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《用心棒日月抄》译者:程长泉

来源:程长泉 作者:程长泉 时间:2023-10-14 阅读:864

译者简介:

程长泉老师,山东济南平阴人,毕业于吉林大学外国语学院日语系,文学硕士,曾留学于名古屋大学。青岛大学外语学院副教授,日语翻译与写作教研室主任,硕士生导师。在译林出版社、作家出版社等出版了《浪客日月抄》、《化妆》等译著18部,青岛首席日语同传。


《用心棒日月抄

犬を飼う女

 大家の六兵衛に聞いた家は、きてみると古びたしもた屋だった。諸職口入れと小さな看板が下がっていなければ、うっかり見過ごすところだった。隣が騒々しく竹を切つたり、裂いたりしている竹屋で、右側は小間物屋である。家はその間にはさまってひっそりと戸を閉じていてひと気もない。

青江又八郎循着房东六兵卫告诉的路径找到了那栋房子,走到跟前才发现那是一家破旧不堪的商户,门口挂着一块职介所的招牌,若没那块小小的招牌,差点儿就走过了。左邻是一家竹器作坊,篾匠们正忙着劈竹子,破竹篾,一派热火朝天的景象。右舍是一家经营梳妆用品的店铺。那栋房子夹在左邻右舍之间,大门紧闭,听不到丝毫动静。

――留守か。

と青江又八郎は思った。

——不在家?青江又八郎心想。

 しかし試みに格子戸を引いてみると、戸は難なく開いて、正面に坐ってこちらを向いている男とばったり顏が合った。丸顔で五十ぐらいの年配にみえる色の黒い男である。一瞬又八郎は、男の顏から狸を連想した。狸に似た男は、上りに続く部屋の閾ぎわに粗末な机を構え、その向うに坐っている。そばには机よりも高く帳面のようなものが積み重ねてあり、机の上には筆と硯が乗っている。男は又八郎をみると、頬杖の腕をはずした。

他试着拉了拉房门,没想到很轻松地就拉开了,迎面看见一个男人面朝门口坐着。那个人看上去五十来岁,一张圆脸,肤色黝黑。男人的长相让又八郎瞬间联想到了老狐狸。门槛处摆着一张粗劣的案台,面似狐狸的男人就坐在案台后面,身旁是高出案台的一摞账簿,案台上摆放着笔墨纸砚。那人一直双手托腮在那里坐着,看到又八郎进来,马上把手放了下来。

春の日射しが溢れている外から入ったせいか、男の背後の部屋が殊更暗く見えた。調度の品も少なく、どことなく寒ざむしい。男のほかに人の気配はなかった。

外面春光明媚,进得屋来,又八郎感觉男人身后的房间格外昏暗。家什很少,虽然不是家徒四壁,但总令人觉得寒碜。除了这个男人,家里好像没有其他人了。

様子ではあまりはやっていそうもないな、と思いながら、又八郎は声をかけた。

看样子生意很冷清啊!

「ご主人か」

“您是老板吗?”又八郎问道。

「さようでございます」

“正是!”

男はむっつりした表情で答えた。相手が侍だからと、とくに改まった様子が見えないのは、又八郎のような浪人者を扱い馴れているのだろう。

男人阴沉着脸回答。他并没有因对方是武士而肃然起敬,看样子像又八郎这样的浪人他见多了。

「じつはそれがし、鳥越の寿松院裹にある嘉右衛門店に住まっている青江と申す者だが、手頃な職がないかと思って探しておる」

“在下是青江,住在鸟越寿松院后面的嘉右卫门大杂院里,想找一个比较合适的活儿。”

「············」

“………”

「そこで大家の六兵衛どのに相談したら、こちらヘ行けと申されての。それでうかがったわけじゃが······」

“找房东六兵卫商量,他让我到您这里来。于是不揣冒昧前来打搅……”

「どうぞ、そてヘおかけください」

“您请坐!”

と男が言った。そこというのは板敷の上り框のことである。ペつに敷物も置いてない。腰をおろすと、たちまち尻の下から冷えが立ちのぼってきた。

男人说道。他所说的坐下的地方就是门槛儿。门槛上也没铺什么东西,又八郎一坐下,就觉得屁股底下冒凉气。

なんとなくみじめな気がしたが、仕事の世話を受けるのだから仕方なかった。客で来たわけではない。国元を出奔するとき持ってきた金は、あらまし底をついて、今日明日というほどではないが間もなくして文無しになる。早急に身過ぎの手段を講じる必要があった。

又八郎觉得自己好可怜,但来这里是为了求人介绍工作,又不是来做客的,受人冷遇也是没办法的事。逃离家乡时带来的那些钱,这会儿也快花光了。虽说今明两天还不至于饿肚子,但很快就要身无分文了。为了糊口,必须尽快想办法。

「ご浪人さんですな」

“您是浪人吧?”

「さよう」

“是的”

「どちらにお勤めでございました?」

“此前在何处高就?”

「北の方のさる藩じゃが、わけあって申しかねる」

“北边的某个藩,因为某些缘故,恕难奉告。”

男はうなずいた。みると机の上に半紙をひろげて、筆でなにか書きつける構えである。

男人点点头。把和纸铺开,拿起毛笔,看架势是要写什么东西。

「禄を離れられて、どのくらい経ちますか」

“失去俸禄有多久了?”

「さよう。およそ三月半か」

“大约三个半月吧!”

答えながら、あれからそんなになるかと又八郎は思った。

又八郎如此回答,离开家乡已然三月有半,不由得心生感慨。

男は鑑定するように、じろじろと又八郎の姿を眺めている。男は六兵衛の話によると吉蔵という名である。吉蔵の眼には、品物を値踏みするようないろがあった。無礼な男だ、と又八郎は思ったが、吉蔵にしてみれば人間の世話をするのだから、人体を見さだめる必要があるかも知れなかつた。

男人眼睛骨碌碌地上下打量青江又八郎,那样子像是在估量来者。听房东六兵卫讲,这个男的名叫吉蔵。看吉蔵的眼神,分明是在给货物估价。又八郎心想,这个男人好无礼!但于吉蔵而言,他是在帮人找活儿干,必须看清楚对方的品貌。

家族はあるか、身体は丈夫か、また江戸に知り合いはいるかなどと吉蔵は聞き、又八郎が答えると、それをいちいち書きとめる。そしてこう言った。

是不是有家室,身体是否结实,在江户有没有熟人等等,吉蔵问了很多,又八郎逐一回答,吉蔵在纸上一一写了下来。

「それで、お望みは?」

“您有什么希望?”吉蔵放下笔,问道。

「高い望みは持っておらん。いま申したとおり、妻子がおるわけではなし、糊口をしのげば足りるが······」

“没有什么奢望,就像刚才我说的那样,没有家室,一人能糊口就足够了……”

又八郎がそう言ったとき、勢いよく戸が開いて人が入ってきた。雲つくように身体が大きく、頬髭をたくわえた浪人風の武士だった。

又八郎话音未落,屋门一下子被拉开,一个人气势汹汹地闯了进来。又八郎抬眼一看,那是一个身形庞大、蓄着络腮胡子的浪人武士。

「相模屋」

“老板!”

浪人は土間に立ちはだかったまま、嚙みつくような声で怒鳴った。

浪人双脚叉开站在不铺地板的土房间里,气势汹汹地大发雷霆。

「話が違うぞ、話が。貴様のおかげでひどいめにあったわ」

“你给介绍的活儿根本不是那么回事!托您老的福,我可倒了大霉了!”

「どうなされました? 細谷さま」

“您这是怎么了?细谷先生!”

吉蔵は少しも動じなかった。狸のようなとぼけた表情で浪人を眺めている。

吉蔵丝毫没有慌乱,远远地看着浪人,一副莫名其妙的表情。

「人足を監視する役目だと、貴様確かにそう申したろうが······」

“您说过我的职责就是监督那些脚夫……”

「さようですが」

“没错啊!”

「ところが大違いだ。行ってみると監視する人間はちゃんといて、わしにも働けと申す。いまさら引っ返しもならんから、人足と一緒に力仕事をして参ったが、いまだに腰が痛む」

“可根本不是那么回事!到了那里一看,监工早就有人了,竟然吩咐我也去干活!事已至此也没法再回头了,只好和那些苦力一起干力气活儿,我的腰现在还疼!”

「おや、どこで手違いがありましたかな」

“天哪!这又是哪里出了差池了?”

「ちゃんと調ベろ、ちゃんと。無責任きわまる」

“好好查查!你也太不靠谱了!”

「しかしお手当ては悪くなかったはずですが」

“但报酬应该不错吧?”

「あたりまえだ。それで手当てが悪かったら、ただでは済まさん。それでだ。ほかになにかいい仕事は入っとらんか。今度はいい仕事を回せ」

“那是理所当然的!工钱少的话,我可跟你不算完!还有,这会儿有没有什么好活儿?这回一定要给我派个好差事!”

「お待ちくださいまし。こちらの方を済ませまして、それからご相談しましょう」

“请您稍安勿躁!先把这位的事情弄完了再跟您商量吧!”

吉蔵が言うと、細谷という浪人は漸く又八郎の後の方に腰をおろした。上り框の板敷がぎちっと鳴ったほど、大きな身体だつた。

听吉蔵那么说,那个叫细谷的浪人总算在又八郎的身后坐下了。魁梧的身躯如同一座小山,压得地板咯吱咯吱响。

「そうですな」

“说我们的。”

吉蔵は又八郎に顔を戻した。

吉蔵转过头来看着又八郎。

「さるお旗本から中間が一人欲しいと、また但馬の出石藩から足軽というご注文を頂いておりますが、青江さまのように、前のお勤めを隠されては無理でございます。この土地に知り合いがあれば別ですが······」

“某位旗本需要一个中间,但马的出石藩想要一个足轻,但像您这样隐瞒过去的职务的话,这事就很难办了。您在这个地方要是有熟人那又另当别论……”

「いや、勤めは望まんのだ。もそっと手軽な仕事がないかの」

“不必了,不指望什么职务,有没有比较零碎的活儿?”

「あとは、と······」

“剩下的嘛就是……”

吉蔵は帳面をとりあげて、ペらペらとめくった。指でさしながら読みあげる。

吉蔵拿起账簿,呼啦呼啦翻页。接着一边用指头指着一边高声念诵。

「番町の斎藤さま。これはお旗本の斎藤さまですが、お屋敷の普請手伝いというのがありますな。これは細谷さまのようなぐあいになりますかな」

“番町的齐藤先生,这是位旗本,他们家要修缮府邸,需要一个帮工。但这个活儿和细谷先生干的活儿差不多。”

「············」

“……”

「神田永富町の本田さま。ここは道場稽古のお手伝いですな。一刀流の腕に覚えのある方 ············」

“神田永富町的本田先生,这里需要一个道场的陪练,若您对一刀流的剑术有信心……”

「親爺。その口をおれがもらおう」

“老爷子!这个美差我揽下了!”

