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6.補語のまとめ

来源:庭三郎 作者:日语港 时间:2010-02-14 阅读:4830

6.補語のまとめ
6.1 主体・側面  
6.2 対象  
6.3 相手 
6.4 恩人  
6.5 場所
6.6 範囲
6.7 時
6.8 相互関係
6.9 仲間
6.10 道具・手段
6.11 原料・材料
6.12 原因・根拠
6.13 基準
6.14 変化の結果
6.15 様子
補説§6


6.1 主体・側面  
6.1.1 名詞文   6.1.2 形容詞文:主体と側面   6.1.3 動詞文:Nが・Nで・Nから  [主体のない文]  [Nが]  [Nで]  [Nから]
6.2 対象 
6.2.1 Nを   6.2.2 対象:Nに   6.2.3 対象:Nが

  ここで、これまでに出てきた補語をかんたんにまとめ、それ以外の補語についても述べておきましょう。
これまで、基本述語型の補語、特に動詞文の補語を「Nが・Nを・Nに・Nと」など、具体的な形で一通り 見てきました。次に、これらの補語を述語との意味関係から見直して、まとめて振り返ってみましょう。こ れまであまり問題にしなかった「Nが」や「Nを」についても少しくわしく考えてみます。

述語に対する名詞の意味関係は、人間が生きる世界の複雑な現実を描写するためのものですから、 実にさまざまです。しかし、それを表現する手段である格助詞の数は限られているので、一つの格助詞 がいくつもの意味関係を表す役を持たされています。そこが、日本語学習者にとって難しいところです。

さて、一般に補語には二種類あると考えられています。
一つは「必須補語」で、ある述語にとって、それがないとその述語が表わそうとするものごとが表わせ ないようなもの、その述語にとって必須不可欠のものです。
例えば、「食べる」にとっての「主体」「対象」、「行く」にとっての「主体」「場所」などです。今まで補語と して取り上げてきたものはほとんどこれです。
もう一つは、必須ではないもので、いろいろな呼び方がありますが、ここでは「副次補語」と呼んでおき ます。「食べる」にとっての「場所」「道具」、「行く」にとっての「手段」「仲間」などがその例です。特に言 わなくても「何か足りない」と感じないようなもの、です。ただし、この二つを厳密に区別することは難しい ようです。この本ではこの区別にはあまりこだわらないことにしておきます。

では、典型的な必須補語から見て行きます。後のほうでは副次的なものもとりあげます。



6.1 主体:Nが・Nで・Nから
6.1.1 名詞文
 名詞文「AはBだ」の「Aは」は、補語としてはどう考えたらいいでしょうか。いろいろな考え方がありえま すが、ここでは一応、形容詞文・動詞文と同じように「Nが」であり、「主体」と考えておくことにします。他 の考え方については、「補説§6」を見てください。
 「ハ・ガ文」、「AはBがCだ」の場合。

     東京ドームはグラウンドが人工芝です。
のように「B」が「A」の部分で、「AのB」の関係がある場合は、「B」が主体で、「Aは」は「Aの」が「主題 化」されたものと考えられます。
     カキは広島が本場です。
のような「AのC」の型の「ハ・ガ」文では、「広島」を「主体」と考え、述語名詞と連体修飾の関係にある「 カキ」が主題化されたものとします。
「主題化」については「8.ハについて」を見てください。



6.1.2 形容詞文:主体と側面
 次に、形容詞文の例を見てみましょう。
     空は青い。
     私は悲しい。
 「空」は「青い」という性質を持つ、「私」は「悲しい」という感情の、それぞれ主体であると言えます。 しかし、「ハ・ガ文」の場合は、何を「主体」とするか、ちょっと迷います。

     彼は性格が素直です。
という例で、「素直」なのは「彼」でしょうか、それとも「性格」でしょうか。
     象は鼻が長い。
の場合は、「象」自体が「長い」わけではないので、主体は「鼻」で、「象」は「象の鼻」という「Nの」が主題化されたものと考えます。
 「素直」の例でも、「彼の性格」と考えればいいようですが、
     彼は素直です。
の「彼」は主体で、「彼は性格が素直だ」の「彼」は「Nの」という連体修飾だというのは、疑問が残ります 。
 そこで「側面」という補語をたてます。「彼は素直だ」で「素直」なのは「彼」の中の「性格」という「側面」 だ、と考えるのです。
     象は体が大きい。
の「体」も側面です。(「象は大きい」が言える)
 名詞文の「ハ・ガ文」、
     このロープは長さが5mです。
の「長さ」も「側面」になります。



