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日语中级阅读入门
作者: 发表时间:2013-04-08 浏览:4182

 

 

 

1課 わたしのクラスメート

わたしは去年の4月から日本語学校で勉強しています。わたしのクラスにはアメリカ人、中国人、タイ人、韓国人、シンガポール人、フィリピン人など、いろいろな国の人が15人います。みんな明るくて、しんせつないいクラスメートです。毎日仲良く勉強しています。クラスの中で、一番仲が良いのは、エリザベス・アギナルドさんです。

エリザベスさんは、フィリピンのマニラで生まれました。小学校から大学までマニラで勉強しました。大学を卒業してから、銀行に1年ぐらいつとめて、それから小学校の先生をしました。堵父さんのすすめで日本語の勉強を始めました。1年間の勉強が終わった.時、もっと日本語や日本のことを勉強したくなりました。それで日本に留学することにしました。そして、わたしたちはクラスメニトになりました。

エリザベスさんのしゅみは、エアロビクスです。週に3回く“らい、学校が終わってからクラブに行って、汗をかきます。ですからエリザベスさんはすばらしいスタイノレです。ぜんぜんふとっていないので、うらやましいです'。その上エリザベスさんはベストドレッサーです。休みの日の楽しみは、銀座のデパートやブティックを兄てまわることです。わたしもよくいっしょに行きます。

エリザベスさんは、漢字は苦手ですが、'言舌すことはとくいです。去年の10月に学校でスピーチコンテストがありました。クラ'ス代表のスピーチはみんな上手でしたが、土リザベスさんが優勝して、一番大きなトロフィーをいただきました。とてもすばらしいスピーチでした。

 

 

2 手紙

レイナさん

拾げんきですか。わたしはげんきです。シンガポーノレはあついですか。日本はいま、とてもさむいです。それで、わたしはせんしゅうのにちようびに、ともだちといっしょにしんじゅくヘオーバーを買いに行きました。はじめはデパー/へ行き主した。きれいなオ__がたくさんありました。しかし、高カiったです。ともだちが「ほかのみせへ行きましょう」一といいました。わたしたちはデートを出ました。

デパートのちかくに小さいみせがありました。そのみせでは、オーバーもセーターもとても安かったです。わたしは、あかくてながいオーバーがい'い、と宕もいました。みせの人が「せんしゅう、このオーバーは2万円でしたが、きょうは一1万円です。安いですよ」といいました。わたしはそのオーバーと、しろいセーターと、マフラーを買いました。ぜんぶで15000円でした。まいにち、そのオーバーをきて学校に行きます。とてもあたたかいです。〈

らいしゅう、テストがあります。日本語はむず'かしいです。わからないもんだいは日本人のともだちにききます。ともだちはしんせつです。わたしはときどき、そのともだちに、英語を持しえます。テストが終わってから、やすみがあります。それで、よこはまへあそびに行きます。

てがみといっしょに、しゃしんを送ります。また、てがみを書きます。では、お元.気で。

チンより

 

 

 

3課 80さいの誕生日

日本女性の平均じゅみょうは80さいくらいだそうです。80さいになっても元気に、明るく生活している人がおおぜいいます。今、アメリカに住んでいるわたしの祖母も、今年の5月に80さいの誕生日を祝いました。

彼女は14さいで結婚し、12人の子どもを育て、今は35人の孫がいます。わたしの国フィリピンでは、大家族が多いですが、わが家も大家族です。フィリピンでは、家族はとても大切で、仲良くします。結婚の相手を決める時も、ボーイフレンドを自分の家に招いて、家族の全員に紹介します。毎週1回は祖母の家に子どもたちが孫たちをつれて集まります。とてもにぎやかです。

祖母の80さいの誕生日には、マニラで一番大きなホテルを借りて、大家族の全員と親しい友人が、全部で500人以上集まりました。ごちそうを食べたり、ダンスをしたり、歌をうたったりして、とてもにぎやかでした。祖母もワルッやチャチャチャをおどりました。それから子どもと孫の全員が花をプレゼントしました。祖母は花がいっぱいの中で、うれし涙を見せました。お祝いのことばにはタガログ語や英語や日本語がまじってきこえました。

祖母はこんなにたくさんの子どもや孫や友達の名前と顔を決してまちがえません。35人もの孫の中で、わたしは祖母と一番仲がいいです。東京で留学生活をおくっているわたしのところへ、来週祖母が来る予定です。フィリピンからアメリカに帰る途中で寄ってくれるそうですので、今から楽しみにしています。

 

4課わたしの日曜日

わたしは日曜日が大好きです。だれでも日曜日が大好きだと思いますが、そうでない人もいるのでしょうか。デパートやホテルにつとめている人たちは、日曜や休日は平日より忙しそうで大変だと思います。

日曜の代わりに週日が休みでも友達と休みがちがうので、会えなくて、かわいそうだと思います。でもわたしは日曜日には、学校もアルバイトも休みなので、1日中、自由です。何でも好きなことができます。朝ねぼう、散歩、ブランチ、買物、友人とのおしゃべり、映画、テレビ、スポーツなど、したいことが次から次に出てきます。でも一人でくらしているので、そうじ、せんたく、食料品の買物など、いろいろと家の中のこともしなければなりません。

まず朝は9時か10時ごろまで、ゆっくりと朝ねぼうを楽しんで1週間分のね不足をとりもどします。それから朝ごはんをのんびり食べます。時には昼近くに、朝食と昼食を一緒にしたブランチを食べることもあります。午前中にそうじやせんたくをしてから、食料品や日用品の買物に近くのスーパーに行きます。 

カートを押しながら、スーパーの中を歩くのも楽しいです。

午後は友達と会って一緒にデパートで買物をします。特に買物の予定がない時でもデパートの中は明るくれいで、品物もとてもたくさんあるので、見るだけでも楽しいです。このようなウインドー・ショッピングは、日本語で何と言うのでしょうか。その後で、映画を見たり、レストランで食事したりします。

せっかくの日曜日に雨が降ったりすると、とても残念です。けれども、どこへも出かけないで、友達とごちそうを作って、それを食べながら、テレビを見たり、いろいろな話をすることも好きです。何をしても楽しい日曜日は、あっという間に時間がたって1日が終わってしまいます。

夕食のあとは、国の家族や友達に手紙を書いたり、電話をかけたりします。国際電話は高いので、1か月に1回か2回ぐらいかけます。ゆっくりとお風呂に入って歌をうたったりすることもあります。また1週間分の勉強のふくしゅうをしたり、しゅくだいをしたりもします。ですから、日曜日は楽しい日ですが、また忙しい日です。日曜日にしかできないことが山のようにありますが、全部はできません。日曜日が1週間に2度あったらいいと思います。そうすれば、日曜日にしたいことやしなければならないことを全部できると思います。でも日曜日は週に1回しか来ませんから、よく考えて、一番大事なことと、一番したいことをして有効に過ごすことにしています。