不意に細谷という浪人者が言った。もう立ち上がっている。又八郎も啞然としたが、吉蔵も渋い顏をした。

那个叫细谷的浪人忽然半路杀出,斜眼一看,他已经腾地站了起来。又八郎目瞪口呆,吉蔵也满脸不悦。

「しかし············」

“可是……”

「しかしもヘちまもあるか」

“什么可是不可是的!”

細谷は乱暴な口をきいた。

细谷言语粗鲁。

「前には土方人足の口を回した。今度はきちんとした仕事をよこすベきだ。ともかく行ってみる。雇われると決まったらまた来る。永富町の本田と申したな」

“上次你给我介绍了个脚夫的活儿,这回应该给我分派个像样的好差事!我先去看看,雇主同意雇我的话我再来给你汇报。你刚才说是永富町的本田是吗?”

細谷はそう言うと、勢いよく戸を開けたてして出て行った。

细谷撂下这句话,拉开门风风火火地走了。

「攫われたな」

“一桩美差被抢走了!”

と又八郎は言った。道場の手伝いならうってつけの仕事だと思ったのだが、髭男が横どりして行った。さすがに江戸は油断出来ない土地だと思つた。

又八郎一声长叹。他觉得道场陪练最适合自己了,可是被那络腮胡子横刀夺爱。江户这个地方真不好混,必须处处小心。

「青江さまは、こちらは相当おやりで?」

“青江先生擅长这个?”

吉蔵は丸く太った指をかざして、撃剣の真似をして見せた。

吉蔵竖起浑圆的手指,做了一个剑击的手势。

「自信はある。これは帳面につけておいてもらおう」

“略知一二。您把这条写在账簿上吧!”

「それは惜しゅうございましたな」と吉蔵は言った。

“真替您惋惜!”吉蔵说道。

「本田さまのところは、時どき頼まれますがお手当てがなかなかいいのですよ。しかしさっきの細谷さまは、お子が五人もおられましてな」

“本田先生时常来我这里要人,报酬相当丰厚。但刚才那位细谷先生,家里有五个孩子。”

「···········」

“……”

「それにご新造さまと、六人のロを養うわけですから、大変でございますな。それであのように大わらわで働いておられるわけで」

“加上他年轻的妻子,要养活六口人,真的很不容易!所以他才那么拼命干活儿。”

「さようか」

“是那样啊!”

又八郎は、風を巻いて出て行った細谷の、雲つくほどの巨体を思い返していた。

又八郎想起来刚才细谷那庞大的身躯卷起一阵风匆忙而去的情形。

「それでは止むを得んな」

“那也是没有办法的事啊!”

「しかし、どうなさいます?」

“您想怎么办?”

吉蔵の声が、又八郎の一瞬の感傷を吹きとばすように、無慈悲にひびいた。

又八郎瞬间的伤感被吉蔵的问话一下子吹得无影无踪了,吉蔵的话听起来是那么薄情寡义。

「あとは犬の番しか残っていませんが」

“剩下的只有照看狗这个差事了。”

又八郎が町を步いて行く。月代がのび、衣服また少々垢じみて、浪人暮らしに幾分人体が悴れてきた感じだが、そういう又八郎を擦れ違う女が時どき振りかえる。

又八郎一个人走在大街上。发型是那种武士的月代头,头发长了,衣服脏兮兮的,数月的浪人生活让他变得形容憔悴。

振りむくのは、垢じみている衣服を憐れむわけではないだろう。又八郎は長身で、彫りが深い男くさい顔をしている。瘦せて見えるが、肩幅は十分に広く精悍な身体つきだった。そのうえ人を斬って国元を出奔し、世を忍んできた月日が、二十六歲の風貌に若干の苦味をつけ加えている。女たちが振り返るのは、そういう又八郎にまつわりついている一種憂鬱げなかげりに気をひかれるのかも知れなかつた。

街上行走的女人和又八郎擦肩而过,走出好远了还频频回头看。女人们回头看,不是因为看到他那一身脏乎乎的衣服而心生怜悯。又八郎身材颀长,颇似玉树临风,五官棱角分明,丰神俊朗,很有男子气度。虽然看上去有些瘦削,但肩膀很宽,身体精壮。又八郎因为杀了人而逃离了家乡,隐姓埋名藏身市井的日子让这个二十六岁武士的风采平添了几分沧桑和苦涩。擦肩而过的女人频频回首,或许是被他浑身散发出来的忧郁气质所吸引。

だが又八郎が、やや下うつむいて歩いているのは、憂愁を気取っているわけではむろんない。行先に気がすすまないのである。吉蔵が斡旋した先は、さる町人の妾宅で、仕事はそこで飼っている犬の用心棒である。犬になぜ用心棒がいるのかは、行ってみないとわからないが、いずれにしろばっとした仕事とは言えない。それぐらいなら細谷のように、人足にまじって力仕事でもした方がましか、と思うほどだった。

又八郎低着头踽踽而行,当然不是为了装出一副忧郁的样子。现在要去的这个地方他实在不愿意去。吉蔵介绍的这个地方是某位富商金屋藏娇的地方,工作就是看护富商的小妾养的一只狗。不去看看当然不知道为什么一只狗竟然还需要保镖,不管怎么说,这真不是个体面的工作。与其去给一条狗做保镖,还不如像细谷那样和脚夫们一起干力气活儿。

だが、ぜいたくは言えないという気もした。吉蔵の話ぶり、仕事の口を横取りして行った細谷のやりくちを考えると、手頃な仕事の口などというものが、そうざらにあるわけでないとわかる。一介の浪人にとつて、身過ぎの途は意外に厳しいようだった。

但是,又八郎又觉得到了这步田地不能有什么奢望。想想吉蔵的那副嘴脸,还有细谷的横刀夺爱,他很明白,合适的工作真没多少。又八郎没想到,一介浪人想要糊口度日竟是这般不容易。

又八郎は両国橋を渡つた。行先は回向院裹の本所一ツ目である。そこまでくると、又八郎は、吉蔵にもらった図面を頼りに小路に入った。

又八郎过了两国桥,要去的地方是回向院后面的本所第一家。走到这里,又八郎从怀里拿出吉蔵给他的地图,按图索骥走进了一条小巷。

江戸詰の経験がない又八郎は、いたって地理に昧い。そういうと、吉蔵がさらさらと半紙に図面を書いてくれたのだが、その図面はおそろしく正確で、又八郎は小路一本間違えることなく、塀で囲まれた一軒の家の前に立った。あたりは似たようなしもた屋が多く、一帯はひっそりしている。

又八郎未曾在江户长驻过,所以对江户的大街小巷两眼一抹黑。听又八郎说不知道路,吉蔵拿出一张和纸,很麻利地在上面画了一张图。那张图惊人地准确,又八郎一条小巷也没弄错,顺利地来到了那栋房子前面。房子四周是高高的围墙,周边有很多相似的商户,这一带静悄悄的。

潜り戸を入って玄関に行くと、玄関脇に茶色のあまり大きくない犬が寝そべっていた。これが警護すベき相手かと、又八郎はあまりかわい気もない茶色の犬を眺めたが、犬の方は半眼で又八郎をちょっと見ただけで、また眼をつぶってしまった。前にのばした両足に頭をのせて、身じろぎもせず春の光を浴びている。覇気のない犬だった。

又八郎从便门进去走近玄关,看到玄关旁边趴着一条棕色的半大狗。又八郎瞅了瞅那条不怎么讨人喜欢的狗,心想莫非这就是我要看护的那条狗?狗半睁着眼瞅了又八郎一眼,接着又把眼闭上了。狗把头搁在两条前腿上,一动不动地沐浴在春日的阳光里。那是一条毫无霸气的狗。

又八郎が案内を乞うと、はじめに肥った婆さんが出てきて用件を聞き、婆さんがひっこむと、次に二十ほどの、目立つほどきれいな女が出てきた。これが吉蔵が言った、両国米沢町の雪駄問屋田倉屋の妾おとよという女らしかった。

又八郎报上名号,一开始走出来一个肥胖的中年仆妇,问他有什么事情,仆妇回去禀报,接着走出来一位二十岁出头令人惊艳的女人。这个美人儿想必就是吉蔵说的两国米泽町的雪屐商田仓的小妾阿丰了。

又八郎をみると、女は板敷に膝を落として大げさに両手で胸を抱いた。

阿丰见到又八郎,屈膝跪在地板上,两条玉臂夸张地捂住了酥胸。

「まあ、よかったこと。なかなかいらっしゃらないから、今日あたり相模屋さんに催促の使いをやろうかと思っていましたのよ」

“天啊!太好了!雇请的人迟迟不来,今儿个还打算派人到中介所那里去催呢!”

女は首をかしげてにっこり笑った。

阿丰歪着脖子嫣然一笑。

「さ、どうぞお上がり下さいまし」

“快快请进!”

 なにやら期待されている感じに、又八郎はまんさらでもない気分で上にあがり、茶の間に通った。

又八郎觉得雇主很期盼自己的到来,心情顿时好了几分,跟着主人走进了茶厅。

「およしさーん」

“阿良!”

長火鉢の向うに坐ると、女は細く透る、甘えたような声で呼んだ。するとさっきの婆さんが、心得たふうに茶道具を運んできて去った。女は茶を出して又八郎にすすめ、自分は莨道具を引き寄せて、細い煙管に莨をつめた。

两人隔着长火盆相向而坐,阿丰刚坐下就用娇滴滴的声音高声呼唤。话音未落,刚才的女仆好像心领神会,端来茶具就退出去了。阿丰向又八郎奉上一杯茶,自己则把烟具拿过来,拿起一枝细细的烟袋,往烟袋锅里填上了烟丝。

「莨はお喫いになりませんの?」

“您不吸烟吗?”