6.1.3 動詞文:Nが・Nで・Nから
[主体のない文]
ほとんどの動詞・形容詞にとって、「主体」は必須のものです。
主体を必要としない述語、というのは考えにくいかもしれませんが、例えば英語の「to rain」という動詞 は、それ一つで「雨降る」という意味を表わし、主体と動きの両方が一つの単語で表わされます。ただし 、英語では「主語」が必要なので、「it」を使って、「It rains.」という形で文にします。
しかし、これは例外的な表現で、人間の動作、物の動き、人・物の存在、状態、変化など、その「主体」 を動詞とは別にして表現するのがふつうです。
日本語でも主体は必須です。主体は、基本的には「Nが」で表されます。主題化されて「Nは」になるこ とが多いです。

春が来ました。
このケーキはおいしいです。
それでも、例外というものは常にあるものです。例えば、
ようやく春めいてまいりました。
の述語「春めく」に対する「主体」として別の語を立てる必要があるでしょうか。「季節が」あるいは「あた りの雰囲気が」などを補うことはできるかもしれませんが、必須の補語とは言えません。
あるいは、次の例はどうでしょうか。
「今何時ですか」「そろそろ十時になります」(時刻は)
あと一か月ぐらいで冬になります。
このように、時間や季節の移り変わりなどを表わす文のなかには「主体」を表現しないのがふつうのも のがあります。
 小説などの出だしで、
     ある日の夕暮れのことである。
のような例もよくあります。「それは」とか「この話(の時)は」などを補うのはかえって不自然です。
 また、次の例は、テレビの実況中継の初めの言葉です。
そろそろ秋の気配を感じる甲子園球場です。(こちらは?)
それぞれ、理論的には説明を付ける必要がありますが、教育上の観点からは、「例外的な表現」として いいでしょう。
また、次のような文はどう考えたらよいでしょうか。
英語の文は左から右に書きます。
「英語の文」の動詞との関係は「Nが」ではなくて「Nを」で、動詞の対象です。このような、一般に人が行 なう動作では、「誰が」ということは問題とされず、その「やり方」を説明するような文章では主体が表現さ れません。あえて主体を言うと、その人独自のやり方になってしまいます。
(一般に)英文の中の日本人の名前は「名-姓」の順に書きます。
私は、英文の中の日本人の名前も「姓-名」の順に書きます。
主体を言わないのがふつうであるこのような文は「料理型」とか「操作型」とか「対格型」とか言われま す。「料理型」というのは、料理の作り方の説明に多く現れる文型だからです。


[Nが]
さて、「Nが」に戻って、もう少し考えてみましょう。「主体」とは言っても必ずしも「主体的意志」を持って いるわけではありません。上の例の「春」や「雨」を見てもわかりますし、抽象名詞も主体になります。
  二人の間に愛が生まれました。
愛が彼女を変えました。
 ただし、二番目の例のように他動詞の主体になると、いわゆる翻訳調に感じます。
 人間の場合も、意志的な主体と、無意志の場合があります。
彼は工場をねらって爆弾を落としました。(意志)
彼はどこかで財布を落としました。   (無意志)
「は・が文」で主題の部分を表す名詞も主体と考えておきます。
  このいすは足が折れています。
私は朝早く目が覚めました。
「目が覚める」の場合は、「私の目が覚める」のように考えるのは不自然です。主題に対して「主体+ 述語」全体が一つの述語相当になっていると考えられます。主題は、その全体に対する主体になってい ます。つまり、「目覚める」の主体と同じです。

「主体+述語」の結びつきがもっと強くなると、一つの動詞と考えた方がいいものになります。つまり、「 Nが」を主体とは考えません。
私はやっとそのことに気がつきました。(気がつく)
私は何かいやな感じがしました。(感じがする)
これらは「慣用的表現」として、動詞の補語の型の例外とされます。
「ある・ない」と名詞の結びつきにも、同じような問題があります。
このことは、彼に責任があります。
「責任」を主体とするより、「彼」を主体としたいところですが、形の上では「彼」という「場所」に「責任」と いう「主体」が「ある」ことになります。
「無理がある」「関係がある」などもこの類です。

また、次のものは述語を受けてある種の「ムード」の表現になっています。この「必要が」「恐れが」など を「あります」の主体と言うべきではないでしょう。(「56.連体節」の「56.3 外の関係」の名詞です。)
これは考えてみる必要があります。
この実験は失敗する恐れがあります。
「必要がある」「恐れがある」全体で助動詞相当と考えられます。
主体の中で、原因に近いものがあります。次のようなものです。
その台風が多くの家を倒しました。 cf. 多くの家がその台風で倒れました。
そのことが彼をひどく苦しめました。    cf. 彼はそのことで(/に)ひどく苦しみました。
 「苦しめる」の例はまだかなり翻訳調という印象を受けます。原因を表す「で」などを使った方が自然で す。



