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論語--学而 為政 八イツ 里仁

来源:孔子 作者:日语港 时间:2010-02-16 阅读:5127

 

1 学而篇
●学而-01
子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎

先生はこう言っていた。
学んだ後、実際に確かめたり、実践したりする。これは面白い事だね。はるばる遠方より親しい友が訪ねてくる。これは楽しい事だね。人に認められても認められなくても特に気にしない。これは立派だね。

●学而-02
有子曰、其爲人也、孝弟而好犯上者、鮮矣、不好犯上而好作乱者、未之有也、君子務本、本立而道生、孝弟也者、其爲仁之本與

有子はこう言っていた。
穏やかで、孝行な人は、目上に逆らう事を好まない。目上に逆らう事を好まない人は、乱れを起こすような事をしない。成熟した人間は根本のことに努力する。根本が定まって初めて進むべき道も見えてくる。穏やかで孝行な態度は、仁徳の根本だと思うよ。

●学而-03
子曰、巧言令色、鮮矣仁

先生が言っていた。
巧みな言い回し、美しい表現。こうしたものには真実味が少ない。

●学而-04
曾子曰、吾日三省吾身、爲人謀而忠乎、與朋友交言而不信乎、傳不習乎

曾子が言っていた。
私は毎日3つの行いについて反省する。
人の為になにかする時に、いいかげんにしなかっただろうか。仲間に対して誠実さを欠くようなことをしなかっただろうか。自分が確かめもしなかった事を、人に受け売りで教えなかっただろうか。

●学而-05
子曰、道千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時

先生が言っていた。
人の上に立つ時は、事を慎重に進めて信頼を得、無駄使いせずに分け与え、人を使う時は、事情や情勢をわきまえて使うと良いね。

●学而-06
子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力、則以學文

先生が言っていた。
家庭では孝行し、外では穏やか?慎み?誠実な態度でふるまい、他人に優しく接すよう努める。このような人格ができてから、そこでなにか始め出すと良いね。

●学而-07
子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交、言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣

子夏が言っていた。
優れた才能の持ち主を、素直に認め、尊敬し、熱心に教えを受け、親の為に力をつくし、目上の為によく動き、仲間と誠実な態度でつきあう。これができる人が、例え自分は何もできないと言ったとしても、私はこの人物を評価します。

●学而-08
子曰、君子不重則不威、學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改

先生が言っていた。
上に立つ者は、あまり軽々しいと威厳がなくなる。広く学べば頑固でなくなる。真心を第一にして、自分より劣ったものをみて見下して安心するのをやめなさい。自分のあやまちに気づいたら、ためらわず改めなさい。

*(自分より劣ったものを友達としない)が自然な意訳


●学而-09
曾子曰、愼終追遠、民徳歸厚矣

曾子が言っていた。
上に立つものが、親を大事にすれば、周りもそれを見習うだろう。

●学而-10
子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政、求之與、抑與之與、子貢曰、夫子温良恭儉譲以得之、夫子之求之也、其諸異乎人之求之與

子禽が子貢にこう言っていた。
我々の先生は、どの国に来訪しても、政治の相談話をされました。これは、先生がそれを求めたのでしょうか?それとも向こうから持ちかけられたのでしょうか?

子貢が答えた。
先生はおだやかで、素直で、丁寧で礼儀正しく、つつましい態度であったから、自然と悩みを打ち明けられたのだ。特別自分から聞き出すことはなかったと記憶している。

●学而-11
子曰、父在觀其志、父沒觀其行、三年無改於父之道、可謂孝矣

先生が言っていた。
親のやりたい事を観察して、親の死後は行為を吟味し、そして急激に方針を変えないのは孝行といえるだろう。

●学而-12
有子曰、禮之用和爲貴、先王之道斯爲美、小大由之、有所不行、知和而和、不以禮節之、亦不可行也

有子が言っていた。
礼は人の和をもたらす、それが貴重なのだ。しかし和を大切にしながら上手くいかないときがある。それは和を保とうとして、礼のけじめをつけないからだろう。