 

 

 

5課 結婚式

フランスの結婚のしかたは、もちろん日本と違います。まず、フランスでは、「お見合い」が、ぜんぜんなくて、ほとんど全部が恋愛結婚です。7年前の姉の結婚を例として話しましょう。

姉の結婚は家族にとって、うれしい出来事でしたので、式場やパーティー場の予約をしたり、招待の手紙を出したり、ウェディング・ドレスを買ったりして、みんなで、いろいろな準備をしました。式の当日、9月の第3土曜日は、朝から、家族や親しい友達が集まりました。姉は、美容院に行って、かみをきれいにセットし、ウェディング・ドレスを着ました。そして午後1時ごろ、みんなで教会に行きました。教会で花むこの家族と会って、キリストの前で式を行い、記念写真をとって市役所に行きました。市長が「うれしい時も、苦しい時も助け合いますか」と質問して、「はい」と答えて、式は終わりました。

それから、パーティーをしました。みんなが集まって、シャンペンを飲んだり、プチ・フールを食べたりして、二人を祝いました。とても幸せなふんいきでした。そのあと、少し休んでから、家族でディナーを食べました。その前に二人にプレゼントをあげました。すばらしいプレゼントだったので、わたしも早く結婚したいと思いました。次の日に二人は新婚旅行に行きました。行先はひみつでした。7年後の今は、二人の子どもが生まれ、家族四人で北フランスで、幸せに生活しています。子どもは、手紙や電話でわたしに会いたいと言っています。とてもかわいいので、今度会う時には、日本のおみやげをたくさんあげるつもりです。

 

 

6課 お花見は南から北へ

日本では、4月に新学期が始まりますので、あちこちで入学式が行われます。東京では、ちょうどそのころサクラの花が満開になります。上野公園をはじめ、あちこちのサクラの名所は、お花見の人でにぎやかになります。サクラの下で、お弁当を食べたり、パーティーをする人も多いです。夜になると、ちょうちんをたくさん並べて「夜桜」見物をします。これも大へんきれいです。

サクラの花は、咲いてから7日目には、もう散ってしまいます。サさクラの花が30パーセントぐらい咲いた時を「三分咲き」、50パーセントの時を「五分咲き」、100パーセントの時を「満開」と言います。1本の木で、最初の花が咲いて、約10日で満開となり、2週間目ごろには、ほとんど全部散ってしまいます。ですから、サクラの見ごろは、365日の中で、たった7日間ぐらいの短さです。それで、「サクラの花は、パッと咲いて、パッと散る」とか、「花の命は短い」とか、言われます。日本の国土は、九州から北海道まで、南北に細長いです。南と北で、気温や天候が、ずいぶん違います。4月の平均気温で比べると、おきなわで21度、かごしまで16.1度、東京で13.9度、さっぽろで6.2度です。11月の平均気温では、おきなわでは、21.3度で、かごしま14.3度、東京12.3度、さっぽろ4度です。11月のおきなわの気温は、さっぽろの8月と同じです。

日本の南と北では、こんなに気温が違いますから、サクラの咲く時期も、かなり差があります。南から北へ行けば行くほど、おそくなります。いろいろな種類のサクラの木の中で、「ソメイヨシノザクラ」が、代表的です。花が大きくて、葉が少なく、とてもきれいなので、日本中にうえられています

お花見の期間は、1か所では短いですが、日本全国では南から北までかなり長いです。1月のおきなわから5月のさっぽろまで、4か月も咲いています。下の地図どおりに南から北ヘサクラの花をおいかけて旅行すれば、数か月もお花見が楽しめます。また秋の紅葉はサクラと反対に北から南へと動きます。このように日本は国土がせまいですが、1年中、季節の変化があって、お花見や紅葉などが楽しめます。

 

 

7課 初めてのアルバイト

先週の日曜日に、わたしは友達の家でアルバイトをしました。友達の家は、ケーキ屋です。店の中には小さいきっさ店もあります。友達のお父さんとお母さんがケーキを作って、お姉さんが売っています。きっさ店には白くてまるいテーブルといすがあってテーブルの上には花がおいてあります。かべには絵がかけてあります。店の中はコーヒーのにおいがします。きっさ店では男の人が一人、はたらいていて、その人がわたしに仕事を教えてくれました。

初めてのお客さんは、わかい女の人が二人でした。わたしは「いらっしいませ」と小さい声で言いました。むねがドキドキしました。わたしは日本語がまだ上手ではないので、心配でした。お客さんは「コーヒーを二つと、ケーキを二つ、おねがいします」と言いました。しかし、いろいろなケーキがありますから、どのケーキか、わかりません。わたしはよく考えてから、「ケーキはいろいろあります。どんなケーキですか」と聞きました。お客さんは「そうねえ。メニューを見せてください」と言いました。わたしはメニューを見せました。「チーズケーキをください」とお客さんは言いました。わたしはおぼんの上に、ケーキとコーヒーをのせてはこびました。お客さんは「ありがとう」と言いました。わたしはうれしくなりました。それからつぎつぎと、お客さんが来ました。わたしは「いらっしゃいませ」と大きい声で言って、メニューと水の入ったコップをテーブルにはこびました。ケーキやのみものの名前も全部おぼえました。

やっと午後7時に仕事が終わりました。友達のお父さんがアルバイト代をくれました。初めて自分ではたらいて、お金をもらいました。一日中立っていたので、つかれましたが、とてもうれしかったです。友達のお父さんが「毎週日曜日に、。この店ではたらきませんか」とわ、たしに聞きました。わたしは「はい、みなさん親切ですし、日本語の勉強もできるので、ここではたらきたいです。よろしくおねがいします」と言いました。お父さんは「こちらこそ」と言いました。しかし、本当は、わたしはケーキが大好きなので、ここではたらきたかったのです。

帰る時に、友達のお母さんが「ごくろうさま」と言って、ケーキを五つ、箱に入れてくれました。わたしはケーキの箱を大切にかかえて家に帰りました。

 

 

 

8課 家族

わたしの家族は6人です。祖母と両親と兄と妹と、わたしです。祖母はお茶の先生です。週に1回、家でお茶を教えています。わたしも時々、祖母にお茶を教えてもらいます。静かなお茶室ぞお茶を飲むと、心が落ち着きます。しかし、長い時間座っでいるので、足が痛くなって立てなくなることもあります。

祖母は八十八さいですが、とても元気で何でも自分でします。父は高校で歴史を教えています。父の趣味は写真で、若い時はカメラマンになりたかったそうです。わたしの家は鎌倉という古い町にありますから、父は休みの日には町を歩いて写真をとります。母は主婦で、料理がとくいです。歌が好きです。台所で料理を作りながら、いつも歌を歌っています。兄は貿易会社につとめています。スポーツは何でも好きです。恋人はまだいません。妹は高校生ですが、今アメリカの高校に1年間、留学しています。妹の手紙に「食事が多いので3キロも太ってしまいました」と書いてありました。アメリカの生活にもなれたそうです。