一服つけ、恰好よく煙を吐き出してから女が言った。

阿丰吸了一口,优雅地吐了一口烟。

「いや、それがしは不調法でござる」

“谢谢!恕在下不会吸烟。”

「そうね。真面目そうなお方ですものね」

“说的也是,您看上去就是个很本分的人。”

女は口に細い指をあててくつくつ笑った。色が白い。白いだけでなく、肌に磨きあげた光がある。珍しく二重瞼のはっきりした眼をもち、やや受け口の小さい唇をしている。なかなかの美人だった。

阿丰用纤纤玉指捂住嘴笑盈盈地说道。阿丰肤色很白,不仅皮肤白皙,肌肤里还泛着一种打磨出来的光泽。格外清晰的双眼皮,樱桃小口,真是个风韵十足的美人儿。

――ふむ。お妾となると、よく手入れが行きとどいているものだの。

——也难怪,一旦做了别人的妾,自然保养得很仔细。

又八郎は感心して女を眺めた。住んでいる裏店の、真黒な顔をした女房たちを思い出したのである。裏店の女房たちは、内職をし、亭主と一緒に日雇いに出かけ、井戸端談議に身が入ったあげく女同士で掴み合いの喧嘩をし、甲斐性のない亭主の尻を叩き、言うことをきかない子は殴りつけ、精気に溢れているが肌の手入れまでは手が回らない。

又八郎看着保养得体的阿丰,佩服得五体投地,因为这会儿他想起了自己住的大杂院里的那帮黑脸婆娘。大杂院里的那帮女人,平日里忙着干零活儿,和丈夫一起去打短工,闲时聚在井台边拉家常,家长里短,热闹非常,话不投机就撕扯起来。丈夫懒就捶,孩子不听话就揍。这帮女人精力旺盛够彪悍,就是没时间捯饬自己。

しかし裏店のかみさん連中にしろ、この女にしろ、こちらが武家だからと悪く遠慮する様子が見えないのは気持よかった。裏店でも、入った当座こそ毛色が変った人間がきたといった顔で、遠くから眺める様子だったが、ひと月経ち、ひと月半経ち、そこに居つく気配が知れると、隣の家で漬物をくれたり、反対側の隣が米を借りにきたり、どこかお参りに行ってきたという向いの家の女房が、土産物を持ってきたりするようになった。裏店では、又八郎は旦那などと呼ばれている。

不过,不管是大杂院里的女人还是眼前的这个女人,都没有因为自己是个武士而把自己当外人,这一点让又八郎心情愉快。就说自己住的那个大杂院,刚搬进去的时候,大伙都觉得住进来一个性情古怪的人,只是躲得远远地看。一个月过去了,一个半月过去了,大家伙儿知道自己要长期住下去了,慢慢地就不那么生分了。左邻送咸菜,右舍来借米。对面的婆娘到什么地方去上香,回来时还给自己带来土特产。在大杂院里,又八郎被婆娘们称为主人。

 国元ではこんな具合にはいかない。もっとも国元では浪人という中途半端な身分の者は、どこからか来て、また去って行く渡りの浪人をのぞけばあまり見かけない。たとえ致仕した者でも、しっかりと身分に繋がれていて窮屈きわまりない仕組みになっている。

在老家却不是这样。不过,在又八郎的家乡,除了那些行踪不定的过路浪人,很少能看到浪人这种半拉子身份的人,即使那些已经退隐的浪人,也都囿于身份的束缚,谨小慎微,非常不自由。

又八郎は、眼の前でやや横坐りになって莨を喫っているお妾に、心がくつろぐのを感じる。あの無愛想な吉蔵が、なかなか味な仕事を世話してくれたものだという気もしてくる。ところで、仕事の中味をまだ聞いていない。

阿丰稍稍侧过身子跪坐着喷云吐雾,又八郎看着面前的这位富商的小妾,内心感到了一种莫名的放松。那个冷若冰霜的吉蔵,真给自己介绍了一份美差!可还没问具体的工作内容呢。

「さて、おかみ。いや……」

“我说,老板娘。不……”

「あたしおとよと言うんですよ。そう呼んでくださいな」

“我叫阿丰!请叫我阿丰!”

おとよは言って、不意にはじけるように笑った。白いこまかな歯が見えた。なるほど人妻ではない。

阿丰嗔怪,忽然爽朗地笑了起来,露出一口洁白的牙齿。又八郎心想,果然不是正房妻室。

「旦那、おひとが悪い。聞いてらしたんでしょ、相模屋さんに。あたしはおかみじゃなくて囲われているんですよ。

“您可真坏!您一定听那个中介老板说了吧?我不是什么老板娘,我是被包养的,是人家的小妾!”

おとよはちろりと舌を出した。妾だが、明朗な人物らしい、と又八郎は鑑定した。おとよにはじめついたところがない。

阿丰调皮地吐了一下舌头。又八郎看得出,阿丰虽然是别人的妾室,却是个性格开朗的人,看不出丝毫的郁郁寡欢。

「うむ、失礼した。そこでそれがしの仕事だが、なにをやればいいのかな」

“那真不好意思,恕在下失礼了!我想问问我的工作,应该做什么呢?”

「犬を見ました? 茶色い犬」

“看到狗了吗?那条棕色的狗。”

入口の脇に寝そべっていた、あの霸気のない犬のことだ。

阿丰说的就是门口旁边趴着的那条毫无霸气的狗。

「うむ、見た」

“嗯,看到了。”

「変な話なんですよ。ちょっと」

“这个事儿说起来有点儿怪!”

おとよは声をひそめると、又八郎を蓮っ葉に手まねきした。又八郎が火鉢によると、おとよは自分も火鉢の上に身を乗り出した。

阿丰压低嗓门,向又八郎做了一个很轻佻的手势让他靠近一点儿。又八郎靠近火盆,阿丰也隔着火盆探过身子来。

眼の前に、上蔟直前の蚕のようにすべすべしたおとよの顔が迫り、いい匂いがした。こういうところを、田倉屋の主人とやらに見られたら問題ではあるまいか、と又八郎は思ったが耳を傾けた。

阿丰那张吹弹得破的俏脸靠了过来,又八郎闻到了好闻的脂粉香味儿。这个场景要是被雪屐商行的老板田仓看到了可就麻烦了!又八郎心里犯嘀咕,可还得洗耳恭听。

「あの犬を、まるって言うんですけどね。まるを狙っているひとがいるんですよ」

“那条狗叫丸丸,现在有人盯上了丸丸!”

「狙う、というと? 盗みでもするつもりかな」

“盯上了是什么意思?是想偷吗?”

「盗もうとしたり、殺そうとしたり……」

“或者是偷,或者是杀死……”

おとよは又八郎の顔をじっと見つめた。黒い眼だけが動く。こんなふうに女と近ぢかと顔をつき合わせたのははじめてだった。又八郎は少し顔を引いた。

阿丰直勾勾地看着又八郎的脸,只有两只黑眼珠在动。又八郎第一次和一个女人如此近距离面面相对,他把脸稍稍向后仰了一点儿。

「ふむ」

“嗯!”

「おわかりでしょ? それがどんなにこわいことか」

“您知道吗?那是多么可怕!”

おとよは真面目な顔になって言った。なるほど、それで用心棒か、と又八郎は思った。

阿丰表情认真地说道。又八郎这下子才明白,原来因为这个缘故才要给狗配一个保镖啊!

ある光景を、又八郎は思い出していた。二月ほど前の、ある寒い夕方。又八郎は路地にひびくただならない叫びを聞いて外に飛び出した。

又八郎想起了两个月前的一幕。那是一个寒冷的傍晚,又八郎听到小巷里传来人们的大呼小叫,忙不迭地跑到外面看看发生了什么事情。

あちこちから人が飛び出して、路地は裏店の人間で一ぱいになった。垣を作った人びとの間を、白い大きな犬が一匹、ゆっくり歩いていた。犬はあきらかに弱っていた。立ちどまって喘息持ちのような咳を二、三度し、人びとの顔を見上げると、またよたよたと前に歩いた。そしてついに地べたにごろりと横になった。

人们纷纷从各个角落聚拢过来,大杂院里的人们霎时间就把小巷挤满了。一条白色的大狗正在人墙之间慢腾腾地走。那条狗显然身体很衰弱,停下来像个哮喘病人一样使劲咳嗽了两三下,抬头看看两侧的人墙,又摇摇晃晃地往前走,走了没几步,骨碌一下就倒在地上了。

するとそれまで静まり返っていた人びとが、蜂の巣をつついたように騒ぎはじめた。源七の家の土間に厚い藁床を作る。四、五人の男たちが、宝物でも運ぶような手つき、腰つきで犬を藁床まで運ぶ。その間に一人、矢のように木戸の外に走って行ったのは、そのことを大家の六兵衛に告げに行ったのだと後でわかった。

一直鸦雀无声的人群像捅了马蜂窝一样炸开了锅。有人急忙在源七家的土房间里用稻草铺了一个厚实的狗窝,四、五个男的就像抬宝贝一样小心翼翼地把狗抬到了狗窝里。那会儿有人箭一般从栅门飞奔而去,后来才知道,那个人是向房东六兵卫报告情况去了。

その犬は次の日の朝、裏店の者がさし出した餌をたらふく喰うと、のっそり立ち上がり、つつがなく木戸を出て行った。要するに寒空に腹を空かせて裏店に迷いこんできものらしかった。犬は元気になったが、一晩寝ずに犬を見まもったまかしよの源七は風邪をひきこみ、三日ほど商売を休んだのであった。

第二天早晨,大杂院里的人们给狗找来好多吃的,那条狗饱餐一顿之后慢腾腾地站了起来,没事儿一样从栅门走了出去。天寒地冻加上饥肠辘辘,看样子那条狗是迷路走进了大杂院。狗倒是精神起来了,可一夜没合眼照料那条狗的源七却患了重感冒。源七是个化缘僧,每日里游走于大街小巷之间,靠替人参拜神佛糊口度日,这下子三天没出门做生意。

「すべて人宿あるひは牛馬宿その外も、生類重くなやめば、いまだ死せざる中に捨るよしほぼ聞えたり。さるひが事ふるまふ者あらば、きびしくとがめらるべし。ひそかにかかる事なすものあらば、うたへ出べし。党与たりともその罪をゆるし、褒賜あるべし」

“近来常闻有人将重病而尚未死亡之牛马家畜等生灵抛弃,若有行此伤天害理之事者,官府定当严惩不贷。若发现有人密行此事,当向官衙举报。举报者即便参与此事亦应恕其罪,且应予褒奖。”

 この最初の「生類憐みの令」が出されたのは、十四年前の貞享四年正月二十八日のことだった。この布令は、為政者の一時の思いつきから出たものでなく、その後十四年間にわたって、文章を変え、中味を加え、微に入り細を穿って規制を強めて今日に至っている。哀憐保護されるべき生類は、牛馬から禽獣、生魚、蛇、鼠の類いにまでおよび、昨年七月末に出た禁令によって、江戸市民は鰻、泥鰌を喰うことも禁じられていた。

这条《悯生令》最早颁布于十四年前的贞享四年正月二十八日。这条法令不是为政者一时的心血来潮,从颁布之日起十四年来,其间不断地修改表述,增添内容,细致入微地强化管束直到今天。受怜悯保护的生灵从家禽家畜到活鱼、蟒蛇及老鼠,可谓无所不包。去年七月末又颁布了一条法令,结果江户市民连鳗鱼和泥鳅都不能吃了。

なかでも犬の保護哀憐にかかわる布告は、もつとも類繁に出された。飼犬の毛色を帳薄に記載させたのをはじめに、主なき犬、病犬、子犬の保護をたびたび命じ、喧嘩している犬を見たら「すみやかに水にても灑ぎて、引分しむべし」、傷ついた場合、その毛色、傷の模様を記し、切通しの犬

医者五郎兵衛に調薬させて養えと言い、犬を疵つける者があれば見のがさず捕えよ、「このごろ毁傷せし犬しばしば見ゆ。いとひがごとなり。いまよりのち傷損せしもの知りながら隠しおき、他より発顕せばその町中の過失なるべし」と、厳しかった。