●学而-13
有子曰、信近於義、言可復也、恭近於禮、遠恥辱也、因不失其親、亦可宗也

有子が言っていた。
約束は筋道を通したものであるほど守りやすく、言った事を貫く事ができる。礼儀は礼の本質をとらえていれば、恥を欠くことはない。団体は上に立たせる人物を間違えなければ、存続できる。

*(親しむべき人物を取り違えなければ、いつまでも頼りがいになる)が自然な意訳


●学而-14
子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉、可謂好學也已矣

先生が言っていた。
贅沢な飲食、安楽な住まい、こういうものを追い求め過ぎず、よく働き、言葉を慎重に選び、しかも尚、道義を身につけた人の下で学ぶなら、その人は学を好むと言えるだろうね。

●学而-15
子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時樂道、富而好禮者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也

子貢が言っていた。
貧しくてもねたまず、豊かであっても傲慢でない態度は誉められた態度でしょうか?

先生が答えた。
いいねー。しかし貧しい中で楽しみを見つけ、豊かであっても礼儀を好む態度には及ばないかな。

子貢がいう。
詩経に「どんな環境でも立派な態度をとる」のような事が歌われていますが、それはちょうどこのことですね。

先生が言った。
うんうん子貢よ、それでこそ共に詩の話ができるね。詩を聞いて、私の話のあとの事までわかるのだから。

●学而-16
子曰、不患人之不己知、患己不知人也

先生が言っていた。
人に認められない事を気にするよりも、自分が人を認めない態度でないかを気にすることだ。

2 為政篇
●為政-01
子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之

先生が言っていた。
人々をまとめるのに道徳を大事にすれば、ついてきてくれる。

●為政-02
子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪

先生が言っていた。
詩経という本を一言で言えば、心の思いに邪なし。だ。

●為政-03
子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥、道之以徳、齊之以禮、有恥且格

先生が言っていた。
法令を頼り、刑罰で人をまとめようとすれば、人々は法の網をくぐり抜けることを考え出す。道徳を浸透させて人をまとめるなら、自然と統制がとれるだろう。

●為政-04
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩

先生が言っていた。
私は15歳で、自分の意志で何かを学ぼうと決心し、30歳で一生の進路を決め、40歳になって精神?肉体的に不安定な時期を乗り切り、50歳になって自分というものが解り、60歳になって他人の意見に素直に耳を傾けられるようになり、70歳になって、特に自制しなくても行き過ぎた行動をしないようになった。

●為政-05
孟懿子問孝、子曰、無違、樊遲御、子告之曰、孟孫問孝於我、我對曰無違、樊遲曰、何謂也、子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮

孟懿子が先生に孝行とは何かを聞いたことがあった。
先生は、まちがえないように。と答えた。

そのあと御者だった樊遲に先生は言った。
孟懿子に孝行について問われたが、私は、まちがえないように。と答えたんだよ。

樊遲は、先生に、それはどう言う事ですか、と言うと、先生が答えた。
親が生きている時は、礼を尽くして支えてやり、亡くなったら礼を尽くして葬ってやり、礼を尽くしてその後、祀ってやる。つまり礼をまちがえるなということだよ。

●為政-06
孟武伯問孝、子曰、父母唯其疾之憂

孟武伯が孝行について先生に問うた事があった。先生はこう答えたという。親は、子の安否が心配なものです。

●為政-07
子游問孝、子曰、今之孝者、是謂能養、至於犬馬、皆能有養、不敬何以別

子游が孝行について先生に問うた事があった。先生は答えたという。
親を扶養することが孝行と考えるものがいるようだが、養うだけなら家畜と同じ事、尊敬の念がなければ孝行の意味がない。

●為政-08
子夏問孝、子曰、色難、有事弟子服其勞、有酒食先生饌、曾是以爲孝乎

子夏が孝行について先生に問うたことがあった。

先生はこう答えたという。気持ちが大事だ。大変な仕事であれば代わってやり、食糧があれば食事をすすめる。このようなただ形式的なことが孝行といえると思うかい?