[Nで]
 「Nが」以外の形が主体を表すことも、まれですがあります。例えば、次のような例では「Nで」が動作 の主体を表します。
そのことは今警察で調べています。
これは事務室で保管します。
 この「~で」はほとんど「~が」と同じですが、組織やある立場(二つの側の一方など)の人が主体であ る場合に使われます。
これは私の方で処理します。
旅行の件は、そちらで具体的な計画を立てておいて下さい。
学生の方で準備をすっかりやってくれました。


[Nから]
次に、「Nから」の主体の例。動作の起きる元を示すような場合、また、順番を表す場合などに「Nが」 の代わりに「Nから」を使うことができます。
国の妹からこんなことを言ってきました。
国の妹からさくらんぼを送ってきました。
では、田中さんから始めてください。
  前の人から順にとっていきます。



6.2 対象:Nを・Nに・Nが
6.2.1 Nを
「対象」は基本的に「Nを」で表されます。これのあるなしで、日本語の動詞全体を自動詞と他動詞に分 けることが一般的に行われています。その意味で、非常に基本的な補語です。
最も単純な、わかりやすい補語でもあり、また、あらためて考え直すと、よくわからないものです。これ があるものは他動詞とされるわけですが、では、すべての他動詞に共通する意味、言い換えれば「を」 の「意味」とは何かというと、どうもよくわかりません。

他動詞の意味とは何でしょうか。他動詞というのは「他に働きかける」動詞という意味でしょう。そこで、 その「対象」がどういう「働きかけ」を受けるのかを少し考えて見ましょう。
 いちばん大きな「働きかけ」は、ものを壊したり、人を殺したりすることでしょう。対象をそれ自体でなく すこと、とでも言えるでしょうか。

機能の消失   壊す・切る・破る・割る・殺す 
存在の消失   消す・なくす・食べる・飲む 
終了   終える・やめる・よす 

逆に、新たに存在させることも大きな変化と言えるでしょう。

造出   産む・作る・建てる・湯を沸かす・穴を掘る・書く 始める・会を開く 
増減   増やす・減らす 

その他、さまざまな状態の変化。
倒す・起こす・曲げる・伸ばす・ねじる
以上は、対象となる物そのものの変化を生じさせます。強い「働きかけ」があると言えます。
 また、存在場所を変化させる、つまり移動すること。それに、所有の移動。

場所の変化   運ぶ・動かす・つける・かける・落とす・のせる 
所有者の変化   貸す・借りる・売る・買う・渡す・受け取る 

 以上が、対象に実際に変化を与える「働きかけ」の例です。
次のような精神的な行為は、対象に変化は起きませんが、働きかけはあると言えそうです。
読む・調べる・見る・聞く・尋ねる・見せる
もっと精神内部の行為だと、働きかけとは言いにくくなりますが、これらも他動詞で、多くは受身にもな ります。

精神的   憎む・恐れる・思う・忘れる・覚える・信じる・感じる 

 結局のところ、「を」の意味が何かということは、広がりがありすぎて、はっきりとは言えません。はじめ に述べたように、何らかの「働きかけ」がある、という漠然としたことしか言えません。後で見る「対象の ニ」との明確な区別をつけることは難しくなります。
また、他動詞とされる動詞でも、動作の影響が自分自身に戻ってくると言える次のような動作は、「他」 への働きかけとは言えず、「他動詞性」が弱い、ということが言われます。
足の骨を折る・服を着る・シャワーを浴びる
このような動詞を「再帰的」な動詞と呼ぶことがあります。ヨーロッパの言語に見られる「再帰動詞」とい う用語の影響でしょう。ただし、「再帰性」の強さには段階があり、上の三つの例のどこまでを「再帰的」 と考えるかには議論があります。