其中,关于保护狗的布告张贴的最为频繁。要求市民必须把狗的毛色登记在册,多次严令市民对野犬、病犬和小狗严加保护。若是有人看到有狗在打架,“必须马上向狗泼水使两狗分开”。若狗受伤了,必须让犬医五郎兵卫配药调养。若有人伤害狗,不可视而不见,必须把伤害狗的人抓住。“近来常见有狗受伤,实为天理难容之事。从今往后,若有人知道有狗受伤知情不报而被他人发觉,当为其所居街巷之过失”,政令之严,足见一斑。

この布令に抵触して罪され、遠島、追放、入牢の処分に逢った者は、これまで数知れない。生類憐みの令は、又八郎の国元にも伝えられ布令が出ているが、将軍お膝元のような厳格さはない。幾らも抜け道があった。その布令の厳しさを、又八郎は裏店に白い瘦せ犬が迷い込んできたとき、初めて知ったと言ってもよい。

迄今为止,因触犯该法令被定罪,被流放荒岛,被驱逐,被打入大牢的人不计其数。《悯生令》虽然也传到了又八郎的家乡,也张贴了告示,但毕竟没有将军脚下的江户城这般严格,有很多逃脱责罚的办法。这次看到那条白狗迷路走进了大杂院的情形,又八郎第一次明白了那条政令的严酷。

おとよが言うことは難なく理解できた。まるというあの犬が不意に姿を消したり、殺されたりして、犯人がわからなければ、災いは飼主である田倉屋徳兵衛におよぶ。こじれれば遠島処分にもなりかねない。

又八郎很容易就明白了阿丰所说的事情。如果那条叫丸丸的狗突然失踪或者被杀死却不知道犯人是谁,那么灾祸无疑就会降临到狗主人田仓商行德兵卫的身上,弄不好有可能被流放到荒无人烟的孤岛上去。

「殺そうとしたというのは?」

“您说的有人想要杀狗是怎么回事儿?”

「石見銀山を仕こんだ毒餌を庭に投げこんだひとがいるんですよ。すぐに気づいたからよかったけど」

“有人把喂了耗子药的毒饵扔进了院子里!幸亏马上发现了!”

「心あたりは?」

“你估计是什么人干的?”

「あるもんですか」

“我哪知道啊!”

おとよは投げやりに言って、また莨を喫いつけた。

阿丰有些不耐烦地回答,继续抽她的烟袋。

「うちの旦那はね。同業の何とかいう店の仕業だろうって言うんですよ。旦那も商売の上じゃ結構敵が多いんですから。鎬をけずっていますからね。だからここに来てもくたびれちまって、あっちの方が役に立たないことだってあるんですよ」

“我家主人说一定是同行的某某某干的。我家主人在生意上树敌很多,经常是针尖儿对麦芒。所以呢,即便是来到这里,也早已累得精疲力竭,胯下的那个玩意儿有时候根本不好使!”

おとよはお妾らしいことを言った。又八郎はむっつりした顔で聞いている。

阿丰这番话很符合她为人妾的身份,又八郎只好板着脸在那里洗耳恭听。

「あら、あたし何か言ったかしら。ごめんなさい。それで、うちの旦那ったら、まるを捨てちまえって言うんですよ」

“哎幺,我适才说错什么话了吗?真不好意思!接着刚才的往下说,我家主人说让我把丸丸扔掉!”

「なるほど、そう言うだろうな」

“是啊!他一定会那么说吧!”

「でもそれは駄目。下手に捨てたりすると、これですからね」

“扔了可不行!事情弄不利索的话可要这样的!”

おとよは手を後ろに回した。

阿丰说完做了一个反剪双手的动作。

「あたしはまるがかわいいから、そう言って旦那を脅すわけ。それで来てもらったんですよ。こんな立派な方がきて下さるとは思わなかったんですけど」

“我喜欢丸丸,所以就这样说吓唬我家主人。于是就雇了个保镖,没想到来了您这么一位仪表堂堂的男子汉!”

「立派でもないが、それではあのまるという犬が殺されないよう、見張るわけかな」

“哪谈得上什么仪表堂堂,我的工作就是看好那条叫丸丸的狗,别让它给人杀了是吗?”

「はい。それで出来たら犯人を捕えてもらいたいって、旦那はそう言ってるんです」

“正是。主人说可能的话最好把犯人也抓住。”

「なるほど」

“原来如此。”

ただ漫然と犬を見張って、それでお手当てをもらうということではないらしかった。

还以为傻呆呆地坐着看住狗就能领到报酬,看来这个差事不像想象的那么简单。

「当分は夜も泊ってもらえって言うんですけど、いかがですか」

“我家主人说目前这段时间请您晚上也住在这里,您看行吗?”

「それがしは構わん。一人住まいだから、飯を喰わせてもらうとなれば、大きに助かる」

“我是没关系,现在是一个人住在大杂院里,还能有饭吃那真是求之不得。”

「でも、こちらのように姿のいいお侍さんだとわかったら、うちの日那どういうかしら。焼もちやきなんですよ、年寄のくせに」

“可是,我家主人要是知道你是这么一位仪表堂堂的武士的话,不知他会怎么说。别看他一大把年纪了,可爱吃醋了!”

おとよはまたちろりと舌を出し、首をすくめて笑った。

阿丰又调皮地吐了一下舌头,笑得花枝乱颤。

       

 又八郎は退屈して、畳の上に寝ころんでいた。おとよが、面白いから読めと「吉原丸裸」「七人比丘尼」という古い本、それから上方の俳句宗匠で井原西鶴という男が書いた、「好色一代男」という仮名草紙などを貸してくれたが、ざっと読んだところあまり面白いものではなかった。枕もとにそういう本を積んでひっくり返っていると、ここ三月ほどの間に、自分がひどく堕落したような気もしてくる。

又八郎百无聊赖,懒洋洋地在榻榻米上躺着。阿丰借给他几本书,说是很有趣,让他闲时看。其中有两本古书,一本是《吉原丸裸》,一本是《七个尼姑》,还有一本小说叫做《好色一代男》,是关西的俳句宗师井原西鹤写的。又八郎随便翻了翻,并不觉得多么有趣。四仰八叉地躺在榻榻米上,枕头边上放着这么几本书,又八郎觉得这三个月自己堕落了许多。

田倉屋の妾宅に寝泊りするようになって、七日経ったが、何ごとも起こらなかった。その間又八郎は、朝と夕方の二度、犬を回向院の境内まで連れ出し、散歩させている。それだけの仕事だった。

在富商的妾宅里连吃带住已经过了七天了,其间什么事情也没发生。每天的工作就是早晚两次把狗牵到回向院的寺庙大院里到处遛遛。

回向院は総敷地五千百一坪。七月七日の大施餓鬼、また境内を借りてする諸寺の開帳には、ごった返すほど人が集まるが、ふだんは広い寺域はひっそりしている。犬の散歩は丈六の唐金の坐像がある本堂前から、本堂の後ろに回り、三仏堂に出て蓮池脇の樟の木まで来る。そして池をひと回りして帰るのである。その間、怪しげな素ぶりの者に会うということもなかった。

回向院占地五千一百多坪。每逢七月七的大施恶鬼和周边寺庙来借场地开帐的日子,寺庙院子里总是挤满了善男信女,那景象可谓摩肩接踵,但平日里空旷的寺庙大院总是静悄悄的。正殿的前面有一尊高达一丈六尺的金身佛像。又八郎遛狗的路线很简单,从正殿前面绕到后面,继续往前走就到了三佛堂。三佛堂旁边有一个莲池,莲池边上有一棵樟树。走到那棵樟树不再往前走了,绕莲池一圈就打道回府。这段时间也没发现什么形迹可疑的人。

 おとよの旦那である田倉屋徳兵衛とも顔をあわせ、改めて念入りに犬の監視を頼まれたが、こう何ごともないと、顎つき屋根つきで与えられたひと間にごろごろしているのが、なんとなくうしろめたい気もしてくる。

前几天又八郎还见到了阿丰的主人,也就是田仓商行的老板德兵卫。德兵卫再次千叮咛万嘱咐,让他把狗看好。但像现在这样什么事也没有,主家包吃包住,自己却一天到晚呆在房间里无所事事,又八郎心里有几分歉疚,总觉得对不住主家。

家の中はひっそりしている。おとよは、女中のおよしを連れて湯屋に出かけた。それで今夜は田倉屋がくるのだ、と又八郎にもわかるようになってきている。二人は出かけると一刻近くも帰らない。そして戻ってきたときには、二人とものぼせたような顔をしているのだ。

阿丰带着女仆阿良去澡堂了,这会儿宅子里很安静。日子久了又八郎也逐渐看出门道来了,阿丰去澡堂说明今天晚上主人要来。主仆两人一出门,一时半会儿是不会回来的。因为泡澡时间太长,两人回来的时候都是一副晕头胀脑的面色。

犬も静かだった。こそとも音がしないのは、例によって前肢に顔をのせて居眠りをしているに違いなかった。みていると、日が移って、いる場所が建物の陰に入ると、のっそり立って日向まで出ていく。そしてやおら身づくろいして、前と寸分違わない恰好に寝そべるのだ。自分の意志で動くのは、そのときと餌が出されたときだけである。又八郎が散歩に連れて行っても、どことなく迷惑げで、折角広いところに出してやっているのに、犬らしく飛び回るということもない。横着な犬だった。その犬のどこがかわいいか、と又八郎は思うが、さしあたっての飯の種だから、口に出したことはない。

狗也很安静,这会儿一点儿动静没有,一定是把头搁在前腿上在打盹。观察一下那条狗,随着日头西斜,趴着的地方一旦进了背阴的地方,它就会慢慢腾腾地站起来,走到向阳的地方,从容不迫地整顿身形,然后懒洋洋地趴下睡觉,那姿势和刚才毫无二致。只有这个时候和狗食端出来的时候,那条狗才会凭自己的意志动弹动弹。又八郎领着它出去遛弯儿的时候,它总有几分不情愿,好心好意把它领到宽敞的地方,它也不像别的狗那样飞跑撒欢儿。真是一条懒得出奇的狗!这条狗哪点可爱?又八郎实在搞不明白。话又说回来,当前这条狗毕竟是自己的饭碗,所以他只是在心里嘀咕,从未说出来。

犬のことを考えているうちに、又八郎は釣りこまれたようにうとうとと眠くなった。いい陽気で、暑くも寒くもない。そういう季節に、することもなければ犬も人も眠くなるのである。犬を笑えぬな、と又八郎が思ったとき、その犬が物凄い声を出した。

心里想着这条狗的事情,又八郎不一会儿感到了浓浓的睡意,开始在那里磕头打盹。春日明媚,不冷也不热。在这样的季节里,如果无事可做,人和狗都会犯困。又八郎心想,自己凭什么笑话狗呢?就在那时候,那条狗突然发出了凄厉的哀嚎。

一挙動で刀を掴み、はねおきると又八郎は部屋を走り出た。みると潜り戸に近い地面に犬がヘたりこんでいる。犬の首に荒縄が巻きつけてあり、潜り戸が少し開いているのを、又八郎は一瞬のうちに見た。うとうとした間に誰かが忍びこんだらしい。

说时迟那时快,又八郎一把抓起长刀,一跃而起冲出了房间。定睛一看,看到狗软塌塌地坐在便门旁边的空地上。又八郎瞬间就看清楚了,狗脖子上缠着粗绳子,便门稍稍开了一条缝。自己在屋里打盹的时候,好像有人悄悄摸了进来。

又八郎は走り寄ると犬から縄をはずし、潜り戸から首を突き出して外を見た。道には、もの憂いような日暮れの光が漂っているばかりで、人影は見えなかった。おそらく犯人は、女達が湯屋に出かけるのを見とどけ、留守だと思って入りこんだが、人が飛び出してくる気配に驚いて逃げ去ったものらしかった。犬の番が、はじめて役に立ったわけである。

又八郎跑过去把绳子解下来,从便门探出头去看了看外面,暮色笼罩的大路上一个人影也没有。看样子犯人是看到了两个女人出门去澡堂,以为家中无人就溜了进来,忽然惊觉有人从屋里冲出来,所以就撒丫子跑了。就是说,他这个狗保镖第一次有了用武之地。

「だいじょうぶか?」

“你没事儿吧?”

