擢しない。また、地位?資格がないだけで侮ったりはしない。

●衛霊公-24
子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也

子貢が訊ねた。
人生を上手く渡る言葉はないでしょうか?

思いやりだね。いやな事は人にしないことだ。

●衛霊公-25
子曰、吾之於人也、誰毀誰譽、如有所譽者、其有所試矣、斯民也、三代之所以直道而行也

先生がこう言っていた。
私はやたらと批判したり、誉めたりしない。誉めるにせよはっきりした時だ。今の人も、平和だった昔の人と性質は同じだから、批判は慎重にする。

●衛霊公-26
子曰、吾猶及史之闕文也、有馬者借人乘之、今則亡矣夫

先生がこう言っていた。
記録官が疑わしいことを記録せずその部分を空白にし、馬の所有者が馬を人に貸すというのが、私の若い頃にはまだあった。今はもうなくなってしまった。

●衛霊公-27
子曰、巧言亂徳、小不忍、則亂大謀

先生がこう言っていた。
口だけ人間は信用されないし、小さい事を我慢できないと大きなしっぺ返しを被る。

●衛霊公-28
子曰、衆惡之必察焉、衆好之必察焉

先生がこう言っていた。
周りの大勢がその人を憎むときでも流されず必ず調べるし、大勢が好む時でも流されず必ず調べる。

●衛霊公-29
子曰、人能弘道、非道弘人也

先生がこう言っていた。
人間こそが生き方を広げるのだ。生き方が人間を広げるのではない。

●衛霊公-30
子曰、過而不改、是謂過矣

先生がこう言っていた。
過ちを改めない。これが過ちだ。

●衛霊公-31
子曰、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思、無益、不如學也

先生がこう言っていた。
私は前に、昼夜ぶっ続けで考えた事があったが、答えは出なかった。他のものを参考にするほうが良いね。

●衛霊公-32
子曰、君子謀道、不謀食、耕也餒在其中矣、學也禄在其中矣、君子憂道、不憂貧

先生が言っていた。
立派な人は、生きるべき道を創るが、その間生活の事は考えない。
生活を考え、働いている時でも、道に飢えることはあるが、道を創れば、そこに自然と生活が得られる。道を創ることを心配しても、貧乏な事は気にしないことだ。

●衛霊公-33
子曰、知及之、仁不能守之、雖得之必失之、知及之、仁能守之、不莊以莅之、則民不敬、知及之、仁能守之、莊以莅之、動之不以禮、未善也

先生がこう言っていた。
その地位に相応しい知識を持っていても、人間味がなければ、人はついてこない。知識と人間味を備えても、しっかりした威厳をもたないと、尊敬されない。知識と人間味と威厳を備えても、部下を粗末に動かすようではダメだ。

●衛霊公-34
子曰、君子不可不知、而可大受也、小人不可大受、而可小知也

先生がこう言っていた。
エリートは小さな仕事はダメだが、大きな仕事は任せられる。一般人は大きな仕事はダメだが、小さな仕事は任せられる。

●衛霊公-35
子曰、民之於仁也、甚於水火、水火吾見蹈而死者矣、未見蹈仁而死者也

先生がこう言っていた。
国民が仁徳を必要とするのは、水や火よりも度合いが大きい。水や火は、飛び込むと危険だが、人間らしい心に飛び込んでも危険はない。

●衛霊公-36
子曰、當仁不譲於師

先生がこう言っていた。
人間性については、上司にも遠慮はいらない。

●衛霊公-37
子曰、君子貞而不諒

先生がこう言っていた。
原則には忠実だが、頑固にならない。それが立派な人だ。

●衛霊公-38
子曰、事君敬其事而後其食

先生がこう言っていた。
自分のやるべきことを大切にすることだ。報酬は後回しである。

●衛霊公-39
子曰、有教無類

訳1
先生がこう言っていた。
教えればだれでも身につく。

訳2
先生がこう言っていた。
教育は、身分能力によって差別すべきではない。

●衛霊公-40
子曰、道不同、不相爲謀

先生がこう言っていた。
目的が同じでなければ、相談するのは難しい。

●衛霊公-41
子曰、辭達而已矣

言葉は意志を正しく伝える事が第一だ。

●衛霊公-42
子冕見、及階、子曰、階也、及席、子曰、席也、皆坐、子告之曰、某在斯、某在斯、師冕出、子張問曰、與師言之道與、子曰、然、固相師之道也

音楽家の冕が先生の所へやってきた。階段まで来ると先生は階段ですと言い、席まで来ると席ですと言い、みんなが座ると、席取りを指図した。

音楽家の冕が退席すると、子張が訊ねた。
あれが音楽家を招く態度でしょうか?