6.2.2 対象:Nに
 この「Nに」は「相手」と呼ばれることがありますが、ここでは「Nを」と並んで「対象」と呼んでおくことに します。ある動作が成立するために、主体以外にもう一つ要素が必要で、それが「Nに」で表され、しか も何らかの「働きかけ」を受けると見なされると、「Nを」と同じ役割を果たしていると言えます。「を」と同じ ように、働きかけの強弱は様々ですが。
人/壁に寄りかかる   吊革につかまる
  犬が人にほえる     手にかみつく
  人に頼る        人に遠慮する
  仕事に慣れる      仕事にはげむ
親に似ている      ネクタイが服に合う
 ある動作が成り立つために、「主体」の他にもう一つある「何か」が必要な時、それが「Nを」で表される か、それとも「Nに」で表されるかは、何によって決まるのでしょうか。以上の例で見る限り、「Nに」をとる 動詞には何らかの「方向性」が感じられます。何かに対する動作、そちらを「向いている」感じがします。 「到達点」の「Nに」との関連がありそうです。そうは言っても、「Nを」の中で「方向性」のあるものを探す ことは難しくありません。
     頂上を目指す      南を向く
     真理を追究する     人の意見を批判する
     人を愛する       その行為を憎む  
 「人に頼る」は「人を頼る」という言い方もあります。「人を恋する」は 「人に恋をする」でもいいでしょう。 「意見を批判する」と「意見に反対する」で「を」と「に」の意味の違いを言うことは難しいです。
 次の「Nに」はどう位置づけていいか迷うものですが、「対象」に含めておきます。
  風景を写真に撮る
  三者の関係を図に表す
特ダネを記事に書く
最後の例の「記事に」と「新聞に記事を書く」の「新聞に」は違います。 これらの場合は、「写真」や「図」というものが先にあるのではなく、「写真を撮った」り、「関係を表した」 りした結果として、「写真」や「図」ができあがるという関係にあります。「穴を掘る」や「湯を沸かす」の「N を」と似たところがあります。「結果」の補語、とすることもあります。
次の「Nに」は、この本では「対象」に入れておきます。
   柳の木がお化けに見えました。
 この構文には、別の分析があります。例えば上の例を、
   (私に)[柳の木がお化けだ]見えた
のように、複文のような構造を持つものだと考えるのです。理論的には魅力ある分析ですが、この本で はそれをとらず、補語とします。

 なお、形容詞文の「対象のニ」は「3.6.2」でとりあげました。「Nに対して/関して」の意味になります。
  若い女性に親切だ   この辺の地理に詳しい
地球に優しい   酒に強い   数字に弱い



6.2.3 対象:Nが
 「NはNが~」の型の文で、「Nが」が対象を表す場合がありました。
     彼はタイ語がわかります。
     彼女は子どもが三人あります。
     私はバドミントンが好きです。
     彼は料理が上手です。
     私はふるさとが恋しいです。 
 動詞は状態動詞であることが一つの特徴です。感情形容詞の多くがこの形をとります。
 「ある」の例の「子ども」はとりあえず対象としておきますが、
     彼女には子どもがありません。
となると、「彼女」は「場所」で「子ども」は主体ということになります。どちらにしても問題の残る例です。


6.3 相手:Nに・Nから
 対象の「Nを」をとる動詞で、その対象の物理的・抽象的移動の行く先となる[ひと]または[もの]の「N に」をとる場合、それを「相手」と呼びます。
 初級教科書で「人にものを」の形でよく出てきます。
     友達にノートを貸しました。
     外国人に日本語を教えます。
  [人に ものを]あげる、貸す、渡す、売る
   [人に ことを]頼む、言う、たずねる、(道を)聞く、教える
 これと、対象の「Nに」との違いは何かということも、難しいところです。それで、両方をまとめて「相手」 とする考え方もあり得ますが、ここでは「Nを」の有無によって分けておきます。

 同じように、物理的・抽象的移動のでどころとなる[ひと]または[もの]の「Nから」を「相手」とします。 典型的には[人からものを]の形になります。
     乗客から財布をすります。
     知り合いから車を買います。
     [人から ものを]買う、受け取る、とる、盗む、する
 「Nから」のほうは「相手」としない文法書が多いかとも思いますが、貸し借り・売買の「相手」という点 で共通すると思いますので、「Nに」とともに「相手」にしておきます。
 この「Nに・Nから」が[ところ]の名詞の場合は、後でとりあげる「場所」とします。


     
6.4 恩人:Nに・Nから
動作を受ける主体を「Nが」で表し、その動作が発する人を「Nに」で表す動詞があります。その場合、 の「人に」を(半分冗談で)「恩人」と呼ぶことにします。「Nから」でも言えるところが特徴です。
人に/から ものを もらう、借りる、習う、教わる
 「組織」から「もらう」場合は、「に」は使えません。
     会社から給料をもらいます。(×会社に)     
 同様に「本を借りる」の場合、「図書館から」で、「図書館に」とは言えません。かわりに、「図書館」を[ 場所]と見て、「Nで」が使えます。
     図書館から/で/×に 本を借ります。
給料の例で「会社で」とすると、意味合いが変わります。銀行振込ではなく手渡しで受け取る、という感じ です。

 この「に」も「から」も使えるという動詞は、何か抽象的な移動を表すものです。「借りる」の場合も、重点 は物理的な移動よりも(一時的な)使用権の移動とでも言うべきところにあります。単なる物理的移動で ある「受け取る」は「に」が使えません。
     郵便屋さんから手紙を受け取ります。(×郵便屋さんに)
 「方向」や「到着点」を表し、方向性の感じられる「対象」や「相手」にも使われる「に」が、反対方向の動 きにも使えるというのは、不思なことです。学習者にも、「出発点」の意味を持つ「から」のほうが理解し やすく、使いやすいようです。