先週の日曜日は祖母の誕生日でした。日本では八十八さいになると「米じゅ」というお祝いをします。米の字を分けると八十八になるので「米じゅ」といいます。親せきの人や祖母の友だちも来てお祝いをしました。祖母はとてもうれしそうでした。

お祝いの会が終わってから、みんなで町を散歩しました。鎌倉にはお寺や神社などがたぐさんあります。海も近いです。わたしたちは2時間ぐらい散歩をしたので疲仰ました。しかし祖母は「これから海をみに行きましょう」と言いました。兄は「ぼくよりおばあちゃんのほうが若いね」と言いました。祖母が「明治生まれだから元気なのですよ。あなたもがんばりなさい」と言ったので、みんな笑いました。

日本人の平均寿命は世界で一番高くなりました。お年よりはこれからもっと多くなります。祖母のように年を取っても元気でいることほ大切なことです。

 

 

9課 お帰りなさい!宇宙から

秋山とよひろさんは、日本人で初めての宇宙飛行を終えて、無事に地球へ帰って来ました。19901210日、日本時間で午後3816秒でした。日本中の人が心から喜んで、「お帰りなさい」と言いました。秋山さんがソ連の宇宙船で、宇宙旅行に出発したのは、122日午後51320秒でした。8日間の宇宙旅行でした。

出発の日の朝は、現地時間で午前5時半に起きました。そして、1040分に元気な声で、「行って来ます」と言って、宇宙船に乗りました。秋山さんの奥さんは、「がんばって!」と言って見送りました。秋山さんは、テレビ局の記者です。出発の2時間後、すなわち、日本時間で2日の午後7時には、もう宇宙船から秋山記者の声が日本中のテレビ・ラジオをとおして、聞こえました。

「出発直後、宇宙船はひどくゆれました。窓から見る宇宙は、まっくらです。地球はやっぱり青いですね」

秋山さんは日本人では初めてですが、世界では242人目の宇宙飛行士です。8日間の宇宙旅行は、地球14万キロを90分、125周しましたから、全部で500万キロの大旅行でした。

秋山さんたちの乗ったカプセルは1210日にソ連のまっ白な雪原に無事着陸しました。テレピのインタビューで「青空がきれいですね、おなかがすいちゃった。うまいものを早く食いたいし、たばこを吸いたいし、ビールを飲みたいです。あ、空気がうまい!」などと話しました。それから「宇宙から見ると、地球には国境がないです。世界中の人はみんな仲良くしましょう!」とも言いました。「秋山さん、お帰りなさい!おめでとう!おつかれさま!」とみんなで言いました。

 

 

10課 留学生の生活

わたしの名前は森川マリアです。日本に来てから、半年になります。だいぶ、日本の生活に慣れました。わたしはよく日本人に間違えられます。それはわたしの顔が日本人のようだからです。

ですから、日本に来たばかりのころから、「すみません。○○へはどう行けば、いいでしょうか」と、知らない人に道をたずねられました。その時はもちろん、日本語で答えられませんでした。今は分かる時には教えてあげますが、あまり上手にできません。でも、「ごめんなさい。わかりません」と答えられるようになりました。

実は、わたしは、祖父が日本人で祖母がアメリカ人の、日系アメリカ人なのです。ですから、名字が日本名です。ふるさとはロサンゼルスです。日本まで飛行機で10時間ぐらいかかります。

わたしは経済の勉強がしたくて、日本に留学しました。アメリカでも経済の勉強をしていました。両国の比較をしたいのです。

まず、この日本語学校で1年間、日本語を勉強して、大学に入るつもりです。まだまだ日本語が上手ではありませんが、しっかり勉強しています。わたしにとって一番難しいのは漢字です。中級のクラスに入ってから、漢字が増えました。時々、泣きたくなります。新聞もなかなか読めません。

こんな時、アメリカヘ帰ろうかなと思います。電話は高いので、国の家族や友達に手紙を書きます。ラジオで、アメリカの放送を聞きます。クラスメートを誘って、居酒屋で飲むこともあります。カラオケ・バーには行きません。わたしは歌が下手ですから。でも、ディスコヘは行きます。たくさん踊って汗をかくと、気持ちがいいです。元気になります。そして、わたしはまた新しい気持ちで勉強を始めます。

 

 

11課 一泊二日の小旅行

正月休みに一泊二日の小旅行をしました。会社の同僚5人と一緒にレンタカーでドライブしました。道路がこむと困るので、早朝2時に東京を出発しました。途中で2回、サービス・エリアで休んで、コーヒーを飲んだり、朝食を食べたりしました。6時間くらいで目的地の長野県のスキー場に着きました。この冬は雪があまり降らないのでスキーができるかどうか心配でした。でもゲレンデには雪がたくさんありました。少し休んで、9時ごろから夕方までメキーを楽しみました。昼ごはんもスキー場で食べました。

旅館に帰って、夕食前に温泉に入りました。温泉は初めてでした。あまり広くない風呂場でしたが、明るくてきれいでした。お湯は熱くて、長く入っていられませんでした。でも、出ると寒いので、とび込んだり、あついのでまたとび出たり、忙しかったです。

夕食後、こたつに入って、みんなでトランプをしたり、いろいろな語をして楽しかったです。わたしは日本に来てまだ3か月ですが、日本語は日本へ来る前に、国で4か月勉強しました。日本へ来てからも週に2回ずつ日本語の勉強を続けています。ですから、日常会話なら少しできます。着物をきた小学生ぐらいの男の子と女の子が二人で、わたしたちの部屋をのぞきました。旅館の子どもたちでした。わたしたちは大よろこびで、「どうぞこっちへ入ってください」と言うと、はずかしそうに入って来ました。わたしの日本語でも話ができて、とてもうれしかったです。田舎の人の方が、東京の人より、親しみやすいし、すぐ友達になれると思いました。

二日間の旅行は楽しいことばかりでしたが、帰りは道がこんで10時間ぐらいかかりました。疲れましたが、また行きたいです。

 

 

12課 犬好きになったわたし

わたしは半年前に中国の杭州から来た留学生です。名前はインです。わたしは今、保証人のすずきさんの家に住んでいます。その家には茶々という名の犬がいて、家族の一員です。

わたしは小さい時に、近所の大きくてこわい犬においかけられたり、ほえられたりして、すっかり犬ぎらいになりました。初めてすずきさんの家に来た時、1ぴきの茶いろい犬がわたしを見てそばに来ました。わたしは手を出して頭をなでましたが、本当はこわくて、心の中では「ああ、こまった」と思いました。この犬が茶々でした。