 珍しく心細げにからだを擦りよせてくる犬に、又八郎は声をかけて首を撫でた。すると犬は思い出したように、二、三度咳をした。見たところ傷もなく、それほど弱ったとてろも見えないが、忍びこんだ者は犬をしめ殺そうとした形跡があった。

狗很稀奇地用身子蹭又八郎,好像心有余悸的样子。又八郎抚摸着它的脖子问道。狗忽然咳嗽了两三声。看情形身上也没有受伤,也看不出身体衰弱的迹象,但脖子上有勒痕,说明偷偷溜进来的那个人是想把狗勒死。

荒縄は、端がしまるよらに輪に作ってあり、又八郎が見たとき、それは三重に犬の首に卷きついていたのである。

绳子做成了一个套,又八郎发现的时候,绳套在狗脖子上缠了三圈。

——すばやい奴だ。

——这小子手脚够麻利的!

又八郎は犬を玄関脇に連れてくると、自分もそばにある石に腰をおろして腕を組んだ。外をのぞいたときには、もう姿が見えなかった犯人のことを考えたのである。

又八郎把狗牵到了玄关旁边,自己也坐在旁边的一块青石上,抱着胳膊发呆。他在想刚才瞬间就跑得无影无踪的那个人。

犬を見ると、犬も又八郎を見ていた。横着げな犬だが、さすがに居眠りどころではないらしい。又八郎を見て、喉の奥に微かに甘えるような声を立てた。

扭头看看狗,发现狗也在看自己。这条狗再怎么懒,看样子这会儿也不敢睡觉了。狗抬头看看又八郎,喉咙里发出了低沉的叫声,声音里有一丝撒娇的意思。

このとき潜り戸が開いて、田倉屋德兵衛が入ってきた。半白の髪をした五十半ばの男で、背は低いが小肥りに肥っている。

这时候便门开了,田仓商行的老板德兵卫走了进来。德兵卫头发花白,年纪五十有余,虽然五短身材,但很肥实。

「青江さま。お聞きになりましたか」

“青江先生!您听说了吗?”

田倉屋はそばにくると、立ち上がった又八郎を見上げ、息をはずませて言った。だいぶ急いできた樣子だった。眼を丸くしているのは、何かびっくりするようなことを聞きこんで来たらしい。

德兵卫走过来,又八郎慌忙站起身来。德兵卫抬头看着又八郎,气喘吁吁地问道。看样子他是急匆匆赶来的。

 「何でござる」

“什么事?”

 「はあ?まだお聞きになっていらっしゃらない?今日、大変なことがございました」

“啊?您还没听说?今天可出大事了!”

········

“……”

 「呉服橋の吉良さまのお殿さまが、殿中で斬り合いをなされて怪我をされましてな」

“吴服桥的吉良大人在殿中与人打斗受伤了!”

 「ほ

“嗯!”

と言ったが、又八郎には吉良さまというのが何者かわからなかった。

又八郎敷衍着回答,他不知道这位吉良大人是何许人。

「お相手は浅野さまと申されましてな。播州赤穂のお殿さまだそうで。お城で斬り合いをなさったということでございますから、喧嘩両成敗で双方のお殿さまが腹を切らされるんじゃないかと、大へんな噂でございましてな。それで······」

“对方是浅野大人,听说是播州赤穗的王爷。因为是在殿中打斗,所谓两败俱伤,说不定两人都会被命令切腹,外面传的可悬乎了!所以……”

田倉屋は、塀の方を指さした。

德兵卫指了指院墙外面。

「いま表であちこち人がかたまって、その話でざわめいておりますよ。行ってごらんになりませんか」

“外面聚了很多人,都在叽叽喳喳说那个事呢!您不出去看看?”

だが江戸の事情にうとい又八郎には、田倉屋が興奮しているほどには、その話に興味をそそられなかった。江戸城内で斬り合ったとしたら、あとが大変だろうなとちらと思っただけである。

又八郎不熟悉江户的事情,德兵卫那么兴奋,又八郎对这个事情却不怎么感兴趣。只是心里一闪念,若是两人在江户城里打斗,后果会很严重。

それよりも、目下は用心棒の勤めから言って犬のことが気になる。

眼下自己的职责是保镖,比起两位王爷的打斗,他更挂怀的是狗的事情。

「じつはご主人。さきほど例の犬殺しが入りこんできてな」

“主人,刚才那个杀狗的人溜进家里来了!”

「え? 来ましたか」

“啊?来了吗?”

田倉屋はもう一度眼をむいた。それでどうなさいました。犬殺しは捕まえましたかとせわしなく聞いた。

德兵卫又翻了一下白眼珠,忙不迭地问又八郎怎么做的,杀狗人抓住了没有。

又八郎はくわしく事情を話した。捕えられなかったのは不覚だが、喰って寝ているだけでなく、一応は犬の用心棒として役立った旨を売り込む必要がある。又八郎の話を聞くと、田倉屋はみるみる険悪な顔になった。

又八郎详细地把情况说了一遍。虽然没抓住杀狗人是自己的疏忽大意,但有必要向主人说明一个意思,自己并非傻吃迷糊睡,作为狗的保镖还是发挥了作用。听了又八郎的这番话,德兵卫的表情立马严肃了起来。

「やっばりあいつです。磐見屋ですよ。あたしを陥れようとしているんだ」

“果然就是那小子!是磐见商行的老板!他这是要陷害我!”

田倉屋は憎にくしい眼で、犬を見た。

德兵卫看了狗一眼,满眼的厌恶。

「まったく迷惑な犬だ。おとよがこの芸もない駄犬を貰ってきたのが、そもそもの間違いです」

“这条狗就是个大麻烦!阿丰原本就不该领养这只笨狗!”

犬は田倉屋の眼にも駄犬と映るらしい。犬は田倉屋の剣幕がわかるかして、おびえた眼で二人を交互に眺めていた。

好像在德兵卫眼里这条狗也是条笨狗。狗貌似听出了德兵卫话里的恶意,抬头看着两人,眼神里充满了胆怯。

「磐見屋というそのご同業の仕業だと、なにか証拠でもありますかな」

“您说是您的同行磐见商行的老板干的,可有什么证据?”

「証拠などありゃしません。でもあたしには勘でわかります。ほかにそんな悪辣なことを考えそうな奴は心当たりがありませんからな」

“哪有什么证据,我是凭直觉知道的。因为我想不到另外还有什么人如此居心险恶!”

田倉屋は憤懣をぶちまけるように言った。

德兵卫愤愤不平地说道。

「磐見屋はあんた、いや青江さま。これまでことごとにあたしの商売の邪魔をしてきた男です。うちが雪駄の緒に柄物を使うことを発明しましてな。職人に作らせてみると評判がいい。するともののひと月も経たないうちに真似する。うちで五分下りの雪駄を売り出したときもそうでした」

“我给你说青江,不,青江先生,那个磐见商行的老板在生意上处处与我为难。我家有一项发明,就是雪屐上用有图案的鞋绊儿,让工匠做了样品,结果大受欢迎。结果没出一个月他就开始仿冒。我家推出半高跟雪屐的时候也是如此。”

··············」

“……”

「磐見屋はそうしてうちの客を喰い齧って、大きくなった店です。それで下手に出るようならまだかわいげがあるというものです。ところがあの男はそうじゃありません。ふんぞり返っていますよ、若僧のくせに」

“磐见商行就是这样蚕食了我家的顾客慢慢做大了。如果他谦恭一点儿还算识相,可他不是那样,一个青瓜蛋子,天天摆臭架子。”

田倉屋は、口の端に泡をためて言い募った。

德兵卫越说越气愤,嘴边都冒白沫了。

「これじゃ仲よく商売するというわけに参りません。仲間の寄合いがあっても、あたしら口もききませんが、これは当然のことです」

“这样一来大家就没法一起和和气气地做生意了。同行聚会,我都不屑跟他说话,这是理所当然的事情。”

「しかしご主人。証拠がなくては磐見屋とやらがやったとは言えんな」

“恕我直言,没有证据就不能说是磐见商行的老板干的!”

「ひと月ほど前、あたしは寄合いの席であの男と喧嘩してます。大勢の前で恥をかかせてやりました。おとよが犬がどうの、こうのと言いはじめたのはそれからのことです」

“一个月前,我在聚会上和他吵了一架。让他在众人面前丢丑了。就从那时起,阿丰开始在我面前念叨狗的这事那事儿。”

「ほう」

「捕えて下さいまし、そのろくでもない犬殺しを。きっと磐見屋の筋の者に違いありませんよ。そうしたら今度こそ、あたしはあの男をぐうの音も出ないほど、とっちめてやります」

“请您务必抓住这个杀狗的人渣!一定是他那边的人干的!这一回我要好好教训教训他,让他无话可说!”

――おとよは、いかんな。

——阿丰太不像话了!

回向院の境内に入りながら、又八郎はそう思っていた。犬の紐を引いているが、夕方の散步がいつもより早い。あの男が来たからだった。

又八郎牵着狗走进了回向院,边走边想。今天傍晚遛狗比平时要早得多,就因为那个男的来了。

男は田倉屋の手代で、名前は利吉。婆さん女中のおよしが、聞きもしないのにそう教えてくれたのだが、来ると利吉は半刻以上も奥にいて、帰って行く。

那个年轻人是田仓商行的二掌柜,名叫利吉。又八郎问都没问过,是女佣阿良告诉他的。利吉每次来都要在里面呆半个多时辰才回去。

奥でおとよと何をしているかは、利吉が来るとおよしにせつかれて犬の散歩に出るから、又八郎にはわからないが、およその察しはつく。おとよが田倉屋の使用人と火遊びをしているのは明らかだった。利吉がきて、又八郎が家を追い出されるのは、これで三度目である。

利吉一来阿良就催着又八郎去遛狗,虽然不知道两个人在屋里干什么,但又八郎也能猜个八九不离十。明眼人一眼就能看出来,阿丰和田仓商行的二掌柜在玩火。利吉一来又八郎就被赶出家门,这是第三次了。

――ああいうことでは、長くは続かん。

——那样偷鸡摸狗的,一定不会长远!