6.5 場所:Nに・Nで・Nを・Nへ・Nから・Nまで
 方向性や移動の話が続いたので、「場所」の補語について述べておきます。場所を示す格助詞の使い 分けの問題は「4.3.8-9」や「4.5 場所を表す助詞」で触れました。ここではその意味的な役割を並べて みます。
 場所と言ってもいろいろな役割があります。
    カギはここにあります。 (存在の場所)
     この部屋で寝ます。   (動きの場所)
     歩道を歩きます。    (移動の場所)
     学校へ/に 行きます。 (目的地)
     バスに乗ります。    (到着点)
     箱に本を入れます。   (到着点)
     駅を出ます。      (出発点)
     三番線から発車します。 (出発点)
     本棚から本をとります。 (出発点)
     窓から入ります。   (経由点)
     学校まで走ります。   (終点)
 かっこの中の名称は、便宜的なものです。細かく検討し始めると、いろいろ問題が出てきますが、ここ では議論しないことにします。
これらをみな個別の補語の種類と考えるか、「場所」という補語の下位分類とするか、という問題もあり ます。(→「補説§6」)
理論的には難しいところですが、教師と学習者にとっては、上のようなそれぞれの違いを理解し、使い 分けられればいいわけでしょう。
 なお、「相手」の「人に/から ものを」に対応する「所に/から ものを」はここに入ります。
     恋人にチョコレートをあげます。 (人に)
     本棚に本を並べます。 (所に)
     知り合いから中古のワープロを買いました。(人から)
     カバンから道具を出しました。 (所から)
 こう並べると、「相手」も「到着点・出発点」の一種と考えてもよさそうですが、[ひと]であることを重んじ て別にしておきます。
 対象の「Nが」をとる動詞の主体が「Nに」になる場合は「抽象的な場所」としておきます。
     彼にはこの問題は解決できません。
     彼女には夫があります。



6.6 範囲:Nで
「範囲」は、あることが成り立つ範囲を示します。「Nで」で表され、一つの文の中に「場所」とともに使 われることがあります。その場合「Nでは」となることが多いようです。
日本でいちばん大きい。
この中ではいちばん速い。
     東京では友達の家に泊まった。
     この本では第3章でこの問題を扱っている。
 最後の二つの例は「で・に」「で・で」が使われている例です。(→「4.5 場所を表す助詞」)



6.7 時:N・Nに・Nから・Nまで・Nで
 時の補語も、場所と同じようにいくつかに分けられます。
     3時に会います。    (時点)
     3時間勉強します。   (期間)
     3時から働きます。   (開始点)
     3時まで遊びます。   (終了点)
     3時で締め切ります。  (範囲の終り)
     3時間に1回できます。 (時点)
     3時間でできます。   (範囲)
 かっこの中の名称にはあまりこだわらないで下さい。始めと終わりがある点は、場所と共通するところ です。
 次の例では、[とき]の名詞が使われていますが、ふつうの「対象」の「Nを」と考えます。[とき]の名詞 を主体や対象としてとるような特別な動詞に限られます。
     この土地で20年を過ごしました。



6.8 相互関係:Nと
主に人が関係する補語としては、他に「相互関係」「仲間」があります。
「Nと」で表わします。その動作を行うためには、必ずもう一人の相手を必要とする動詞や、二つのもの の関係を表わす述語がとる補語です。「Nに」でも言える場合は、双方向的か一方かの違いになります。 「Nに」なら「対象」になります。
     彼女は喫茶店で彼と会った。
     彼女と彼は喫茶店で会った。
     彼女は喫茶店で彼に会った。
   当たる  まざる  近づく  並ぶ       結婚する  契約する
    似ている 等しい 同じだ  違う  異なる    知り合いだ  友人だ 同郷だ
 「Nを」がある場合。「Nに」なら「相手」です。
     右手を左手と合わせる。
     右手を左手に合わせる。
     右手と左手を合わせる。(この「と」は並列助詞)
     その問題を先生と/に 話す/相談する
話す  約束する  相談する
       まぜる  並べる  近づける  当てる  ぶつける