わたしは、はじめの1か月ぐらいは、日本語がぜんぜんできませんでした。たとえば食事の時、お母さんは家族のみんなに「ごはんですよ」と言います。すると、茶々はすぐにテーブルのところへとんで行きます。でも、わたしは日本語がよくわからなかったので、いつも茶々のあとについて行きました。まどの外でおもしろいことがある時、だれかが「ほら、見てごらん」と言うと、茶々はすぐにまどのところへ行きます。わたしはまた茶々のあとについて行きます。このように最初のうちは、茶々のほうがわたしよりも日本語がよくわかりました。茶々はわたしの日本語の先輩でした。毎日、日本語を一生けんめい勉強して3か月ぐらいたったころには、日本人の友達といろいろな話もできるようになりました。そして茶々よりも日本語がわかるようになりました。けれどわたしの日本語の発音はまだ上手ではありません。家の人はわかってくれますが、茶々はわかりません。「おいで」と言っても茶々は来ません。「ちょっと見てこらん」と言っても見ません。「散歩に行こう」と言っても、ふりむいてくれません。だから、いっしょに散歩することもできません。わたしの発音が家の人とちがうからです。それが大変ざんねんでした。それで、わたしはテープをたくさん聞いて練習しました。そして、はじめて茶々がわたしの「おいで」を聞いて、わたしのところへ来てくれた時は、本当にうれしくなりました。わたしの日本語がやっと茶々につうじたからです。

今は、わたしは日本の生活にだいぶなれました。茶々はもう、わたしの日本語が大体わかりますから、毎日いっしょに散歩します。わたしの日本語の先輩、茶々のおかげで日本語も上手になったし、犬がこわくなくなって、犬が好きになりました。今度、わたしは茶々に中国語を教えようと思います。そして、中国語と日本語と、二つのことばのわかる犬にするつもりです。'

 

 

13課 お風呂屋さん

日本人は「きれい好き」だと言われています。また「風呂好き」だとも言われています。たしかに若い人の間では「朝シャン」族と呼ばれ、毎朝かならずかみを洗う人が多いです。これは少し洗いすぎかも知れません。入浴についても厚生省の調べによると内風呂(自分の家にある風呂)がある人の中で、ほとんど毎日風呂に入ると答えた人が約50%1日おきに入る人がおよそ30%、残りの20%ぐらいが、二、三日おきに入るそうです。外のお風呂屋さん(別名銭湯)へ行く人たちの中では、週に2度行く人が最も多いそうです。

お風呂と言えば、日本人の入るお風呂の平均温度は40度から42度くらいで、人によっては45度でもぬるいと言う人さえいます。けれどもあまり熱すぎるお風呂は、からだによくありません。ほかの国々では大体38度くらいだそうです。  

ですから外国から来た人は、みんな日本のお風呂はあつすぎると言います。

このごろは、お風呂屋さんの数がだんだん少なくなりました。風呂付きでないアパートの人は困ります。それに内風呂のある人でも、お風呂屋さんへ行きたい人も少なくありません。サウナ、お風呂、薬湯、季節によって特別なお風 呂や朝風呂もあります。1年中早朝4時から開いているお風呂屋さんもあるそうですが、これは大変珍しいです。

お風呂屋さんはからだを洗うだけのところではなくて、昔から人と人との交流の場でした。このごろは、外国人もちらほら見えて、お風呂屋さんも国際的になってきました。

 

 

14課 東京の生活

わたしは大学できかい工学を専攻しました。卒業後、仕事につくために、いろいろな面接を受けました。わたしは前から日本に深い関心があったし、日本のレベルの高い技術をおぼえたかったので、日本の会社にきめました。わたしの国はイギリスのとなりにあるアイルランドです。面積は大体日本の半分で、人口は350万人です。

ほかの国の都市と東京を比べると大きな違いがあります。東京の特徴の一つはまずその大きさです。面積はわたしの国の首都の3倍ですが、人口は15倍です。どこへ行っても、いつでも、すごくこんでいるので、生活がしにくいです。それで、わたしはもう1年も東京の郊外に住んでいますが、まだ東京の生活に慣れたとは言えません。特にわたしは人ごみが大きらいなので、朝の通勤電車に乗ることも苦痛です。もう一つの特徴は東京の生活費が世界で一番か二番に高いことです。具体的に言うと、国の生活費の3倍以上ですから、月給では足りない月が時々あります。東京の家賃、牛肉、きっさ店のコーヒー、ゴルフの費用などにはおどろかされました。

それから東京の人の仕事、生活の忙しさにおどろきます。レジャーの時でさえ、のんびりできないスケジュールです。早朝からあちこちを見物したり買物したりします。有名なところは人でいっぱいです。人と違った休日の過ごし方を考えてもいいのではないでしょうか。

東京の生活にもよい点がたくさんあります。一番うれしいのは東京ではカラオケバー、レストラン、ディスコ、きっさ店などがたくさんあって、楽しめることです。デパートをはじめいろいろな店には品物も豊富にあって、店員もしんせつです。特にわたしがよく行くのは六本木・原宿・新宿などです。

 

 

15課 曜日の話

 

神がこの世界をつくった時、1日目は、光と昼と夜をつくりました。おおぞら2日目には大空をつくりました。3日目には陸と海をつくりました。陸には草や木をしげらせました。4日目には海に魚を、陸に鳥をつくりました。5日目にはけものをつくりました。6日目には人間をつくりました。7日目、神はすっかり疲れて1日ゆっくり休みました。これはキリスト教の「旧約聖書」の創世記に書かれている伝説です。これにもとづいて1週間の最後の日を日曜日にしたと言われています。

ロ一マ時代には、宗教上、日曜日を「主の日」として休息の日と決めました。ほかの6日間は今、私たちが使っている「月火水木金土」と名づけられました。これは月と、ギリシア神話の神たちの火星、水星、木星、金星、土星の惑星の名前からつけられました。

日本では明治新政府が曜日を取り入れました。しかし、初め、政府はキリスト教を禁止していたので、曜日制を使いたがりませんでした。それで休日を一の日と六の日にしました。しかし、そのころ政府にやとわれていた大学の外国人教師たちが、日曜日の休日を要求したので、政府は日曜日を休日とするようになりました。明治9(1876)には学校だけ亡なく、国や県などの官庁も日曜日は休日、土曜日は12時までで、午後は休みとなりました。

ヨーロッパを旅行すると、日曜日は全部の店が休みで買い物ができなくて困る、ということがあります。そういう国では日曜日に働くことは悪い事なのです。しかし日本はキリスト教国ではないので、日曜日も開店しているところがたくさんあります。むしろ日本の商店やデパートにとっては日曜日は客がたくさん来るので、店を開けておきたい日なのです。ですから、ほとんどがほかの曜日を休日にしています。

 

 