妾奉公が長く続いていいかどうかは、別の論議になるが、又八郎はとりあえずそう思うのだ。

又八郎心里那样想。至于长年累月为人做妾是否合适,那是另外一码事。

あの家にきて半月になる。その間同じ屋根の下に寝起きし、一緒に飯を喰い、およし婆さんに下着の洗濯までしてもらっていると、なんとなくそこの人間に情が移ったあんばいだった。おとよは妾にしては気取りのない、気性の明るい女だし、雇主の田倉屋も悪い人間には思えない。焼きもちやきだ、などとおとよは言ったが、夜も泊る又八郎を、ベつに変に勘ぐる様子もなく、いずれ犬殺しを捕えてくれるものと全幅の信頼をおいている樣子がわかる。

来到这座妾宅已经半个月了。生活在一个屋檐下,一起吃饭,甚至内衣内裤都让阿良拿去洗,如此一来就对这家人有了几分感情。作为男人的妾室,阿丰性情开朗,从不装腔作势。雇主德兵卫也不是什么坏人。阿丰说过他爱吃醋,但对夜宿家里的又八郎从未疑神疑鬼。看得出,他相信又八郎迟早能抓住那个杀狗的,对又八郎表现出的是完全的信赖。

おとよの浮気は、無事平穏な妾宅に、いらざる波風を立てる危険なものと、又八郎の眼には映るのだ。

在又八郎看来,在这座安静的妾宅里,阿丰的红杏出墙很危险,说不定哪天就会闹出事来。

「おい、こら」

“喂!老实点儿!”

又八郎はあわてて紐をひっばった。それまで、ペつに嬉しげもなく後についてきていたまるが、猛然と前に走り出したのである。横を走り抜けた一頭の野犬に、珍しく気を惹かれたらしかつた。

一直怏怏不乐地跟在身后的丸丸忽然往前一冲,又八郎慌忙拽紧了绳子。一条野狗从身旁跑过,看样子丸丸是被那条野狗吸引住了。

紐がのび切ると、きゃんきゃん喚いて前に出ようと足搔くのは、くだんの野犬が牝犬なのかも知れなかった。野犬は、まるを一瞥して走り去っただけなのに、まるは足をふんばり、首を前にのびるだけのばし、又八郎をそっちの方に引っばって行とうとする。ひどく張切っている。

绳子绷得紧紧的,丸丸还在挣扎着往前冲。说不定那条野狗是条母狗。野狗瞥了一眼丸丸就跑开了,可丸丸四爪抓地伸着脖子往前冲,试图拉着又八郎去撵那条野狗,激情难抑,那神情很是兴奋。

――飼主が飼主なら、犬も犬だ。

——主人别说主人,狗也别说狗,真是有其主必有其狗。

又八郎は舌打ちした。だが、野犬は間もなく本堂の左手にある方丈の裏手に姿を消した。まるは立ちどまって、悲痛な長い声を張ったが、それが済むと、またもとの駄犬に戾った。地面を嗅ぎ回りながら、のそのそ又八郎の後からついてくる。

又八郎禁不住咋舌。但是,那条野狗转眼间就消失在正殿左侧方丈室的后面了。丸丸不禁悲从中来,发出了一声长吼。叫完了立即恢复了笨狗的本色,在地上左嗅嗅右嗅嗅,慢腾腾地跟着又八郎走。

又八郎は、茶屋の前を通りすぎて、本堂の横手の方に回った。葭簀張りの茶屋には、五、六人の人しか見えず、本堂の前も閑散としている。

又八郎走过茶屋门前,向正殿侧面走去。挂着苇帘的茶屋里面只有五、六个人,正殿的前面也冷冷清清的。

 本堂の裏から三仏堂裏にかけて、そこは雑木林になっている。ところどころに松、杉の巨木が、林を抜いて空にのびているが、その下には西空に傾いた日射しに、和毛を光らせている新葉の雜木が続いていた。道はその間を縫っていて、本堂脇の広場から入りこむと、幾分暗かつた。

正殿后面和三佛堂后面之间是一片杂树林子。林子里到处有高耸入云的松树和杉树,在杂树林里犹如鹤立鸡群。苍松巨杉下面是一片杂木,杂木的嫩叶还长着绒毛,在夕阳里熠熠生光。一条小径从林间穿过,从正殿旁边的广场走进树林,令人感觉有几分昏暗。

「……?

“……?”

  林の間に三仏堂の建物が見えるところまで来たとき、又八郎はふと耳を澄ませる表情になつた。次に何気なく刀の鲤口を切った。林の少し奥まった場所を、何者かが又八郎の動きにあわせるように、足音を忍ばせて移動する気配を掴んでいる。

沿着林间小路往前走,透过树木能看到三佛堂的时候,又八郎忽然凝神屏息竖起了耳朵,紧接着下意识地按住刀柄松开了鞘口。他察觉,在林子深处,有什么人在跟随着他的脚步蹑手蹑脚地前行。

ゆつくり歩きながら、又八郎はその気配を探った。動くものは又八郎の左後方にいる。又八郎の顏に、緊張がみなぎった。微かな動きは、確かにつかず離れず、又八郎の動きを追っていた。

又八郎放慢脚步,探寻那人的气息。在林子深处蹑足并行的那个人,就在又八郎的左后方。又八郎的表情充满了紧张。那无声无息的动作,确实是若即若离如影随形地紧跟着又八郎。

――犬。

——狗。

犬が邪魔だと思つた。又八郎の脳裏には、国元から来るかも知れない襲撃者の姿が浮かんでいる。それは、いつか必ず又八郎の前に現われるはずだった。そう思うと同時0に、用心棒としての気持が働いていた。

又八郎觉得狗是个累赘。他的脑海里浮现出可能来自家乡的偷袭者的身影。他心里很明白,来自家乡的杀手迟早会出现在自己的面前。这一刻,他想到了自己作为保镖的职责。

又八郎が、犬を繫いだ紐を立木に巻きつけようとしたとき、鋭い矢唸りがした。立木を縫って飛んできたものを、又八郎は身をひねって斬り落とした。

又八郎正要把拴着狗的绳子缠到一棵树上,忽然听到了箭矢破空的声音。那支箭穿过枝桠冲自己飞来,又八郎身形一扭挥刀将箭矢劈落在地。

雑木の陰に、ちらと動いた人影にむかって、又八郎は殺到した。人影は林の奥にむかって逃げようとしている。じきにその後姿が見えてきた。職人風の身なりをした男だった。姿は見えているが、細い立木が邪魔になって、なかなか追いつけない。

看到树影里有人影一闪,又八郎飞身杀到。那个人影正朝着树林深处逃去,又八郎紧追不舍,很快就看到了那个人的背影,发现那个人一身匠人装束。虽然看到了对方的背影,可是碍于前方有树木阻挡,怎么追也追不上。

すると、そのとき又八郎の横をすり抜けて、まるが勢いよく前に飛び出して行った。紐は十分に巻きつけるまでにいかなかったので、すぐに解けたらしい。

就在这时,丸丸从又八郎身旁一跃而过,像离弦之箭向前冲去。好像刚才绳子没系好,很快就松开了。

「こら、まて」

“喂!站住!”

又八郎は犬にむかって怒鳴つた。そのときには、逃げて行く男の正体を、ほぼ捆んでいた。五、六間先を、うろうろと逃げ惑っている男が、ほかならぬ犬殺しなのだ。身ごなしが、心得ある者の走りようではなかった。手に後生大事に半弓と思われるものを握っているのが見える。

又八郎朝着狗大喊一声。那一会儿,他已经差不多知道那个逃走的男人是谁了。那个十丈开外左冲右突不知往哪里跑的男人,无疑就是那个杀狗人。看那身形动作,看那奔跑的姿势,绝非高手。这会儿他手里还紧紧握着一张弓。

――どじな犬だ。

——真是条蠢狗!

 又八郎は心の中で罵った。前には石見銀山入りの餌を喰わせようとし、先日は荒縄で首を締めにかかり、今日は矢を射かけてきた当の犬殺し目がけて、まるは嬉々として飛んで行く。用心棒としては、手に汗を握らざるを得ない。

又八郎禁不住在心里骂道。想用老鼠药把自己毒死,想用绳子把自己勒死,今天又在树林里放冷箭的杀狗人就在前面,丸丸竟然欢天喜地地跑了过去。作为保镖,又八郎不禁手心里捏了一把汗。

男がつまずいて転んだ。追いついたまるが男の回りを飛びはね、からだをぶつけてじゃれかかつた。すると不思議なことが起こった。身体を起こした男は、それ以上立って逃げようとはせず、地面に座りこんだまま、まるに手をさしのたのである。

那人绊了一脚摔倒在地,丸丸追上去围着那个人又蹦又跳地撒欢儿,又磨又蹭和那个人嬉戏。接着出现了不可思议的一幕。那个男的从地上爬起来,也不再跑,一屁股坐在地上,伸手去抚摸丸丸。

又八郎が追いついたとき、男はまるを抱きしめ、犬は犬でふだんとは打って変った積極的なそぶりで、男の顏や首をなめていた。

追到跟前的时候,又八郎看到那个男人紧紧抱着丸丸,丸丸也和平日大为不同,很亲昵地用舌头舔男人的脸和脖子。

「まる。恶かつた。許してくれ」

“丸丸,都是我不好,请你原谅我!”

手製と見える粗末な弓を、まだ手に握っている男は、犬に顔をくっつけて涙をこぼしている。又八郎はあっけにとられて言った。

那个男的手里还握着那张貌似手工制作的弓,把脸紧贴在够脸上,泪流满面。又八郎惊得目瞪口呆。

「知り合いか」

“你和丸丸是老相识吗?”

男は又八郎を見上げ、はいと言った。浅黒い顏をし、気弱そうな細い眼をもつ若い男だった。

男的抬头看看又八郎,回答说是的。那是个年轻人,面色黝黑,一双细眼,给人一种很懦弱的印象。

「なに者だ、お主」

“阁下是什么人?”

と又八郎は言った。この気の弱そうな、身体の細い若者が、田倉屋が言うような同業からの回し者とは思われなかつた。

又八郎问道。眼前这个性情懦弱、身体瘦弱的年轻人,怎么看都不像德兵卫所说的那个同行派来的人。

 犬を連れて、又八郎が家に戻ると、ちょうど玄関から利吉が出てきたところだつた。

又八郎牵着狗回到家的时候,正赶上利吉从玄关出来。

色白で、鼻筋がとおり、女のように小さい口をしている男である。身ごなしも柔らかく、いかにもお店の切れものといった印象を与える。又八郎は、まだ口をきいたことはなかった。

那个男子肤色很白、鼻梁挺直,长着一张樱桃小口,颇似个女人。举手投足也很阴柔,给人的印象就是一个精明干练的店小二。又八郎未曾和他说过话。

又八郎がじろりと顔を眺めると、利吉は小腰をかがめ、顏をそむけて擦れ違った。

又八郎狠狠地瞪了他一眼,利吉小腰一弯,把脸一扭和又八郎擦肩而过。

――あれはいかん。

——这可不行啊!