*(相手(親など)の気持ちを読むのが難しい)という意訳もあり


●為政-09
子曰、吾與囘言終日、不違如愚、退而省其私、亦足以發、囘也不愚

先生が言っていた。
顔回と一日中話し込んでも、異説も反論もなく、ただうなずき、納得するだけで、まるで能無しに見えた、しかし、その後の彼の行動を観ると、やはり私の言いたい事を理解してる。能無しではない。

●為政-10
子曰、視其所以、觀其所由、察其所安、人焉捜哉、人焉捜哉

先生が言っていた。
行動を見て、その人の経歴を観察して、その人の目的を調べたなら、その人の人柄を知る事ができるだろうな。うん、できるな。

●為政-11
子曰、温故而知新、可以爲師矣

先生が言っていた。
古い事と新しい事について熟知する者は、教師となれよう。

●為政-12
子曰、君子不器

先生が言っていた。
上に立つものが使われる立場ではマズイ。

●為政-13
子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之

子貢が上に立つもの、について先生に問うた。先生はこう答えたという。
まず、主張する事を理解?実行してから、ひとに主張する事だ。

●為政-14
子曰、君子周而不比、小人比而不周

先生が言っていた。
大物の人間関係はおおらかで、小さくまとまることはない。小物の人間関係はこせついて、仲間うちだけで話したがる。

●為政-15
子曰、學而不思則罔、思而不學則殆

先生が言っていた。
外から知識を得るだけで、考えることをしなければ、知識は身につかない。考えるだけで外から知識を得ようとしなければ、独善的になる。

●為政-16
子曰、攻乎異端、斯害也已矣

先生が言っていた。
自分と異なるものを研究してこそ、偏見や独断による害をまぬがれる事ができる。

*(見当違いのモノを研究しても意味が無い)という意訳もあり


●為政-17
子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也

先生が言っていた。
由よ、いいかい。自分の知っている事は何か、知らない事は何か。この区別をはっきりさせることが、知る。ということだよ。

●為政-18
子張學干祿、子曰、多聞闕疑、愼言其餘、則寡尤、多見闕殆、愼行其餘、則寡悔、言寡尤行寡悔、祿在其中矣

子張が禄をとるための事を先生に聞いた。先生はこう答えたという。
たくさん聞いて、怪しい部分は口にせず、自信のもてることを慎重に口にすれば、失敗は少なくなる。たくさん見て、あやふやな事はやめ、確実な事を慎重に実行すれば、後悔は少なくなる。言葉の失敗?行動の後悔がなくなれば自然と禄が得られるだろうね。

●為政-19
哀公問曰、何爲則民服、孔子對曰、擧直錯諸枉、則民服、擧枉錯諸直、則民不服

王様の哀公が、どうしたら国民が服従するだろうか。と先生に尋ねた。

先生はこう答えたという。まっとうな者を、ひねくれた者の上に立てれば、国民は王の命令に従うようになるでしょう。逆なら、従うことはないでしょう。

●為政-20
季康子問、使民敬忠以勸、如之何、子曰、臨之以莊則敬、孝慈則忠、擧善而教不能則勸

季康子が、先生に、人民を敬虔?誠実。勤勉になるようにさせる為にはどうしたものでしょう。と問うた。

先生はこう答えたという、あなた自身が厳粛な気持ちで接すれば、民は敬虔になるでしょう。あなた自身が民を慈しめば、民は誠実になるでしょう。優れている者を登用し、そうでない者は教育してやる。こうすれば民はよく働くようになるでしょう。

●為政-21
或謂孔子曰、子奚不爲政、子曰、書云、孝于惟孝、友于兄弟、施於有政、是亦爲政也、奚其爲爲政

ある人が先生に向ってこう言った。
先生はどうして政治をなさらないのですか?