16課 正月

正月は日本人にとってたくさんある伝統行事の中でも、もっとも大切な行事です。

正月の前の年の12月は「師走」と呼ばれ、1年間の仕事を全部終えて、新年を迎える準備をします。デパートや商店では正月用の商品を大安売りします。繁華街では夜おそくまで忘年会を楽しむ人の姿が見られます。暮れになると家族中で家の中のそうじをして、正月の飾りっけをします。家の入口には門松をつけ、家の中には鏡もちを飾ります。正月料理として「おせち」を作ります。地方ではもちつきをするところもあります。元旦に相手の人に届くように年賀状も書いて出します。1231日を「大晦日」と言います。除夜の鐘を聞きながら年越しそばを食べます。初日の出を見ようと、山や海へ行く人もいます。

元旦には家族そろって正月の料理を食べます。正月の酒「おとそ」を飲んだりお雑煮を食べたりします。お雑煮は1000年の歴史を持つ市月料理です。汁の中にもちや魚や鳥肉や野菜などが入っているものですが、地方によって材料や作り方がちがいます。

新年に初めて神社や寺へおまいりに行くことを「初もうで」と言います。おさい銭をあげて新しい年の幸福を祈ります。おみくじをひいて、1年の吉凶をうらなう人もいます。そして正月の町はいつもより華やかです。それはふだん、めったに見かけない着物を着た女性の姿がお拾ぜい見られるからでしょう。

また、今では少なくなりましたが、正月には特別な遊びがあります。たこあげ、カルタとり、羽つき、こままわしなどで、子どもも大人もいっしょに楽しみます。家々に「ししまい」がまわってくるところもあります。そして子どもたちにとって大きな楽しみは「お年玉」です。子どもたちは大人から現金の入ったお一年玉袋をもらいます。一人6子どもがもらうお一年玉の額は、数万円にもなり、この時期には小さなお金持ちがおおぜい生まれることになります。

地方から東京に来ている人たちは、正月になると、ふるさとへ帰ります。ふだんあまり会わない友人や知人と交流したり、届いた年賀状を読んで正月の三が日をのんびり過ごします。しかし、最近は正月を自宅で過ごさない人が増えてきました。ホテルに泊まる人や、海外旅行へ行く人もいます。若い人はスキーに行く人が多くなりました。おせち料理を作る家庭も少なくなって、デパートやスーパーでは高価な持せち料理が売れています。

このように正月もしだいに伝統的なものが少なくなってきました。それでも正月は日本人にとって新しい年を始める大切な行事であることはたしかです。心を新しくして1年の計画を立て、その年の幕開けをするのです。

 

 

17課 花火

花火は夏の楽しみの一つです。日本中あちらこちらで花火大会があります。川や湖や海岸であげることが多いです。北海道のとうや湖であげられた世界一大きい花火の玉は、直径が1.08メートルで重さが421キログラムもあったそうです。ドーンとあがったあとで、水面におちた火の粉の輪は直径800メートルもあったそうです。

日本ばかりでなく、外国でも花火が見られます。たとえばアメリカでは74日の独立きねん日に各地で見られます。いろいろな花火があがって、最後はナイアガラの滝やアメリカの国旗・せいじょう旗の花火で終わります。でも花火をしてはいけない州もあるそうです。

東京の花火大会では、何と言っても隅田川の花火大会が一番有名です。たいてい7月のさいこの土曜日に行われます。その時には、ひじょうにおおぜいの人が見物に来るので、まるで東京中の人が集まったようです。

早くから予約しておいて、屋形船に乗って楽しむ人もいれば、川の土手に見物席を取る人もいます。でも多くの人は、人の流れにそって歩きながら見物します。花火は二つの場所からドドーンとあがり、パッと広がって、いろいろな色や形に変化します。それは「しかけ花火」と呼ばれていて、毎年コンテストも行われます。

わたしはゆかたを着て見に行くのが楽しみですが、テレビで見ることもあります。見物人の中には、外国人もたくさんいます。次から次に「ドドーン」とあがって、「パッ」と散る花火はとてもごうかで美しく夢のようです。長い時間、つづけて見ていると、首が痛くなります。毎年この日をみんなが首を長くして待っています。

 

 

18課 体育の日

現在、日本には「国民の祝日」が13日あります。その祝日が日曜日の場合は翌日が休みです。この日は学校も会社も休みになって、国中の人がそろって祝います。1010日もその一つで、「体育の日」です。この日にはみんなスポーッにしたしみ、自分の健康について考えます。1010日が「体育の日」と決まったのは1966年です。その前は10月の第1土曜日でした。ではどうして1010日に変えたのでしょうか。それは1964年に第18回オリンピックが東京で開かれ、その開会式が1010日だったからです。

オリンピックがアジアで開かれたのは、この第18回東京オリンピックが初めてでした。このオリンピックには世界の94か国が参加して、5558人もの選手が東京に集まりました。開会式には伝統にしたがって、聖火リレーがあります。ですから、開会式の日に雨が降っては困ります。過去の記録をくわしく調べて、いつもよい天気の記録が続いた1010日が選ばれました。やはりこの開全式の1010日も、前日までの雨がやんで快晴となり、幸運のスタートを切ることができました。

最新の技術を使って建てられた競技場や科学的な審判法などで、東京オリンピックは「造形と科学のオリンピック」と呼ばれて大成功でした。それで、1966年から、この記念すべき1010日が「体育の日」となったのです。この日には各地で、学校や会社などの運動会やいろいろなスポーツ大会、体力測定などが行われます。勉強や仕事のことを忘れて、秋晴れの青空の下で、のびのびと1日を過ごすのは、すばらしいことです。これから先も毎年1010日は快晴の日になるでしょうか。さてみなさんは、自分の健康のために、どんな計画をたてて実行していますか。

 

 

 

19課 かまくら

日本人は祭りが好きです。全国各地にはいろいろな祭りがあります。祭りはもともとは、神を迎えてもてなし、神のお考えをうかがい、神の恵みをいただくというものでした。日本では神は一つではなく、山や木や川などの自然、また、蛇やキッネなどの動物などを、神と呼びました。人々は、これらのものは人間の力より大きな力を持っている神聖なもの、と考えました。昔は、祭りは人々にとって大切なものでしたが、今では生活の中の楽しみとして行われ、中には観光化してしまった祭りもあります。

たくさんの祭りの中から一つ、東北地方の秋田県に伝わる子どものための祭り「かまくら」を紹介しましょう。秋田県の横手市は東北地方でも、とくに雪が多い地方です。2月中ごろにこの町を訪れると、町の中にふしざなものが見られます。それは、道のわきに作られた、まるい雪の家です。あちらこちらに立っている、この小さな家にはたれが住んでいるのでしょうか。中をのぞいてみましょう。この家は、小さいもので三、四人ぐらい、大きいもので、五、六人ぐらい入れます。床にはむしろや毛布がしいてあって、正面の奥には水神様がまつ二ってあります。そこにはろうそくの明かりがついています。へやのまん中には火ばちがあって甘酒を入れたなべがかけてあり、おいしそうなにおいがします。雪の家の中は暖かく住みやすそうです。干のかわいらしい家の主人は子どもたちなのです。雪の家は「かまくら」と呼ばれています。

