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釣魚島事件と中日関係の未来
来源:北京週報 发表时间:2010-10-31 浏览:3695

釣魚島事件と中日関係の未来
 
王衝(中国社会科学院日本政治センター特約研究員)

9月7日、二隻の中国漁船が釣魚島海域で漁を行っていた際、中国漁船の船長が日本の海上保安庁に逮捕され、日本は法に基づいて中国の漁民を処分すると発表した。これに対し中国政府は一連の抗議を行い、日本の駐中国大使を数回にわたって呼び出した。日本が強硬な態度を取り続けたため、中国は両国間の省(地方政府)と閣僚級以上の交流の中断、航空便増便に関する接触の中止、中日石炭関係総合会議の延期、中国公民の日本旅行の制限などの措置を講じた。

9月24日午後、日本は違法に拘留していた中国漁船の船長を処分保留で釈放すると発表。これにより、釣魚島海域付近で発生した船舶衝突事件は一区切りついた。

しかし、今回の事件の影響は依然として存在している。船舶衝突事件の発生後、中日は半月余り対立してにらみ合い、中日関係はたちまち凍りついた。釈放前には、中国の釣魚島保護派が日本大使館前で抗議デモを行った。釈放後は、日本の右翼も日本政府の態度が軟弱だとして中国国旗を燃やして鬱憤を晴らし、中日の国民感情は対立した。

今回の事件によって中日関係は明らかに損害を被り、中日の民間の相互信頼は試練を受けた。注目されているのは、いかにして類似した事件の再発を防ぐか、中日関係はどこに向かうのかということだ。

中日関係に根本的影響は与えない

これらの問いに答える前に、中日間の釣魚島に関する争いの背景について基本的に理解しておく必要がある。

釣魚島は古来より中国の領土である。釣魚島は中国東海大陸架の東のふちにあり、地質構造上は中国台湾の大陸性島嶼に属している。明朝初期には早くも、釣魚諸島は中国領土であることが明確にされ、明、清の二つの王朝はいずれも釣魚諸島を中国の海防管轄範囲下に置いてきた。1895年、日本は甲午戦争(日清戦争)で清政府の敗色が濃くなったのに乗じて、『馬関条約』(下関条約)調印の三カ月前にこれらの島嶼を奪い、沖縄県の管轄下に置いた。1943年12月、中、米、英が発表した『カイロ宣言』では、東北、台湾、澎湖列島など、日本が中国から奪った領土は中国に返還すると定めている。1945年の『ポツダム宣言』では、「カイロ宣言の条件は必ず実施するものとする」と定められた。同年8月、日本は『ポツダム宣言』を受託して無条件降伏した。これは日本が台湾とそれに付属する釣魚諸島を中国に返還することを意味するものだ。

しかし1951年9月8日、日本は米国との間に『サンフランシスコ講和条約』を調印し、釣魚諸島は沖縄と同時に米国の管理下に置かれた。1972年に米国が沖縄の主権を日本に返還した際、同時に釣魚諸島の行政管轄権も日本に移管された。しかし国外の中国系の人々が組織する釣魚島保護派の運動により、米国は日本に移管したのは管轄権であって主権ではないことを公言した。

釣魚島には複雑で込み入った歴史があるため、紛争が絶えないのも不思議ではない。例えば、1978年、中国の多くの漁民が「釣魚島は中国の領土」とチョークで書かれた船を釣魚島海域に進めた。このため日本側は中国の駐日本大使館と連絡を取ったが、この時の大使館スタッフの回答は「釣魚島は中国の領土で、中国の漁民には操業する権利がある」というものであった。この件が発生した当時、『中日平和友好条約』交渉が6年間にわたって断続的に行われており、重要な時期に入っていた。しかし中日双方の指導者は大きな影響は受けず、予定通り調印を行った。これは少なくとも当時の状況下では、中日双方には旧ソ連の覇権への対抗などの面で共同利益が釣魚島よりもはるかに重要であったことを物語っている。だからこそ、鄧小平が打ち出した「論争を棚上げし、共同開発する」という方針が日本側にも受け入れられたのだ。