先生は答えた。
書経にこうある「孝行だね、孝行だ。兄弟と仲良くすることは」この心が政治スケールに拡大するのなら、わざわざ政治家にならずともよいのだ。

●為政-22
子曰、人而無信、不知其可也、大車無軛、小車無軛、其何以行之哉

先生が言っていた。
人として信義がなければ、人どうし仲良くやっていけるハズがない。馬車も、馬と車をつなぐものがなければ、動かしようがないね。

●為政-23
子張問、十世可知也、子曰、殷因於夏禮、所損益可知也、周因於殷禮、所損益可知也、其或繼周者、雖百世亦可知也

子張が中国の未来の国について尋ねた。先生はこう答えたという。
どの王朝も前の王朝のきまりを受け継いだり、廃止したり、加えたりして今に至っている。だから、前のことを調べれば、予測はできるね。

●為政-24
子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不爲、無勇也

先生が言っていた。
特に意味もない迷信的な祭祀を行うことは物資?労力の無駄である。人として、やらなければならない事を目の前にしながら、なおも迷うのは、ただの臆病者だ。

3 八イツ篇
●八イツ-01
孔子謂季氏、八イツ舞於庭、是可忍也、孰不可忍也

先生が季氏の事をこう言っていた。
季氏が、厳粛であるべき雰囲気の中、皇帝のための派手な踊りを舞わせた。この非礼を咎めず辛抱できるなら、どんな事でも我慢ができるだろう。ただ、私はこのことを辛抱できない。

●八イツ-02
三家者以雍徹、子曰、相維辟公、天子穆穆、奚取於三家之堂

王族の方々が、厳粛な雰囲気の祭礼の場で、歌を奉げていた。先生は言っていた。
その歌の中に「諸侯が天子を支えています。天子はうるわしくしていて下さい」とあった。なぜこの様な歌を諸侯自らが歌っているのだろうね。

●八イツ-03
子曰、人而不仁、如禮何、人而不仁、如樂何

先生が言っていた。
人間らしい心が欠けているならば、礼を行ったところで何になるだろう。人間らしい心が欠けているならば、音楽を奏したとして何になるだろう。

●八イツ-04
林放問禮之本、子曰、大哉問、禮與其奢也寧儉、喪與其易也寧戚

林放が礼の根本について先生に尋ねた。先生はこう答えたという。
うーん。難しい質問だね。それは。礼は派手にするより質素に、祭礼は形を整えるより悼む心が大切じゃないのかな。

●八イツ-05
子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也

先生が言っていた。
今時期なら、無秩序な国で、君主が立ったとしても、中国で君主が居ない状態の方が、まだ安全かな。

●八イツ-06
季氏旅於泰山、子謂冉有曰、女不能救與、對曰、不能、子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎

季氏が泰山でお祭りを催そうとしていた。
それを聞いた先生は冉有にむかって、お前なら季氏を止める事ができよう。とめてくれんか?と言われると。冉有は出来ません。と答えたので、先生はこう言ったという。「泰山が林放に及ばないとおもっているのか」

●八イツ-07
子曰、君子無所爭、必也射乎、揖譲而升下、而飮、其爭也君子

先生が言っていた。
立派な人は無用な争いをしない。争ったとして競技をするくらいだろう。しかもそのあと、相手と飲み交わすくらいの心意気で。

●八イツ-08
子夏問曰、巧笑倩兮、美目盻兮、素以爲絢兮、何謂也、子曰、繪事後素、曰、禮後乎、子曰、起予者商也、始可與言詩已矣

子夏が、「笑えば可愛い口元えくぼ、目元美しパッチリと、白さで綺麗に仕上げたよ」という詩がありましたが、これはどう言う事なのでしょうか?と先生に尋ねた。

先生は答えた。いい素材を、化粧で仕上げる。といったような事かな???。

子夏が言う。素材、つまり真心がもとで、化粧、つまり礼は後仕上げでしょうか?

先生が言う。ははは、なるほどそうだね。それでこそ君と詩を語る事ができるね。

●八イツ-09
子曰、夏禮吾能言之、杞不足徴也、殷禮吾能言之、宋不足徴也、文献不足故也、足則吾能徴之矣

先生が言っていた。
ものごとの基を語る事は出来るが、派生したものごとを語る事はできない。ものごとの基をどのように感じて派生したかがわからないからだ。

*厳密には(夏や殷の歴史を探るけど、史料が足りないからよくわからない、派生した国のことも史料充分なら語ることも出来る)という話の流れ。


●八イツ-10
子曰、蹄自既灌而往者、吾不欲觀之矣

先生が言っていた。
祭礼で肝となる儀式以外は特に私は興味がない。

●八イツ-11
或問蹄之説、子曰、不知也、知其説者之於天下也、其如示諸斯乎、指其掌

祭礼について先生がこう言っていたという。
昔に成立した儀式をなぜ、今も繰り返し行う必要があるのかを問われたとしても、私にはわからない。もしわかるなら、ホレ、この中で天下を語るようなものだね。と言って、手のひらを差し出された。