6.9 仲間:Nと
「Nと」です。「Nといっしょに」の意味で、多くの動詞に使われます。並立助詞の「と」と近いのですが、 ちょっとした違いがあります。
1 彼女は彼と学校へ行った。(仲間、つまり「と」は格助詞)
2 彼女と彼は学校へ行った。(並立助詞、「彼女と彼」は名詞句)
例1のほうは「いっしょに」行ったのですが、例2のほうでは別々でもかまいません。「彼女は学校へ行 った」と「彼は~」の二つの文をいっしょにしただけです。例1では「彼と行った」ので、行き方が違うので す。
先ほどの「相互関係」は必須補語ですが、「仲間」は副次補語です。
 「仲間」の「Nと」と「Nといっしょに」の違いは、「Nと」が「Nを」と共には使えないことです。
     昔の日記を手紙といっしょに焼きました。
    ?昔の日記を手紙と焼きました。



6.10 道具・手段:Nで
一般的な道具、交通手段、言語などを「Nで」で表します。
ワープロで原稿を書きます。
自転車で学校に通います。
日本語で話します。
ひらがなで書いて下さい。
やさしいことばで文章を書きます。
このやり方でやってみます。



6.11 原料・材料:Nで・Nから
原料は「Nから」、材料は「Nで」で示される、と説明されます。つまり、元がわからないほど変化してい れば「から」、そのものを見て元がわかれば「で」だと言われますが、微妙なところもあります。
折り紙で鶴を折ります。
牛乳からチーズを作ります。
牛乳と小麦粉で/から お菓子を作ります。
石油からさまざまな樹脂を合成します。



6.12 原因・根拠:Nで・Nに・Nから
原因は「Nで」または「Nに」で表します。精神的なことの原因は「Nに」で表します。微妙なところはよく わかりません。
事故でけがをしました。(×事故に)
病気で学校を休みました。(×病気に)
  雨で/に 濡れました。
  寒さで/に 震えています。
仕事で/に 疲れました。
  恋に疲れました。(×恋で)
みんな彼女の優秀さに驚きました。(×で)
このぐらいのことで/に 驚いてはいけません。
 判断の根拠となることを「Nで」または「Nから」で表します。
  声で(田中さんだと)わかりました。
  その人のことば使いから出身地が推測できます。



6.13 基準:Nで・Nに・Nから・Nより
 述語の意味内容が成立するための条件や限定を示します。形容詞文や名詞文でもよく使われます。「 基準」という名のもとにさまざまな用法を含めておきます。
  これは規則で決まっています。 
  重さで小錦の2倍、体積で3倍あります。
これは三つで百円です。
いま1ドルは日本円でいくらですか。
このやり方は規則にあっていません。
一日3本で止めます。
これは私には難しい/無理 です。
  私の家は駅に/から 近いです。
 「比較の基準」と言われる「Nより」は「17.比較構文」でとりあげます。
  今日は昨日より涼しいです。



6.14 変化の結果:Nに
 この本では以下の例を「変化の結果」を表わす必須補語とします。
     彼らの子どもは来年大学生になります。
     子どもを弁護士にします。
     信号が赤から青に変わりました。
     志望を法律学に変えました。
 これらを、「AがBになる」の「Bに」を「Bだ」の変化した形とする分析があります。図式的に表すと、次 のように考えるのです。
     来年[彼らの子どもが大学生だ]なる
 そう考えるとこれは複文になりますが、この本ではそのような理論的な分析はとらないことにします。( 「対象」の「Nに」にも同じような分析ができる構文がありました。→ 6.2.2)



6.15 様子:Nで
「Nで」で表されます。
あの先生はいつも大声で話します。
毎日一人で晩御飯を食べます。
  砂浜を裸足で歩きました。
  全力で困難に立ち向かいます。
  珍しく、スーツ姿でやってきました。
  笑顔で「いいよ。」と言いました。
  政府は強気で交渉した。
 修飾語がついた形でないと使えない「Nで」が多くあります。
疲れた顔で帰って来ました。(×顔で帰ってきました)
重い足取りで家へ帰ります。
落ち着かない様子で座っていました。
明るい声でそう言いました。
汚い格好で歩き回ります。
 上の「大声で・スーツ姿で・笑顔で・強気で」なども、意味の上では修飾語が含まれた形になっていると 言えます。(大声で→大きな声で)


 以上で補語を一通り振り返ってみたことになりますが、つくづく難しいものだと感じます。分類のための 分類でなく、全体の見通しをわかりやすいものにするにはどうしたらいいのか、実用的でかつ理論的な 整合性のある分析が求められているところです。


[参考文献]
益岡隆志・田窪行則 1992『基礎日本語文法  改訂版』くろしお出版 
寺村秀夫 1978『日本語の文法(上)』国立国語研究所     
寺村秀夫 1982『日本語のシンタクスと意味I』くろしお出版   
益岡隆志・田窪行則 1987『セルフマスターシリーズ3  格助詞』くろしお出版
森山卓郎 1988『日本語動詞述語文の研究』明治書院
益岡隆志 1987『命題の文法』くろしお出版
石綿敏雄 1999『現代言語理論と格』ひつじ書房
村木新次郎 1991『日本語動詞の諸相』ひつじ書房
北川千里他 1988『助詞』荒竹出版