 又八郎は、犬の首から紐をはずしてやりながらそう思った。あの男につき合っていると、いまにおとよに破滅がくるという気がした。いい気分で浮気を楽しんでいるようだが、利吉が、本気で女に惚れているわけではあるまいと又八郎は思う。そう思せるのは、男が身にまとっている、ある種の冷たさだった。おとよは捨てられるか、騙されるか、いずれろくな結末にはなるまい。田倉屋に浮気が露顕した場合にも、大損するのはおとよで、あの男は巧妙に逃げるに違いないという気もする。

又八边把绳子从狗脖子上解下来边在心里想。他有种预感,和这个男人耳鬓厮磨,阿丰很快就会身败名裂。看上去阿丰很享受这种红杏出墙,但又八郎觉得利吉并非真心迷恋阿丰。他之所以那么想,是因为这个男子身上散发着一种冰冷之气。阿丰或者被抛弃,或者被欺骗,反正没有什么好结果。若是阿丰红杏出墙的事情被德兵卫发觉了,吃大亏的还是阿丰,那个男子一定会巧妙地脱身。

又八郎が茶の間に行くと、おとよは細い煙管でぼんやり莨を喫っていたが、あわてて、

「ごくろうさまでした。犬の散步」

 と言つた。少しきまり悪そうな顔をしている。こういうところが、この女の正直なところだ、と又八郎は思った。

又八郎来到饭厅,看见阿丰正衔着竹烟袋神情恍惚地吞云吐雾。看到又八郎进来,慌忙说道:“让您去遛狗,真是辛苦您了!”阿丰的表情里有几分尴尬。又八郎心想,这个女人的直率之处就在这里。

「いま、利吉さんに聞いたことなんですけど」

“刚才听利吉说了……”

おとよは、又八郎に新しい茶を淹れながら言った。

阿丰边给又八郎沏茶边说。

「こないだの吉良さまの斬り合いのお話。大変だったらしいですよ。浅野の殿さまというひとは、その日のうちに腹を切らされたんですってね。五万何千石とかいうお家は、それでお取り潰しだそうですから、ご家来衆がかわいそうだって、みんな言ってるらしいのね」

“前日里吉良王爷和人打斗的事情,好像事情闹得很大!浅野的那位王爷,听说当天就被命令切腹了。食俸五万几千石的王爷府,这下子也要被满门抄斩了。大伙儿都说那帮家臣太可怜了。”

············」

“……”

「おかしなことがあるんだそうですよ」

“还有奇怪的事儿呢!”

おとよは膝をすすめて、火鉢の上に身体を乗り出した。

阿丰跪着移过来,隔着火盆探过身子。

「片一方の吉良さま。こちらは何のお咎めもないんですって。浅野という殿さまが斬りつけたとき、刀を抜かなかったのがよかったらしいのね。でも喧嘩両成敗って言うんだから、片方が腹を切らされたのに、片方がけろりとしているのは、少しおかしいんじゃないかって、利吉さん言ってましたわ」

“当事者一方的吉良王爷,听说什么责罚都没有。浅野王爷挥刀劈过来的时候,幸亏吉良王爷没有拔刀。不是有句话叫做两败俱伤吗?一方被命切腹,一方却毫发无损,利吉说这事儿有点奇怪。”

「利吉さんもいいが、あんたは新吉というひとを知ってるかね」

“利吉咱先不说,你认识一个叫新吉的人吗?”

と又八郎が言った。おとよは口を噤み、びっくりした顔になって又八郎を見つめた。

又八郎问道。阿丰马上闭上了嘴,一脸惊讶地望着又八郎。

「知っておるかな。矢師の新吉を」

“认识是吧?那个弓箭师。”

「ええ」

“是的。”

 おとよはうなずいた。顔が少し赤くなったようだった。

阿丰点点头回答,好像有点儿脸红了。

「新吉さんが、どうかしたんですか?」

“新吉出什么事了吗?”

「この間からまるを狙っていた犬殺しというのは、じつは新吉なのだな」

“前些日子盯着丸丸的那个杀狗人,实际上就是新吉吧!”

「どうして?

“为什么那么说?”

 おとよは叫ぶように言った。

阿丰几乎喊了起来。

「そんなわけ、あるはずないでしよ、旦那。まるは新吉さんにもらった犬なんです」

“怎么会有那种事情呢?丸丸是从新吉那里要来的!”

「そういう話だな。まあ聞きなさい。いま、その新吉に会ってきたところだ」

“还真是那么回事啊!你听我说,我刚刚见过新吉。”

 又八郎が、回向院の本堂裏でつかまえた新吉に聞いたのは、次のような話だった。

又八郎在回向院的后面抓住了新吉,从他那里听来了下面的故事。

新吉とおとよは恋仲だった。二人は同じ裹店に育ち、新吉は浅草の矢師に奉公に出、おとよは米沢町の田倉屋に女中に行ったが、いずれは夫婦になるつもりでいた。めったに会うことも出来なかったが、新吉の奉公が明けたら、所帯を持つという約東まで交わしていたのだ。

新吉和阿丰原本是一对青梅竹马的恋人。两人在一个大杂院里长大,新吉去了浅草的弓箭师那里当学徒,阿丰去了米泽町的田仓商行做佣人,两人一直打算日后结为夫妻。虽然见面的机会很少,但两人已经约好,等新吉学徒期满就结婚成家。

おとよの家の方が貧しかった。おとよが、田倉屋の主人徳兵衛の世話を受けるようになったのは、弟妹が大きくなったり、家の中に病人が出たり、どうしても金のいることが出来たためだった。おとよは、岡場所や吉原に売られるよりはいいと思って、徳兵衛に囲われたのである。

阿丰家境贫寒,之所以做了田仓商行老板德兵卫的外室,是因为弟弟妹妹都长大了,家里还有病人,无论如何都需要钱。阿丰觉得总比被卖到窑子里强,所以就被德兵卫包养,做了老板的小妾。

そのときは新吉も納得して別れたのだった。おとよの家の事情を、新吉はよく知っていた。おとよは新吉が飼っていたまるをもらい、その犬を抱いて、田倉屋の妾宅に来た。二年前のことである。

那时候新吉也接受了这个现实和阿丰分手了,因为他很清楚阿丰家里的情况。阿丰向新吉要来他养的那条叫丸丸的狗,抱着那只狗来到了德兵卫的妾宅。说起来那是两年前的事情了。

 だが、新吉は結局あきらめ切れなかったのである。一年前に年期が明け、まわりから嫁をすすめられたりすると、かえっておとよに対する思慕が募つた。その後、おとよの母親の病気も直り、おとよの仕送りで一家が不足もなさそうに暮らしているのを見ると、新吉は理由のはっきりしない焦燥にとりつかれるようだった。

但是,新吉心中还是难以割舍。一年前学徒期满,周围开始有人给他说媒,这反倒加深了他对阿丰的思恋。后来,阿丰母亲的病也好了,靠着阿丰寄回来的钱,一家人也开始衣食无忧了。看到这些,新吉心头升起一种莫名的焦躁。

 結局おとよはみんなに騙されているのだという気がした。家の者みんなにも、田倉屋にも騙され、塀の高い別宅に閉じこめられているように見えた。

他觉得阿丰最终还是被大家骗了。在他眼里,阿丰是被家人骗了,也被德兵卫骗了,现在是被幽禁在高墙环绕的妾宅里。

新吉は、おとよの家の者にも、田倉屋にも反感を持った。反感がおとよに会えない焦燥に結びついたとき、新吉は犬を襲うことを思いついたのである。殺すつもりはなかった。傷つけるだけで、田倉屋をお上の咎めにみちびくことが出来ると考えた。おとよたちが恐れた石見銀山も少ししか使っていない。

新吉对阿丰的家人和德兵卫很反感,当那种反感和恋人不能相见的焦躁交织在一起的时候,他想到了袭击那只狗,但没打算杀死那条狗。他以为,只要伤了那条狗,就能让德兵卫受到衙门的责罚。阿丰害怕的老鼠药,他也只用了一点点。

 田倉屋が咎められれば、妾を囲うどころではあるまい。そうなれば、おとよが帰ってくる。新吉が考えたのは、それだけだった。

如果德兵卫受到衙门的惩戒,他就不能金屋藏娇了。那样一来,阿丰就会回到自己的身边。新吉所想的,只有这些。

「ま、浅はかといえば浅はかだが、気持はわからんでもない」

“要说他欠考虑也真够欠考虑的,不过他的心情我也能理解。”

··········」

“……”

「新吉は、いま仕腕のいい一人前の矢師でな。立派に妻子を養うだけのものを貫っているそうだ。まるを狙ったことは謝る。だからお妾はやめて帰つてくれないだろうかと言っていたぞ」

“新吉现如今已经是一位响当当的弓箭师了,他说凭他的本事足以养家糊口,让老婆孩子过上体面的日子。他让我带话给你,首先对袭击狗的事情表示歉意,问你能不能不再做妾回到他身边。”

·············

“……”

「実家の方は、もう立ち直って仕送りもいらんそうではないか」

“听说你娘家那边都好起来了,也不用你捎钱了,不是吗?”

「ええ。おっかさんが働いていますし、弟が奉公に出ましたから」

“是的,母亲能干活儿了,弟弟也去做学徒了。”

「そのようだの。犬の用心棒が口はばったいことを申すようではあるが、やり直すならいまのうちだと思うがの。田倉屋は悪い人間じゃなさそうだが、利吉のような男にかかわり合っていてはろくなことにならんぞ。断言してもいいが、あの男はあんたを不しあわせにするぞ」

“就是嘛!我这个保镖斗胆说句不该说的话,想重新来过的话现在正是时候。田仓商行的老板虽说不是什么恶人,和利吉那样的男人纠缠不清,最后是没有什么好果子吃的!我敢断言,那个男人只会给你带来不幸!”

「わかっているんですよ、旦那」

“您说的这些我都明白!”

おとよは伏せていた顏をあげた。眼に暗い光があつた。

一直垂着头的阿丰此刻抬起头来,眼睛里闪出一丝幽光。

「でもあたしにやり直せるわけがないじゃありませんか。もうお妾商売に骨の髄まで染まっちゃって、あたしは新吉さんが考えるような女じゃなくなったんですよ」

“可是我怎么能够重新来过呢?现在整个人从骨头里都变成别人的妾了,我再也不是新吉心中所想的那个阿丰了!”

「それはどうかな」

“怎么说呢?”

 又八郎は微笑した。

又八郎微微一笑。

「人間、変ったつもりでも案外変っていないということがあるからの。それはともかく、その気があるなら、一度新吉に会ってみることだな」

“有时候人觉得自己变了,可实际上根本没有变。这个咱先不说,有那个心思的话,你应该和新吉见一面。”

「新吉さんにですか」

“你是说让我去见新吉吗?”