先生答える。
ああ、そうだよ。あれが人を介抱するときの作法だ。

*(音楽家の冕は目が不自由であった)


16 季氏篇
●季氏-01
季子將伐セン臾、冉有季路見於孔子曰、季氏將有事於セン臾、孔子曰、求、無乃爾是過與、夫セン臾、昔者先王以爲東蒙主、且在邦域之中矣、是社稷之臣也、何以爲伐也、冉有曰、夫子欲之、吾二臣者、皆不欲也、孔子曰、求、周任有言、曰、陳力就列、不能者止、危而不持、顛而不扶、則將焉用彼相矣、且爾言過矣、虎ジ出於コウ、龜玉毀於昮中、是誰之過與、冉有曰、今夫セン臾固而近於費、今不取、後世必爲子孫憂、孔子曰、求、君子疾夫舎曰欲之而必更爲之辭、丘也聞、有國有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安、蓋均無貧、和無寡、安無傾、夫如是、故遠人不服、則修文徳以來之、既來之則安之、今由與求也、相夫子、遠人不服、而不能來也、邦文崩離析而不能守也、而謀動干戈於邦内、吾恐季孫之憂、不在於セン臾、而在蕭牆之内也

魯の季氏がセン臾の国を攻撃しようとした。
季氏に仕えていた冉求と子路は先生のもとへ行き、このことを伝えた。

先生が言う。
冉求よ、まさかおぬしが奨めているのではないだろうね?そもそもセン臾の国は、昔祭りの主宰者と定めていた上に、魯の領内だから家来も同然だ。なぜせめるかな。

冉求答える。
季氏が言うからで、私らは賛成はしません。

先生が言う。
冉求や、昔の周任の言葉に、『全力で職務に勤め、出来ないときは辞退する』というのがあるが、危機を支えず、転んでも助ける事ができないのでは、補佐の意味がない。猛獣が檻から逃げ出したり、箱の中の物が箱の中で壊れたら誰の責任かな。

冉求が言う。
しかし、セン臾は守り固く、今のうちになんとかしないと後々の子孫の災いになります。

先生が言う。
欲しいくせにそ知らぬ顔をし、その下心を満たす為の口実をつけることは、公平でない。聞くところによると、『国を治め、家を治める者は、少ないことを心配しないで公平でないことを心配し、貧しいことを心配しないで安定しないことを心配する』というが、公平であれば貧しい事もなくなり、仲良くすれば少ないと言う事もなくなり、安定すれば危険も減るものだ。

だから人が従わない場合は、徳を身につけてなつけ、そして安定させるのだが、今、子路と冉求は季氏を補佐していながら、従わせる事も出来ず、内乱を防ぐ事も出来ない。それでいて戦争を始めようとしている。

恐らく、季孫子の心配事の大元はセン臾ではなく、内側だろう。

●季氏-02
孔子曰、天下有道、則禮樂征伐自天子出、天下無道、則禮樂征伐自諸侯出、自諸侯出、蓋十世希不失矣、自大夫出、五世希不失矣、陪臣執國命、三世不失矣、天下有道、則政不在大夫、天下有道、則庶人不議

先生がこう言っていた。
国が真っ当なときには、王から命令が下る。真っ当でない時には諸侯が命令を下す。諸侯が命令を下すのは無理があるから、あまり長くは続かない。世の中がよく治まっていれば、人々はだれも文句を言わない。

●季氏-03
孔子曰、禄之去公室五世矣、政逮大夫四世矣、故夫三桓之子孫微矣

先生がこう言っていた。
魯の国では、位を授ける権力が公室をはなれて五代たつし、政治が部下に移って四代たつ、だからその子孫が衰えたのだ。

●季氏-04
孔子曰、益者三友、友直、友諒、友多聞、益矣、友便辟、友善柔、友便佞、損矣

先生がこう言っていた。
つきあって有益な人物に3種類ある。正直?誠実?識者。
つきあって有害な人物に3種類ある。うわべ人間?人当たりがいいだけ人間?口だけ人間。

●季氏-05
孔子曰、益者三樂、損者三樂、樂節禮樂、樂道人之善、樂多賢友、益矣、樂驕樂、樂佚遊、樂宴樂、損矣

先生がこう言っていた。
有益な楽しみに3種類ある。礼儀を正す?人の長所を見つける?良き友を増やす。
有害な楽しみに3種類ある。おごりたかぶる?遊びほうける?酒色に溺れる。