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[補説]
§6 補語の立て方
 補語の立て方は本によってかなり違います。この本では比較的素朴な、わか
りやすい立て方をしたつもりですが、どうだったでしょうか。他の本を読むと
きのために、多少補いをしておきます。ここは「補足説明」ですので、わから
ないところがあってもかまいません。読み飛ばしてください。

A.「主体」はかなり大まかなものです。もう少し狭くして、「動作主」とか
 「仕手(して)」という名前で、意志的な動作、あるいはもう少し広く一般の動
 きの主体を示すことがよくあります。「動作主」と対立するのは「経験者」
 で、「階段から落ちる」とか「人が驚く」という場合の「Nが」です。意志
 的な動作ではないからです。あとの例を「感情の主体」として「動作主」と
 は別にすることもあります。

  さらに意味中心の立て方をすると、「ガラスが割れる」などの「Nが」を
 「対象」とする考え方になります。「ガラスを割る」の「Nを」と一貫した
 名付けをしようというわけです。実際の場面では「ガラス」の「役割」は同
 じで、「割る」か「割れる」かは表現者のとらえ方の違いだと考えるからで
 す。世界の言語の中には、このような「ガラスが」と「ガラスを」を同じ形
 で表す言語があるそうで、そのような言語を含めて、世界の言語の構造を統
 一的に説明しようとする場合、魅力的な分析法になるわけです。

B.「対象」を「Nを」だけに限ることがあります。そうすると、この本で 
 「対象」とした「Nに」は「相手」などと呼ぶことになります。「相手」は
 基盤の怪しい補語で、「到着点」などと一緒にしてしまったほうがすっきり
 するのかもしれません。

C.この本では、補語を考える際に三つの点を考慮しました。

  ① どんな格助詞を使うかということ。「Nが」「Nを」など。
  ② 述語に対してどんな意味関係かということ。「主体」「対象」など。
  ③ その名詞自体の意味分類を考えること。[ひと][もの]など。

 これとは違った考え方もあり得ます。特に、③をどの程度考慮するか、どこ
 まで細かく分けるかでずいぶん違ってくるでしょう。


D.この本では文の基本構造を「補語-述語」と考えましたが、それを

    主語-(目的語)-述語

 とする考え方があります。主語とは「Nが」で、目的語とは「Nを」と、対
 象・相手の「Nに」です。格助詞の中で特に「が、を、に」を重要視して、
 他の格助詞とは別扱いをするのです。

  「主語」は英語の文法などでは特別に重要なものです。英語で、疑問文の
 作り方(You will~:Will you~)や、いわゆる「三単現の -s (do:does)」
 などさまざまな文法現象を考えると、その重要性がわかります。

  しかし、日本語ではそれほど重要なものではありません。文には必ず主語
 がある、(特別な例外や「省略」は別として)という主張がありますが、そ
 れは、述語の主体が意味的に必要なだけであって、文法的(構文論的)には
 それほど重要ではない、という反論があります。

  「主体」のところで紹介した「Nで」や「Nから」をどう考えるか、「対
 象」の「Nが」や、「部分」「側面」の「Nが」はどう扱うか。また、ある
 種の「Nに」を「主語」に入れるべきだという論もあり、「主語」とは何か、
 というのはかなり議論のある問題です。

  この本では「主語」ということばを使いませんでした。日本語では、文の
 成り立ちを知るために重要なのは「主語」よりも「主題」です。概念のはっ
 きりしない「主語」を使わず、形としての「Nが」と、意味的な「主体」の
 二つを使って説明ししてきました。それでかえってわかりにくくなったとこ
 ろもあるかもしれませんが。

E.補語に関して「役割」という言い方をしましたが、専門用語としては「格」
 という言葉がよく使われます。「格助詞」の「格」です。この用語の使い方
 には諸説あり、めんどうなので使わないことにしてしまいました。!