214日になると、子どもたちは雪をたくさんつんでかまくらを作ります。15日の朝、子どもたちはかまくらの前で火をたきながら鳥追いの歌を歌います。これは田畑に作物を食べにきた鳥(スズメやカラス)を追う歌です。それからごちそうを用意して、道を通る人に「どうぞおあがりになってください」「甘酒をめしあがってください」とよびかけます。お客さんが中に入ると「よくおいでくださいました。さあ、たくさんめしあがってください」と言って、ごちそうをすすめます。

こうしてお客さんと楽しく話をしたり歌を歌ったりして、暗い冬の二、三日を過ごします。大人たちもお客さんになってかまくらを訪問し、おみやげにもちやさい銭を持って来ます。夜になると、ろうそくの灯で明るくなったかまくらが、暗やみの中に浮かびあがります。点々と続くまるい小さな雪の家。その中では子どもたちがほおを赤くして歌を歌ったりゲームを楽しんだりしています。それはまるでメルヘンの世界を見ているような美しさです。

400年以上の歴史があるかまくらは、冬の長いこの地方の子供たちにとって、大変楽しい祭りです。

 

 

 

20課 すもう見物

すもうは、日本で古くから行われている、日本の代表的なスポーツです。野球と同じくらい人気があります。直径5メートルほどの円い土俵の中で、二人の力士が技を競います。力士は髪を長くのばして、「まげ」と回乎ばれるヘア・スタイをしています。はだかで腰に「まわし」をしめます。試合の進行と審判をする「行司」も昔からのきれいな着物をきていま寺。このように、すもうは伝統的な独特のスタイルと力士のりっぱな体格と力強さなどで、見て楽しいスポーツです。

二人の力士が、土俵の上で押したり、突いたり、組み合って、勝負をします。土俵の中で、足の裏以外の体の部分が、先に土につくか、または、土俵の外に出ると負けです。すもうには70種類の技(勝つ方法)があります。また、すもうには10のランクがあって、最高が「横綱」です。それから大関・関脇・小結・前頭と続いて、この五つは幕内と口乎ばれます。この下には十両や幕下があります。

すもうの試合は「場所」と呼ばれ、年に6回、定期的にあります。1月、5月、9月は東京で、3月は大阪、7月は名古屋、11月は福岡で行われます。

東京場所は、両国の「国技館」で行われます。国技館は、1984年に完成した近代的な建物です。およそ1/1千人の人が見物できます。土俵とその真上の屋根形の設備は電動式で、それぞれが上と下にしまわれますから、他のスポーッや音楽会など多目的に使用できます。

さて、わたしたち留学生は日本文化の勉強にすもう見物に行きました。朝の授業が始まる前に当日券を買い、クラスが3時に終わってすぐ、急いで両国へ行きました。国技館の入口にはカラフルなのぼり(細長い旗)が何本も立ち並んでいました。4時からの横綱の土俵入りに間に合いました。どうどうとりっぱな体の横綱たちが入って来て、土俵の上で見せた伝統的なショウはまるで絵のようでした。そして試合が始まりました。呼び出しのあと、次々に出てきた力士たちは、ムラサキ、ミドリ、オレンジ、エンジなどいろいろな色のまわしをしめていました。試合は二人が向かい合って行司の指示で取り組みます。何度もしきり直して、やっと試合が始まったと思ったとたんに、終わってしまう試合もあります。たおれそうになってまた続く試合もあって、ハラハラします。力士たちは試合前にパッと塩をまいて、土俵を清めます。塩はきずのくすりにもなるそうです。1日に30キログラムもの塩が使われるそうです。

広告をする会社がある試合では、勝った力士は「けんしょう金」をもらいます。1回の試合にたくさんの会社からけんしょう金が出ることもあります。人気の高い力士の試合には5社から10社くらいのスポンサニがつきます。力士はとても礼儀工巨しくて、試含の前にも後にもおじぎをします。試合が全部終わると、最後に弓を持った力士が弓をぐるぐるまわしました。スポーツではなくて、おどりの舞台みたいでした。

帰りは1万人の人で出口も駅もこみました。みんな手に大きなおみやげ袋をさげていました。やぐらの上では、にぎやかなたいこの音がきこえました。とても楽しかったので、また早物したいと思いました。

 

 

21課 力士をめざす留学生

たくさんのスポーッの中で、すもうは一番日本的・伝統的スポーッです。しかしこの世界にも外国の人たちが増えてきました。たとえば高見山、小錦、曙はハワイ生まれの力士です。この中で一番先輩の高見山は、もう引退して後輩の指導をしています。あとの二人は現役で、がんばっています。

さて、中国からのすもう界入りは、上海から来たハンさんが初めてです。それで、新聞にも写真入りで大きく紹介されました。ハンさんは、日本語学校の留学生です。学生時代から、バスケットボールの選手として活躍していたスポーッマンです。ハンさんのお姉さんも、今、日本で活躍している有名な卓球の選手です。このハンさんが、テレビで、すもうを見て、たいへんきょうみを持ちました。若松親方(元大関の朝潮。両国で若松部屋を開いて弟子を指導している人)にぐうぜん会い、おねがいして、弟子になりました。ハンさんは、身長が186センチで体重が91キロのりっぱな体格です(すもうの入門の資格は身長173センチ・体重75キ回以上です)

199011月の九州場所で新弟子検査を受けました。それからは若松部屋に住んで、力士の訓練を受けています。弟子入り直後は、すもう学校にも通ったそうです。午前中はすもうのれんしゅうをして、午後は日本語学校へ通います、髪をのばし始め、きものを着てげたをはいて学校へ来るハンさんは、急に一まわり大きく見えて、もうりっぱな「力士の卵」です。さてそのハンさんにインタビューをしてみました。

Q:ハンさん、すもう部屋の生活はいかがですか。1日のスケジュールはどうです

か。

ハン:場所のある時は朝7時に起きて、9時半までけいこをして、10時半に朝食を食べて、午後からは自由です。それで日本語を勉強しています。夕食は6時に食べます。

Q:では場所のない時は?

ハン:6時半に起きて11時半までけいこして、朝食は昼の12時に食べます。午後は同じです。

Q:部屋には何人ぐらい弟子がいますか。そうじやせんたくは?

ハン:10人がいっしょに生活しています。部屋のそうじはわたしが一人でします。せんたくは各自がします。

Q:すもう部屋での名前は?