●季氏-06
孔子曰、侍於君子有三愆、言未及之而言、謂之躁、言及之而不言、謂之隱、未見顔色而言、謂之瞽

先生がこう言っていた。
人と話すとき、してはならないことが三つある。
自分の番でないのに相手をさえぎって発言する。焦り。
自分の発言すべきときなのに黙秘する。隠し。
空気を読まずに発言する。野暮。

●季氏-07
孔子曰、君子有三戒、少之時、血氣未定、戒之在色、及其壯也、血氣方剛、戒之在鬪、及其老也、血氣既衰、戒之在得

先生がこう言っていた。
戒めとして三つある。
若い時には己の調整が不安定だから、欲の暴走に気をつける。
大人は説教くさくなるから、毒を吐かぬよう自重する。
老人は血気が衰え、物欲に囚われがちだからこれを自重する。

●季氏-08
孔子曰、君子有三畏、畏天命、畏大人、畏聖人之言、小人不知天命而不畏也、狎大人、侮聖人之言

先生がこう言っていた。
敬うべきことに三つある。
逃れられない流れ?年輩者?昔の人の言葉。

●季氏-09
孔子曰、生而知之者、上也、學而知之者、次也、困而學之、又其次也、困而不學、民斯爲下矣

先生がこう言っていた。
生まれながらの天然モノが一番。
学んで得たモノが次ぎ。
失敗して学んだモノがその次。
失敗しても教訓としないのは下。

●季氏-10
孔子曰、君子有九思、視思明、聽思聰、色思温、貌思恭、言思忠、事思敬、疑思問、忿思難、見得思義

先生がこう言っていた。
心得るべきに九つある。
ものを見るときははっきり見るようにする。
人の言葉はよく聞き分ける。
表情は穏やかにする。
控えめにする。
発言は誠実にする。
仕事は慎重にする。
疑問にぶつかったらよく考える。
腹がたったら、それを爆発したあとの事を思う。
美味しい話の裏を読む。

●季氏-11
孔子曰、見善如不及、見不善如探湯、吾見其人矣、吾聞其語矣、隱居以求其志、行義以達其道、吾聞其語矣、未見其人也

先生がこう言っていた。
良い事だと思えばためらわず実行し、良くない事だと思えば、熱湯に手を入れたかのようにすぐ中止することだ。そう言う人は見たし、聞いた。世俗から離れその志を貫き、正義を立てて貫こうとする。こういう考えは聞くがいまだ見た事がない。

●季氏-12
齊景公有馬千駟、死之日、民無徳而称焉、伯夷叔齊餓于首陽之下、民到于今称之、其斯之謂與

先生がこう言っていた。
詩経に『人の値打ちは金では測れない。その人ならではの特長がものをいう』とある。斉の王の景公は4千頭もの馬を所持していたが、没した時だれも誉めなかった。一方、周のはじめ、伯夷と叔斉の兄弟は正義を守り、何も所持しないで没したが、今日にいたるまで称賛されつづけている。それはつまりこういうことだ。

●季氏-13
陳亢問於伯魚曰、子亦有異聞乎、對曰、未也、嘗獨立、鯉趨而過庭、曰、學詩乎、對曰、未也、曰、不學詩無以言也、鯉退而學詩、他日又獨立、鯉趨而過庭、曰、學禮乎、對曰、未也、不學禮無以立也、鯉退而學禮、聞斯二者、陳亢退而喜曰、問一得三、聞詩、聞禮、又聞君子之遠其子也

陳亢が先生のせがれの孔鯉にこう訊ねた。
あなたはなにか特別な事を先生から教えられましたか?

孔鯉答える。
いえ、昔、親父が一人でいたところを、私が小走りで通りがかりますと「詩を学んだか」と言いましたので、いや、と答えると、詩を学ばないと人間の幅がひろがらないと言うので、後日詩をやり始めました。別の日にまた親父が一人でいたところを小走りで通りがかると「礼を学んだか」と言うので、いや、と答えると、礼を学ばないと尊敬されないと言うので、後日礼を学びました。これだけです。

陳亢は退出すると喜んで言った。
いまので三つ分かった。詩の事?礼の事?そして子供を特別扱いしない事。

●季氏-14
邦君之妻、君称之曰夫人、夫人自称曰小童、邦人称之曰君夫人、称諸異邦曰寡小君、異邦人称之亦曰君夫人也

(孔子が生きた時代)王の妻の事を、王が呼ぶときは夫人といい、夫人が自分でいう時は小童といい、国内の人がいうときは君夫人といい、外国に向かっていう時は寡小君といい、外国の人がいうときは、やはり君夫人という。

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