●八イツ-12
祭如在、祭神如神在、子曰、吾不與祭、如不祭

ご先祖や神々を祀る際には、ご先祖や神々の居やすい雰囲気をつくる。先生が言っていた。何かの拍子で祭りに携わらないと、祀った気分がしない。

●八イツ-13
王孫賈問曰、與其媚於奧、寧媚於竈、何謂、子曰、不然、獲罪於天、無所祷也

王孫賈が、「王より、それを支える臣の機嫌をとれ」ということわざがありますが、どう思われます。と先生に尋ねた。

先生は答えた。なんだか違いますね。機嫌をとってもその際に罪を犯したなら、自滅してしまい、素も子もありません。

●八イツ-14
子曰、周監於二代、郁郁乎文哉、吾從周

先生が言っていた。
周王朝は、それ以前の夏王朝と殷王朝のことを参考にしたらしい。良いことだ。周王朝にあやかりたい。

●八イツ-15
子入大廟、毎事問、或曰、孰謂聚人之知禮乎、入大廟、毎事問、子聞之曰、是禮也

先生は儀礼について1つ1つ尋ねていた。
人から、「ヤツが礼に詳しいなんて誰が言ったんだ?ヤツはああして質問ばかりしているじゃないか」と言われた。先生はそれを聞くとこう言ったという。慎重さこそが礼なのだと信じている。

●八イツ-16
子曰、射不主皮、爲力不同科、古之道也

先生が言っていた。
弓の礼では、的の中心に当てる事をとくに第一としない。
各人の能力には個人差があるからなのだが、それを差別化するのが今のやり方だ。

●八イツ-17
子貢欲去告朔之餽羊、子曰、賜也、女愛其羊、我愛其禮

子貢が、告朔の礼で、羊をいけにえにする事のみ行われていたので、いけにえを止めさせようとした。先生は言う。子貢よ、お前は羊がかわいそうなのだね。私は礼全体が疎かにされる方が気がかりだ。

●八イツ-18
子曰、事君盡禮、人以爲諂也

先生が言っていた。
いや、困りものだよ。主君に仕え礼を尽くしているのに、人は私がへつらっているかのように言うんだよ。

●八イツ-19
定公問、君使臣、臣事君、如之何、孔子對曰、君使臣以禮、臣事君以忠

王様の定公が「王が臣を使い、臣が王に仕える心構えはどうあるべきか」と尋ねた。

先生はこう答えたという。王は礼にかなった態度で臣を使い、臣は誠意をもって王に仕えることです。

●八イツ-20
子曰、關雎、樂而不淫、哀而不傷

先生が言っていた。
關雎の詩は、楽しげだがハメを外さず、悲しげだが重くない。調和がとれている。

●八イツ-21
哀公問社於宰我、宰我對曰、夏后氏以松、殷人以柏、周人以栗、曰、使民戰栗也、子聞之曰、成事不説、遂事不諌、既徃不咎

王様の哀公が、樹木を神体とする、社のことを宰我に尋ねた。
宰我は、昔は松?ひのきなどを使って、周の時代では栗を使いました。周の栗は処刑に関係したので、民衆を戦慄させる意味です。と答えた。
これを聞いた先生は宰我に、済んだ事、やってしまった事、過去の過ちは非難しない事だと注意した。

●八イツ-22
子曰、管仲之器小哉、或曰、管仲儉乎、曰、管氏有三歸、官事不攝、焉得儉乎、曰然則管仲知禮乎、曰、邦君樹塞門、管氏亦樹塞門、邦君爲兩君之好、有反沾、管氏亦有反沾、管氏而知禮、孰不知禮