ハン:「海宝」と言います

Q:ハンさんはバスケットボールの選手として活躍していたそうですが、ハンさんにとって、すもうはどんなスポーッですか。

ハン:すもうはおもしろいスポーッだと思います。

Q:すもうの世界は実力の世界で大変にきびしいと言います。それだけではなく、日本人の習慣に慣れることも大変だと思いますが、いかがですか。

ハン:わたしは体も大きいですし、やる気も十分あります、がんばれると思います。

ハン:さんは大きな体で礼儀正しく元気に答えてくれました。これからのハンさんの活躍を期待したいと思いまナ。

 

 

22課 駅の売店で

わたしは駅に着いて、電車に乗る前に電話をかけようと思い、財布を出しました。ところが、10円玉がありません。わたしは売店へ急いで行って、

「すみません。テレホンカード、ありませんか」とたずねました。

「あるよ。いくらの」と店の人が言いました。わたしは思わず店の人の顔を見ました。その人は若い男性で、明るい感じの人でした。

500円のがほしいんですが」「ないよ。1000円のだけだ」「じゃ、1000円のをください」

店の人はわたしのほうにテレホンカードをだまってさし出しました。わたしは1000円札を出しながら、

「どうもありがとう」

と言おうとしましたが、何だか変な気がして、

「どうも」

と言って、テレホンカードを受け取りました。

また別の日、中年の女性が、員に、

「あのう、ちょっとおたずねいたしますが、東京駅に行くには何番線の電車に乗ったらよろしいのでしょうか」

と聞いているのを見ました。駅員が、

6番線」

答えると、その女性は、

「ごていねいにどうもありがとうございます」

と言って、おじぎをしました。わたしはいったい何がごていねいなのだろうか、と考えてしまいました。

普通、知らない人と話す時には、「~です」「~ます」のていねい体を使ったり、敬語を使ったりします。それに対して、相手の人も同じようにていねい体や敬語で答えるのが普通です。そして、店の人と客が話す時には、店の人のほうが客よりもていねいなことばを使うことが多いようです。

しかし、そうではない場合もあります。敬語を使って語しかけても普通体で答えが返ってきたりします。そんな時、あなたなら、どうしますか。相手の人に合わせてあなたもことばを変えますか。

わたしたちは、普通体は友達同士や家族の中など親しい人たちの間で使うと、勉強しました。ですから、皆さんが駅員や店の人などと話す時には、ていねい体を使ったほうがいいのです。いつも相手の人と同じレベルのことばを使わなければならない、ということはないのです。そして、駅員や店の人も本当はていねい体を使うべきなのです。

 

 

 

23課 日本語のあいまいさ

電車の中で二人の学生が話しています。

男子学生「あした、映画行かない」

女子学生「あしたは、ちょっと……」

この会話を聞いて、あなたは、女子学生は映画へ行くと思いますか、行かないと思いますか。「あしたは、ちょっと……」のあとには、どんなことばが続くと思いますか。「あしたは、ちょっと忙しくて行けない」「あしたは、ちょっとだめだけど、あさってなら行ける」など、いろいろ考えられます。この返事だけでは、はっきりわかり幸せん。ところが、男子学生は「そう、残念だね。また今度いっしょに行こうね」と言いました。女子学生は、映画に行けない、と断っていたのです。

日本語では「できません」や「だめです」などの否定のことばをなるべく使わないようにします。自分のほうからはっきり断らなくても、相手の人が自分の気持ちをわかってくれるようにします。それは相手の人との親しい関係をこわさないようにとか、相手6人を傷っけないようにするため、とか言われています。それは「けっこうです」ということばの使い方を見てもわかります。

たとえば、訪問した家で、その家の人がお茶を出してくれまた。

「お茶をもういっぱい、いかがですか」

「けっこうです(もういっぱいいただきます)

「お茶をもういっぱい、いかがですか」

「もうけっこうです(ほしくないです)

このように同じ「けっこうです」が、反対の二つの意味を表すのです。日本人でもどちらの意味か、迷うことがあります。断る時には手ぶりや顔の表情でもはっきり断っていることを表したほうがいいでしょう。そのほかに「いいです」も、こういう使い方をします。

店員「お客さま、青いネクタイになさいますか。赤いネクタイになさいますか」

客「そうですねえ。赤いのはいいです。青いのでいいです」

さて、このお客さんは、赤いネクタイと、青いネクタイと、どちらのネクタイをえらんだのでしょうか。

 

 

24課 日本のロボット

現在、日本は世界一のロボット王国だと言われています。ロボットの研究・開発・使用がとてもさかんだからです。ロボットの研究をするために日本に来て、日本語の勉強を始めた学生もいます。

さて、ロボットということばが使われ始めたのは、20世紀に入ってからだそうです。けれども、もっと昔から機械で動く自動人形はありました。例えば、日本では17世紀の後半、1662年に大阪で作られた「からくり人形」が最古だそうです。この人形を使った芝居が行われていました。その後、「茶くみ人形」や、神社で「おみくじ」を運んでくる人形など、いろいろな自動人形が作られ、珍しがられました。これらの人形は、みんな時計の技術を応用して、作られたそうです。昔のロボットは、人間にそっくりな形で機械らしくありませんでした。ですから、とても親しみやすく、子どもにもおとなにも人気がありました。

最近のロボットは、最新の知識と技術を使って作られ、実用化されています。大企業や中小企業のいろいろな分野で使われています。現在はもうロボットの助けなしでは、日本の会社や工場は仕事を続けていけないほどです。今は人手不足なので、ロボットを使っても、失業する人はあまりいません。その上、危ない仕事や、夜の仕事、人の行けない所(例えば海の底)や長時間の単純労働などをロボットがしてくれるので、大助かりです。このごろのロボットは、いろいろな種類と形があります。とても変わっていて面白いロボットもあります。工場用だけでなく、レストランでウエイターをしたり、そうじをしたり、似顔絵を書いたり、盲導犬の代わりをしたり、おすしをにぎったりなど、もう人間がまけてしまいそうです。

手足を使って仕事をするだけでなく、人工知能を働かせたり、音声やことばをある程度理解するロボットもあります。これからも、どんどん新しい、すばらしいロボットが生まれてくるでしょう。

工場では、無人化をめざすところもあります。これからは、日本ばかりでなく、世界中で、ロボットのない生活は考えられなくなるでしょう。ロボットの日本語の先生やロボットの話し友達も出てくるかも知れませんね。皆さんはどう思いますか。

 

 

 

25課 温泉と火山

ジョン:日本に来ておどろいたのは、日本人の温泉好きだよ。テレビでもしょっちゅう、温泉を紹介する番組があるし。

はる子:そうね。日本にはそれだけ温泉の数も多いということなのよ。日本全国、温泉のない所はない、と言ってもいいぐらい、温泉はどこにでもあるわ。

ジョン:どうして日本は、こんなに温泉が多いんだろう。

はる子:それは「火山」と関係があるのよ。日本には山が多いでしょ。北から南まで火山が列のように並んでいて、温泉はこの火山の列にそってわき出しているの。

ジョン:温泉の種類もずいぶんたくさんあるね。

はる子:いろんな温泉があって、それそれ効果がちがうのよ。胃腸の病気にきく温泉とか、高血圧にきく温泉とか……。そうそう、美人になる温泉もあって、女の人に人気があるのよ。