この後も、釣魚島海域ではよく騒動が起こった。1990年、日本青年社が釣魚島に灯台を建設した。2004年には馮錦華ら7人の中国釣魚島保護派が釣魚島に上陸。日本の右翼もすぐに島への上陸を希望したが、日本政府はこれを許可しなかった。2006年、台湾の漁民が釣魚島海域で日本に捕らえられたがすぐに釈放され、日本はこれについて謝罪を行った。

これらの事件は、釣魚島には確かによく争いが起きるが中日関係に决定的な影響を与えるものではない、ということを説明するに十分だ。同時に、釣魚島の争いは抑えられないわけではなく、双方の政府が抑制された態度を保ちさえすれば、釣魚島海域の平静と両国関係の平穏が保たれることも物語っている。
 
船長逮捕で戦略的な探りを入れた日本

問題は、中国人船長を逮捕し日本の法律に基づいて処分するという日本側の今回の決定が、均衡を破る行為であったことにある。これに対し、日本国内には偶然であるとか、日本は司法が独立しているなどと言う人もいる。私はこうした主張は間違いだと考える。日本の船長逮捕という決定には以下のような理由があった。

まず、中国人船長逮捕という事態の発生は最近の中国海域における局面と密接な関係がある。韓国哨戒艦「天安」事件後、米国の空母が介入し、中国をめぐる軍事演習が絶えず行われている。中国が直面する情勢はやや緊迫していたと言える。このような時に、日本は機会に乗じて利を得ようとしたのだ。

第二に、日本の政局から見ると、事件発生時はちょうど民主党の党首選挙にあたり、挑戦者である小沢一郎氏は「釣魚島を中国領土と認めたことはない」と発言していた。こうした時に海上保安庁が船長を逮捕すれば、菅直人首相は選挙の必要性から、当然投票前に中国に対して弱腰の姿勢を示すはずがなかった。だからこそ、釈放を拒み続けることになったのだ。

第三に、日本の海上保安庁の中国人船長逮捕と船員の拘束を「偶然の出来事」と見る人もいるが、偶然には必然も含まれていた。実際のところ、日本は8月21日にはすでに25の離島を国有化して、海底資源独占の基点とすることを決定していた。一歩進んだ措置を講じたことで、事実上、釣魚島を日本領土に変えるために戦略的な探りを入れたのだ。探りを入れた以上は、それに反発する力が働くもので、これでもう日本が当面安易に再挑発してくることはないはずだ。日本側が挑発することがなければ、釣魚島は少なくとも表面的には平静が保たれるだろう。少なくとも、両国関係に大きなマイナスの影響を及ぼすことはないだろう。

同様に、日本が最終的に釈放を決めたことにもこれに類似した理由があった。私は最近日本の共同通信社の記者の取材を受けた際、以下のような分析を行った。

第一に、釣魚島事件の発生前後、米国の高官二名が訪中し、胡錦濤主席が来年訪米することが確定し、中米関係が好転していた。米国も中日関係の悪化を望んでおらず、日本側の船長釈放を望んでいた。つまり、日本は戦略上見誤ったことになる。

第二に、中国の強硬な対抗措置は日本の予想を上回り、日本はこれに耐えられず釈放するしかなかった。

第三に、日本国内について言うと、日本の民主党内選挙が終了したことだ。選挙期間中、菅直人首相の党内ライバルであった小沢氏は釣魚島を中国領土と認めたことはないと発言していたが、当時菅首相は、釈放は票を相手に献上することに他ならないと述べていた。こうした角度から言えば、中日関係は日本の内政の犠牲になったのだ。

未来の中日関係を楽観

中日は一戦交えるに違いないと言う人は多いが、私はそれほど悲観してはおらず、楽観的な態度をとっている。私は戦争のほかにもこの問題を解決するもっと知恵を活かした方法があるはずだと考えている。或いは、十分に知恵がない状況においては、少なくとも論争は棚上げするべきだ。なぜなら戦争で得られた領土は、次の戦争で失うかもしれないからだ。

特に悲観していない理由の一部は中国政府の態度にある。実際、中国政府は今回非常に自制的だった。最初の抗議の後、数回連続で大使を呼び出したことは、確かにここ数年なかったが、中国政府が自制的でなかったら、大使を直接退去させ艦隊を差し向けていたはずで、一触即発の事態になっていた。中国国民は中国政府を弱腰だと考えたが、実際には、中国政府は中日関係という大局的視点や当該地域の平和的発展の角度から、さらに多くを考慮していたのだ。