   ここで、「補足」という形で少し説明しておきます。まず、補語の「形」
 として「格」という用語が使われます。「Nが・Nを」などをそれぞれ、

     ガ格、ヲ格、ニ格、ヘ格、デ格、カラ格、・・・

 と呼ぶこともあります。
  そのような形だけの呼び名でなく、文法的な役割を含んだ呼び名として、

     主格、目的格/対象格、与格、位(置)格、方向格、具格、・・・

 という呼び方もあります。「与格」というのは「相手」の「に」などで、位
 格というのは「所に」です。「人にコトがデキル」などの「に」も位格とさ
 れます。「具格」というのは「道具・手段」の「で」です。

  それから、もっと意味的な格の立て方もあります。「主格」を分解して、
 「動作主格」「経験者格」としたりします。この考え方については、前にも
 触れました。

  意味的な格は細かい違いを言いやすいので、説によって、「に」や「で」
 など用法の多い格助詞の用法をいくつに分けるかがかなり違ってきます。
    
F.基本述語型の述語は、いくつかの補語をとりうるわけですが、同じ種類の
 補語をとることは非常にまれです。同じ種類の補語は、一つの述語に対して
 一つだけ、という原則があると考えられます。仮に「同格一個の原則」(三
 上章による)と呼んでおきます。

  例えば、次の文はまちがいです。同じ種類の補語が二つあるからです。

    ×リンゴをみかんを食べた。
    ×銀行へ郵便局へ行った。

  このような場合、同じ種類の補語は「と」などで結んで一つの名詞句にし
 ます。そうすると、補語としては一つになります。

     リンゴとみかんを食べた。
     銀行と郵便局へ行った。

 次のような例はあり得ます。

     まずリンゴを、それからみかんを、最後にいちごを食べた。

 この場合は、一つの動詞「食べた」に三つの補語があるのではなく、

     まずリンゴを食べ、それからみかんを食べ、最後にいちごを食べた。

 の二つの動詞「食べ」が省略されているものと考えます。もちろん複文です。
 「まず・それから・最後に」という副詞が示すように、これらは三つの、別
 々の動作(事柄)を表していますから。これらの副詞を省いて、

     リンゴを、みかんを、(そして)いちごを食べた。

 とすることもできなくはありませんが、かなり修辞的な文体という感じがし
 ます。それにしても、やはりかっこの中の「そして」はあった方がいいでし
 ょう。この「そして」によって起こった事柄の順番が示されています。

G.場所の「で」のところで、「で」が重なる例がありました。

     その問題は、この本では第二章で扱っています。

 この場合、「本で」のほうを「範囲」としました。ちょっと問題の残る解決
 法かもしれません。「この本の第二章」という関係の二つの名詞の場合は、
 同じ種類の補語が二つ、でもいいのかもしれません。

  時の補語の場合も、似たようなことが起こります。次の例を見てください。

    (1990年3月6日に、ある珍しい放電現象が北海道で観測された。)
     1991年には、3月1日と9月9日に同じような現象が起こった。

  この「には」はどう考えたらいいでしょうか。「時」以外ではありえませ
 んから、やはり同じ補語が二つ使われている、としか言えません。「同格一
 個の原則」の例外です。「原則」には例外がつきものです。

H.次の例もちょっと考えさせられました。

     へびは体が長い。

 「長い」に対して、「へび」も「体」も主体と言えそうです。この二つの名
 詞は「へびの体」という「部分の関係」にあります。このような場合のため
 には、前にも述べたように、「側面」という補語をたてておきます。それで
 問題解決なのかどうかは怪しいです。 

     法律はこれを遵守すべし。

 このような「これを」は例外扱いするしかありません。


I.抽象的な方向・移動
 主体の対象に対する動作も、抽象的な移動と考え、主体から発し、対象にと
毒ものと考えると、出発点・到着点として解釈することができます。同じ意味
で、原因も出発点になります。時間の始点と終点も同じ枠の中で考えると、ほ
とんどの(必須)補語が「初め」と「終わり」と見なすことができます。

初め          終わり

動作の方向  主体         対象・相手
           人が          物を     壊す  
            (働きかけ)
           人が          人に     物をあげる
(対象の移動)

   因果関係   原因         結果の事実
           地震で         停電に   なった  

時      始点         終点
           2時から        3時まで    勉強する 
                       3時で   止める  

   場所      駅から         家まで   歩く  

 しかし、ここまで抽象化することは、この本のような記述的文法には必要の
ないことかもしれません。


J.最後に、名詞文の「主体」について。これについては、結局、どう考えた
 らいいかわかりません。動詞文の主題は、補語が「主題化」されたものと言
 えますが、名詞文の場合は最初から主題で、「Nが」が「Nは」に主題化さ
 れたものとは、どうも考えにくいのです。

形容詞文の場合は、性質や感覚の持ち主としての「主体」という補語を考
 えることができます。その場合の格助詞は「が」しかありません。

「名詞述語」というのも、あらためて考え直すと、ちょっと怪しいところ
 があります。別の分析の可能性としては、「だ」が二つの名詞を補語のよう
 なものとしてとる、という分析が考えられます。その場合でも、この二つの
 名詞の役割は、動詞文や形容詞文の補語とはかなり違ったものと考えるべき
 でしょう。

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