(天声人語)目利き不在の時代に
2017年4月5日05時00分
国宝級の陶磁器は、奥深い名を持つ。「不二山(ふじさん)」「喜左衛門(きざえもん)井戸」。筆者のような小心者は「割りでもしたら」と心配ばかりが先に立つ。東京国立博物館の名誉館員、林屋晴三(はやしやせいぞう)さんは違った。率先して掌(たなごころ)で包み、日にかざし、ときに唇で触れた。茶の湯に用いられるログイン前の続き陶磁器の分析を究め、88歳で亡くなった▼京都?宇治の茶園の生まれ。11歳ごろ初めて茶席に出て、喜々として稽古に励む。上空を米機B29が飛び、警報が鳴り響いても茶碗(ちゃわん)を離さなかったという▼30代でもう目利きとして名が立つ。博物館の倉庫や各地の美術商に足しげく通ったことで審美の目が養われた。戦後すぐ財閥解体や財産税の導入で資産家の蔵から一級の茶碗が流れ出た時期だった▼親交のあった茶道の武者小路千家、千宗屋(せんそうおく)さん(41)は「私にとっては大切な茶友(ちゃゆう)であり、生涯の師匠でした」と惜しむ。毎月のように京都へ招き、自分の茶がどのように映るか何度も教えを請うた▼直言居士として知られた。人間国宝である陶芸家に向かって、「この間の作品はダメだな」とためらわず言う。琳派(りんぱ)の祖とされる名匠本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の作品であっても、心を許した友には「自分には名作とは思えない」と率直な疑問をぶつけた▼国宝級の茶碗が本物か偽物か、テレビの鑑定番組で騒動が起こったばかりだ。真贋(しんがん)の見極めが付けられないのは、陶磁器の世界に限らない。世評や看板、値札に惑わされず、自分の目や指、唇で真価を見抜ける人物が減っているのだろうか。