昨今の中日関係の発展から見ても、悲観する必要はない。小泉政権の間、民間の賠償請求、南京大虐殺、靖国神社参拝などにメディアの注目が集まり、当時の中日関係は「政冷経熱」であった。現在の所謂「氷点」は、当時よりも低いだろうか?そんなことはない。小泉政権終了後、中日関係は「氷を砕く旅」と「氷を融かす旅」を経て、花開く春を迎えた。今は若干の面倒事や困難にぶつかってはいるが、小泉政権終了以来の良好な関係へと向かう大きな流れは変わっていないのだ。

ここ数年、中日の民間交流も多く、中日のジャーナリスト、一般青年、経済界の間でも密接な交流が行われている。これが基礎であり、この基礎は全体として強化され続けている。日本に行った人の多くが、日本人はとても温和だなど、日本人に対して好印象を抱いて帰ってくる。こうした東洋人に共有の文化の面で、両国国民の間には多くの共通点を見出すことができる。これが重要なのだ。

近く中日首脳会談も

中日関係の基礎はまだしっかりしており、釣魚島事件の影響はすぐに消えるだろう。中日両国の首相はアジア欧州会議(ASEM)で「廊下外交」を実現させ、日本側の入念なお膳立てにより菅直人首相と温総理との偶然の出会いが演出され、しかも会話は25分間に及んだ。これは、両国の指導者層がともに中日関係が良好な方向へと向かうのを望んでいることを物語っている。温総理の言葉の通り、中日の戦略的互恵関係の発展を促進することを望んでいるのだ。

不測の事態が起きなければ、11月に日本で開催されるAPEC期間中に、中日の指導者は「正式会談」し、釣魚島事件のページがめくられて日中関係は次なるページへと進むことになるだろう。もちろん、日本がダライ・ラマの訪日を招請しているという噂もあり、これは変数である。日本には面倒事を起こさず、中国の核心利益に触れないようにしてほしい。

しかし、今後の両国関係が順風満帆であるという意味ではない。

日本は米国に追随している。これまでになくアジアを重要視しているとはいえ、日米同盟を基礎とした戦略は変わっていない。鳩山由紀夫元首相は普天間基地問題で米国と腕比べをしたが、その結果失意のうちに首相を辞任した。今後、米国とアジアの間でいかにしてバランスのとれた選択を行っていくのかが、日本が隣国関係をうまく保つためのカギとなる。

日本人は政治家を含めて、一つ一つ個別の得失にこだわり、マクロ的な視野に欠けている。戦略上はすばらしいが、戦術的には若干問題がある。日本人はロシアとの間に北方四島についての争いがあり、韓国とは竹(独)島についての争いがあることをよく分かっている。竹(独)島問題については何も説明することはない。日韓は米国の盟友であるため、米国はこの島をめぐって問題が複雑化しないよう圧力をかけている。

次なる一歩は、どうやってもっとよくするかだ。私は日本の加藤嘉一氏と鳳凰網(ifeng.com)の番組で対談したが、その際に加藤氏が述べた以下の二つの観点に賛成だ。一点目は、今日のような変化の中にあって、日本はさらに深く中国を理解すべきであり、日本人は社会主義の赤い政権という偏見で今日の中国を見るのではなく、もっと広範で多様化した方法で今日の中国を見るべきであり、それが中国人とどうつきあっていくかを考える上でプラスになるということだ。

二点目は、中日間には危機に発展する可能性のある突発性事件が至るところにあり、両国は早急に文化人、メディア関係者、学者、芸能人などからなる突発事件管理委員会を設置すべきだということだ。これは国情と体制の違いによって両国関係にもたらされる極めて大きな代価に対処する上での助けになる。

実際、中日関係は体制の枠組み内でのみ築かれるべきではなく、ルーチンの枠を超えたインタラクティブなメカニズムを考え出して、安定的で健全な関係の発展を保証するべきである。船舶衝突事件で、私たちはこうしたメカニズムの多様性を改めて認識することができた。これは両国にとって非常に重要である。

「北京週報日本語版」2010年10月18日