先生が言っていた。
管仲は立派な人物だが、3つも家を持ち、それぞれに管理人をおいたので、倹約はしていなかったようだ。さらに家の構成も国主同然のたたずまいのようだったらしいね。管仲がもっと礼を重んじていたら、周りも礼を重んじて、世の中も変わっていたかもしれないな。

●八イツ-23
子語魯大師樂曰、樂其可知已、始作翕如也、從之純如也、徼如也、繹如也、以成

先生が音楽について、音楽関係の役人に尋ねられた。
音楽は面白いです。最初は金管?打楽器で盛んで、それを打つと他の楽器もよく調和し、そしていつの間にか一小節がおわります。

●八イツ-24
儀封人請見、曰、君子之至於斯也、吾未嘗不得見也、從者見之、出曰、二三子何患者於喪乎、天下之無道也久矣、天將以夫子爲木鐸

流浪中、国境の役人が先生に会いたいと願った事があった。
役人が、ここに来た有名人、皆にあった事があります。と言う。先生が役人に会ってみて、その後、役人は供の者達にこう言ったという。流浪を嘆く必要はありません、天下が乱れて久しくなりますが、だからこそ天下は先生に教えを広める役目を与えたのでしょう。

●八イツ-25
子謂韶、盡美矣、叉盡善也、謂武、盡美矣、未盡善也

先生が韶の音楽を批評した。「美しさは充分だし、善さも充分だ」
また、武の音楽も批評した。「美しさは充分だが、善さはまだ充分ではない」

●八イツ-26
子曰、居上不寛、爲禮不敬、臨喪不哀、吾何以觀之哉

先生が言っていた。
指導的立場にいて寛容さがなく、礼を正しているようだが形だけで敬う心はなく、葬儀に参列しても悲しみの気持ちが無いのでは、その人物のどこを見所としたものか、わたしにはちょっとわからないね。

4 里仁篇
●里仁-01
子曰、里仁爲美、擇不處仁、焉得知

先生が言っていた。
仁を貫く事は立派だ、あれこれ迷った末、仁を外れるのではどうして智者といえよう。

●里仁-02
子曰、不仁者不可以久處約、不可以長處樂、仁者安仁、知者利仁

先生が言っていた。
仁者でない人は苦しい情況を耐えられないし、安楽な生活も長くは維持できない。仁者は仁の心が身についているから、どんな情況でも迷いや悩みはなく仁を貫こうとする。智者は理性の判断として仁が必要であると知っているから仁を貫こうとする。

●里仁-03
子曰、惟仁者能好人、能惡人

先生が言っていた。
私心の無い、仁の心をもった者だけが純粋に人を大事にする事ができ、また純粋に人を憎む事ができる。

●里仁-04
子曰、苟志於仁矣、無惡也

先生が言っていた。
本当に仁をめざしているなら、人から憎まれることはなかろう。

●里仁-05
子曰、富與貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也、貧與賎、是人之所惡也、不以其道得之、不去也、君子去仁、惡乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、巓沛必於是

先生が言っていた。
財産と高い地位。これらは誰もが欲しいと思うものだろう。だがあくどい手で得たものならそこに安住してはいられない。貧しさと低い地位。これらは誰もが避けたいと思うものだろう。だが正常の生活でそうなったのなら、無理に逃れようとは思わない。非道に走っては名誉を維持できないだろう。どんな事態であっても非道に走らないのが理想だ。

●里仁-06
子曰、我未見好仁者惡不仁者、好仁者無以尚之、惡不仁者其爲仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者、蓋有之乎、我未之見也

先生が言っていた。
仁を好む人も不仁を憎む人も少ない。仁を好む人はもうそれ以上の事はないし、不仁を憎む人も仁を行う。それは不仁の人を相手にしないからだ。もし少しの間でもその力を仁のために尽くすものがあったとして、出来ないものなど私は見た事が無い。理屈では出来ないものもいるというのは解るが、私は見た事が無いのだ。