「回向院の境内で、あんたを待っているんだが······」

“他这会儿正在回向院的大院里等着你呢……”

「いまですか。新吉さんあたしを待っているんですか」

“现在吗?新吉在等着我吗?”

おとよの顔にみるみる紅味がさした。おとよは胸を喘がせ、うろたえた眼で又八郎を見た。その前に、又八郎は手を出した。

阿丰的脸上立刻泛起了红晕。此刻的阿丰酥胸荡漾,娇喘吁吁,眼神慌乱地看着又八郎。又八郎把手伸到阿丰面前。

「さて、お手当てを頂戴しようか。犬の番人も今日で終ったのでな」

“那么,您该付我报酬了吧?我这个护狗人的使命今天就算结束了!”

又八郎が、しばらくぶりに住む町の近くまで帰ってきたとき、町は白っぼいたそがれ色に染まっていた。蔵前で、千住通りから左に入ると、そこにはもう歩いている人間も見当らず、仄暗い道が続いていた。

又八郎要回那久违的大杂院。当他走近那条街巷的时候,天色已晚,街巷笼罩在灰白的暮色里。从蔵前向左转走进千住大街的时候,昏暗的大街上已经看不见人影了。

綿をまるめたような、丸味のある大きな雲がひとつ、町の上にじっととどまっている。両国橋を渡るころに、まだ夕映えの赤味をとどめていた雲は、ほとんど白っぼく変っている。

抬头看看天空,只见天上停着一朵圆圆的云彩,颇似一团棉絮。当他要过两国桥的时候,刚才在夕照中微微泛红的云朵这会儿已经变成了灰白色。

――おとよは寺に行ったかな。

——阿丰应该去了回向院了吧?

ふっとそう思ったが、そこから先は又八郎の関知すベきことではなかった。ただそうなればいいとちらと思っただけである。

又八郎心里忽然闪过那么一个念头。阿丰两人今后的事情自然和又八郎毫无关系了,他只是心中一闪念,希望两人能破镜重圆。

又八郎は新堀川にかかる一ノ橋の小橋を渡った。渡ったとき、左手の白川神職の拝領地になっている塀ぞいに、人が歩いてくるのが見えた。白装束で頭にも白い頭巾をかぶっている。よくみると頭巾ではなく、白木綿で頭を覆い、両耳の上に輪をつくり、その余りは下に垂らしていた。背負っているのは三色に染めわけた猿の作り物だろうと思われた。裏店の源七と同じまかしょである。

又八郎走过了那座架在新崛川上的小桥,过了桥,左边就是白川神官的领地了。他忽然看见有人顺着围墙向自己这边走了过来。那人一袭白衣,好像头上也戴着白头巾。仔细一看,原来那不是头巾,而是用白布蒙在了头上,在两个耳朵上面扎了一个圈儿,余出的部分垂了下来。背上背着的好像是染成三色的布猴。看样子他和大杂院的源七一样,是替人祈祷的化缘人。

――源七の同業だな。

——这人是源七的同行啊!

そう思ったとき、男がびたりと足をとめた。ほとんど同時に、又八郎も立ち止まっていた。相手は物貰いのまかしょではなかった。立ちどまった男からは、すさまじい殺気が寄せてくる。

正那么想着,对面的男子突然停住了脚步,又八郎也几乎同时立住了。对方原来不是什么靠乞讨为生的化缘人。那个男的兀立不动,又八郎感到一股令人惊骇的杀气扑面而来。

「青江又八郎だな」

“阁下就是青江又八郎吧!”

「おお」

“是的!”

 又八郎の表情が一変し、ためらいなく刀を抜いた。男も背中の作り物の猿を投げ出し、仕込み杖を抜いていた。そのまま刀身を直線に構えて殺到してくる。又八郎も前に走た。

又八郎神色一变,毫不犹豫地拔出了刀。那个男的也把背上的布猴扔到一边,从暗藏宝剑的手杖里拔出剑来,双手擎剑扑了过来。又八郎也疾步如风迎向前去。

擦れ違いざまの一擊で、又八郎は軽く脇腹をかすられたが、相手の腕のあたりを斬った手応えを感じた。立ちどまってすばやく振りむいた相手が、無言のまま再び猛然と突っこんでくる。やや背が低く固肥りの体軀が、そのまま一本の剣のように見える攻擊的な男だつた。

擦肩而过的一瞬间刀剑相交,又八郎的肋下被轻轻划了一剑,可他凭感觉知道自己的刀砍中了对方的手腕。对方刹住脚步转过身来,气势汹汹地又扑了过来。那个人个子不高但身体壮硕,整个人看上去就是一柄利剑,浑身充溢着杀气。

又八郎は今度は動かずに、足を踏み固めて待った。胸先にきた剣をはねあげる。そして一撃を送り、それをかわして横に飛んだ相手に吸いつくように身体を寄せた。引きさがるようにして八双から斬り下げる。重い手応えがあつた。斬られながら、男も鋭く刀を突出したが、その剣先は又八郎の袖を切り裂いただけだった。男は崩れるように膝をつき、それから徐々に身体を傾けて、横転した。ひと言も口をきかなかつた。

又八郎这次兀立不动,双足踏地以逸待劳。对方的剑锋到了胸前,又八郎用刀往上一架,顺势就是一刀。对方闪身躲过跳到一旁,又八郎鬼魅一般如影随形贴身而进,紧接着往后撤身,偏右站立以八双姿势挥刀劈下。他感觉这一刀结结实实地砍中了对方,对方身受重创还是奋力将剑刺了过来,剑尖儿只是划破了又八郎的袖子。男子坍塌一般双膝跪地,然后身体一歪,躺在了地上,最后一句话也没说。

男の身体を痙攣が通りすぎるのを見送ってから、又八郎は膝をついて男の顔をのぞいた。髭面の四十ぐらいの男だったが、見覚えのない顏だった。

男子浑身痉挛慢慢断了气儿,又八郎单膝跪地看了看男子的脸,这是一个四十来岁的髯面男子,自己不曾见过他。

――しかし、家中の者には違いない。

又八郎心想,此人定是老家藩府的人无疑!

と思つた。その男が、家老大富丹後が放った刺客だということは明らかだった。相手は又八郎を知っていたのである。

既然对方认识自己,这个男子显然是家老大富丹后派来的刺客。

去年の暮近いころ、又八郎は宿直で城中にいて、偶然にある密談を聞いた。一室から洩れる人声に聞き耳を立てる気になったのは、声の主が、とうに城を下がったと思っていた筆頭家老の大富だったからである。密談の相手は藩主壱岐守の侍医村島宗順だった。やがて又八郎は、足音を忍ばせてその場を離れた。壱岐守は二年ほど前から病床についてる。大富は宗順に、壱岐守の病状を尋ねていた。そして、宗順が用いているある種の毒の使用をふやすよう命じていたのである。

去年年关将近的时候,又八郎在城中值班,不意间听到了一席密谈。他从一个房间的门前走过的时候,隐隐约约地听到里面有人说话。又八郎之所以竖起耳朵要听一听,是因为说话的人是藩里的首席家老大富,按说这一会儿他早该出城回家了。密谈的对方是藩主壹岐守的侍医村岛宗顺。又八郎听了听,接着就蹑手蹑脚地走开了。藩主从两年前起就卧病在床,大富正向侍医宗顺询问藩主的病情,然后命令宗顺加大某种毒药的用量。

翌日又八郎は、徒目付の平沼喜左衛門を訪ねた。平沼の娘由亀が又八郎の許婚だった。又八郎は、昨夜城中で聞いた藩主毒殺の陰謀を平沼に打ち明けた。

第二天,又八郎去拜访徒目付平沼喜左卫们。平沼的女儿由龟是又八郎的未婚妻。又八郎把昨晚在城中听到的毒杀藩主的阴谋告诉了平沼。

平沼ははじめ笑いながら聞いていた。何かの聞き違いだろうと言った。しかし又八 郎が激しく言い募ると、それでは大目付に言ってひそかに調べてみると約束した。だが又八郎が帰るために部屋を出ようとしたとき、背後からいきなり平沼が斬りかかったのである。反射的に、又八郎は平沼を斬っていた。そしてその夜、ただ一人の身よりである祖母を残して城下を出奔したのである。

平沼从开始就笑嘻嘻地听又八郎讲,还说一定是又八郎听错了。看又八郎越说越激动,平沼答应把这个事情报告给大目付,秘密调查事情的真相。又八郎告辞正要出门,平沼突然从身后挥刀劈了过来。又八郎情急之下不容多想,马上拔刀还击,砍伤了平沼。又八郎撇下和他相依为命的祖母,连夜从城中逃了出来。

そのあとがどうなったかは、又八郎は知らない。わかっているのは、一見平穏な城中で、藩主毒殺の陰謀がすすめられ、平沼までその一味だったことである。平沼に与えた傷は致命傷だった。恐らく死んだものと思われた。だが死ぬ前に平沼は、又八郎のことを何か言い残したかも知れない。そうなれば討手がくる。脱藩者を討つという名目で、大富丹後は次つぎと刺客を向けることが出来る。

至于事情后来怎么样了,又八郎无从得知。他只知道一个事情,城中貌似风平浪静,可毒杀藩主的阴谋正在展开,就连平沼都是他们一伙儿的。平沼挨不过他那致命的一刀,恐怕已经死了。但是临死之前或许留下了什么话,那样的话刺客一定会找来。大富以讨伐脱藩者的名义,可以接二连三地派出杀手。

――この男がそれだ。 

と又八郎は思った。男が、まかしょに身をやつして来たのは、どのような手段を使ってでも又八郎の口を封じようとする、大富の意志のあらわれとみることも出来た。この男を斃しても、刺客はまた現われるだろう。それは国元を脱け出したときから、覚悟を決めていたことだった。

又八郎心想,这个男子就是杀手之一。这个刺客不惜装扮成衣衫褴褛的化缘人找上门来,表明大富心意已决,无论如何也要将又八郎杀死灭口。干掉了这个刺客,别的杀手还会找来。从逃出家乡的那时起,又八郎已经做好了心理准备。

――だが、あの人が来るまでは……。 

死ぬわけにいかん、と又八郎は思った。

又八郎心想,在那个人到来之前,自己绝对不能死!

平沼の刀をかわし、振り向きざまに斬ったとき、又八郎は廊下に物の砕ける音を聞いた。運んできた酒肴の支度を廊下に落とした由亀の、茫然とした顔が眼に残っている。

躲过平沼的刀,转身劈过去的时候,又八郎听到走廊里传来了东西摔在地上的声音。由龟一惊之下把手里端着的酒肴一下子掉到了地上,那张茫然无措的脸犹在眼前。

――いずれ、あの人がやってくるだろう。

——那个人迟早会来吧?

又八郎は、そう思いながら、立ち上がると膝の埃を払落し、足早にそこを離れた。

又八郎一边想一边站起身来,掸掉膝盖上的尘土,加快脚步离开了那里。



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