●里仁-07
子曰、人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣

先生が言っていた。
人の失敗を見ていると、どうも人それぞれにちがう傾向があるようだ。失敗の内容を見ればその人の内容が垣間見られる。

●里仁-08
子曰、朝聞道、夕死可矣

先生が言っていた。
人としての歩くべき真実を気付けたら、その後なにがあっても本望だよ。

●里仁-09
子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也

先生が言っていた。
何かををめざしながら、粗衣粗食を我慢できない者とは、語り合う気になれない。

●里仁-10
子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比

先生が言っていた。
天下を取ろうとするならば、感情的な好き嫌いや、目先の利害で判断しない事だ。わが道にかなっているかどうかを基準として判断するのである。

●里仁-11
子曰、君子懷徳、小人懷土、君子懷刑、小人懷惠

先生が言っていた。
徳人は心を大事にするが、不徳の者はモノを大事にする。徳人は自然と行動するが、不徳の者は見返りを求める。

●里仁-12
子曰、放於利而行、多怨

先生が言っていた。
利益のみを求めて行動すると、怨まれる。

●里仁-13
子曰、能以禮讓爲國乎、何有、不能以禮讓爲國、如禮何

先生が言っていた。
譲り合いで秩序が保たれれば、国を治めるのに苦労は要らない。譲り合いの心がなければ、国家で礼を定めても意味がない。

●里仁-14
子曰、不患無位、患所以立、不患莫己知、求爲可知也

先生が言っていた。
出世できない事を嘆くより、自分がその立場にふさわしい実力を身につけているかを気づかう事だ。自分が認めてもらえない事を悩むより、自分が相手から認められるだけの仕事をしているかを気にすることだ。

●里仁-15
子曰、參乎、吾道一以貫之哉、曾子曰、唯、子出、門人問曰、何謂也、曾子曰、夫子之道、忠恕而已無

先生が、曹参よ私の場合の道はアレだね。これに曹参はそうですね、と答えた。

弟子がどう言う事なのか曹参に尋ねると、先生の場合の道はまごころを大事にしている。と答えた。

●里仁-16
子曰、君子喩於義、小人喩於利

先生が言っていた。
立派な人は非道を憎み、ずるい人は利益を好む。

●里仁-17
子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也

先生が言っていた。
優れた人に出会ったら、正面教師とし、嫌な人に出会ったら反面教師にすると良いね。

●里仁-18
子曰、事父母幾諌、見志不從、叉敬不違、勞而不怨

先生が言っていた。
親の悪い部分を発見した時は、あくまで穏やかに諌め、言う事を聞いてくれない場合は、表向き諌めないで、密かに心に訴える。また心配はしても恨みに思わない事だ。

*(密かに心に訴える)は独自に加味


●里仁-19
子曰、父母在、子不遠遊、遊必有方

先生が言っていた。
親が健在の時には、遠出で心配をかけない事だ。遠出をするにも連絡ぐらい入れるのが好ましい。

●里仁-20
子曰、三年無改於父之道、可謂孝矣

先生が言っていた。
親の没後、すぐに方針を変えない事は、孝行の一つと言える。

●里仁-21
子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼

先生が言っていた。
孝行したいなら親の年齢を知ることだ。年齢で長生きを喜び、老いを気づかえる。

●里仁-22
子曰、古者、言之不出、恥躬之不逮也

先生が言っていた。
言葉を慎むのは、実践がそれに追いつかない事を恥じる心があるからだ。

●里仁-23
子曰、以約失之者、鮮矣

先生が言っていた。
慎重に行動して失敗する事は少ない。

●里仁-24
子曰、君子欲訥於言、而敏於行

先生が言っていた。
話し方はあまり滑らかでない方がよく、行動はもたもたしていない方が好ましい。

●里仁-25
子曰、徳不孤、必有鄰

先生が言っていた。
徳行を貫き通している人は孤立しない。いつか理解者や仲間が現れる。

●里仁-26
子游曰、事君數斯辱矣、朋友數斯疎矣

子游が言っていた。
上司への諫言は良いが、あまりうるさ過ぎると、上司を侮辱しているように思われる。友人への忠告は良いが、あまりうるさ過ぎると、煙たがられる。

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