ジョン:本当?じゃあ、頭の良くなる温泉もあるかなあ。

 

 

日本の山の多くは火山のふん火でできました。地下の深いところにある、どろどろにとけた高温のマグマが地表にふき出してきて、いろいろな形の山を作りました。そのほかにも火山の活動によって、島ができたり、湖ができたりしています。日本の景色は変化があって美しい、と言われていますが、それは火山の活動の持かげです。たとえば、北海道の摩周湖は、山の上にある美しい湖として有名ですが、この湖は火口の土地が下におちこんで、くぼんだところに水がたまってできたものです。これをカルデラ湖と言います。また、冨士五湖は、火山がふん火した時のよう岩で、谷や川がせきとめられてできた湖です。

火山が列のように並んでいるものを、火山帯と言います。温泉はこの火山帯にわき出しています。温泉はお湯の中にふくまれている化学成分によって、ふつう11種類に分けられています。この化学成分を利用して、昔から温泉は病気の治療にもさかんに使われてきました。美しい景色をながめ、温泉に入ってのんびりとしていると、自然に恵まれた日本のすばらしさが、だれでも感じられるでしょう。

 

26課 狭くて広い和室

 

 

日本は狭くて、土地が狭いので、小さい住まいがふつうです。たいていの日本の家には、洋間と和室があります。洋間が好きな人もいるし和室の方が住みやすいという人もいます。世代と好みによります。

同じ広さの洋間と和室を比べてみると、和室の方がいろいろな使い方ができるので、便利です。洋間はテーブルやソファー、ベッドなどの家具が場所をとるので、狭い部屋が、ますます狭くなります。

けれども和室では、ベッドの代わりにふとん、いすの代わりにざぶとんを使います。テーブルも短い足の、低いテーブルを使います。そして、ふとんやざぶとんは、押入れにしまいますから、和室は広く、いういろに使えて大変便利です。一つの和室が、食堂・居間・客間・書さい・寝室などになります。たたみにすわるので、天じょうが高く感じられます。低いテーブルも簡単に動かしたり、片づけたりできます。洋間にいすが三つしかない時は、3人しかすわれませんが、和室では5人でも10人でもすわれます。家中が集まらたり、お客さんがたくさん来ても大丈夫です。和室が二つか三つある時は、しょうじやふすまをはずせば、すぐに2倍、3倍の大きな部屋になります。このように和室は、狭くても、即座に、広くなったり、いろいろな部屋に変わっ乍りするので、洋間より便利で経済的です。

最近は洋間でも小さい個室が三つあるより、大きな一部屋を.多目的に家中で使う方が便利だと考える人が増えています。広くて自由に使える和室にいつも家族が集まれば、家族の交流が自然に多くなって、すばらしいと思います。狭くて広い「変身上手」な和室は狭い日本にピッタリです。

 

 

27課 アメリカ村

和歌山県の三尾という村は、アメリカ村と呼ばれています。人口は1000人たらずの小さな村です。のうぎょうとぎょぎょうの両方をして生活しています。かつて、この村の人口の半分以上の人が、アメリカやカナダに移住しました。その後、日本へ帰ってきて、今でもこの村で元気に生活している人が、200人ぐ

らい、いるそうです。また、現在カナダに住んでいる日本人3万人のうち、およそ5000人は、この村から移住した人と、その子孫だそうです。

この村の人々が、海外移住の決心をした最大の理由は、貧しさでした。三方を山にかこまれ、しお風が吹くこの土地は、のうぎょうには、あまり適していません。その上、明治の中ごろからは、ぎょぎょうも、あまりできなくなったので、生活はとても苦しかったのです。それで移民になって海外へ働きに行きました。けれども、ずっと海外に住んで、もう日本に帰らないという決心をした人は少ないらしいです。大部分の人々は、「海外で、いっしょうけんめいに働いて、国の家族にお金を送りたい、そして、お金がたまったら日木へ帰りたい」と思っていました。それで、これらの人々はきんべんに働き、現地の給料もかなり高かったので、多くの人々が多少の財産をつくることができました。定住する人もいましたが、明治の終わりごろから昭和の初めに、おおぜいの人が帰国しました。また、せんそうのために帰国した人も、たくさんいます。

それでこの村には、明治、大正時代から、カナダ、アメリカ風のモダンな家が、あちらこちらに建てられました。また、毎日の会語には、今でも自然に英語がまじります。たとえば「わたしはキャナダでは、フィッシャーマンでした。サーモンをとっていましたよ」と言うおじいさんや、洋服を着た美人の写真を見せながら、「これは、わたしのグランマーよ」などと言うおばあさんもいます。

今でも、この村から、カナダやアメリカヘ働きに行ったり、帰ってきたりする人が多く、いろいろな体験談が聞けます。成功した人々にも、長い海外生活には楽しいことばかりではなく、苦しいことやかなしいことも、たくさんあったと思います。

この村にあるアメリカ村しりょうかんに行くと、この村の移民の歴史について、知ることができます。

 

 

28課 「きつねうどん」と「たぬきそば」

「あなたは、きつねとたぬきと、どちらの方が、いいですか」「そうですねえ、きつねもたぬきも好きですが、今日はきつねにします」これは動物について話している会話ではありません。では、どこで、何の話をしているのか分かりますか。おそば屋さんで、そばやうどんの注文をしている会話です。きつねもたぬきもそばやうどんの種類です。

皆さんはそばとうどんの違いが分かりますか。そばは少し黒い色で細くて、かたいですが、うどんは白くて、太くて、やわらかいです。きつねはしょうゆとさとうで、甘くにた三角形の油あげをうどんやそばの上にのせた物です(油あげはうすく切ったとうふを、油であげたものです)

動物のキツネは油あげが大好きだと言われているので、この名前がつけられました。たぬきは天ぶらのあげかすをそばやうどんの上にのせた物です(天ぷらをあげた時に、天ぷらなべの中に残ったものをあげかすといいます)。これは天ぶらのたね(天ぷらの中に、入っている

えびや魚や野莱など)をぬいたころも(てんぷらの外側の部分)だけという意味です。「たねをぬいた」を短くすると「たねのき」になり、これがもっと短くなって、「たぬき」呼ばれているらしいです。

最近、都会では、動物のキツネやタヌキを、あまり見かけません。地方の山や村へ行っても、めったに見ることができません。キツネはきれいな女の人にすがたを変えたり、木の葉をお金に変えたりして、人をだますのが上手だと信じられています。タヌキは寝たふりが、得意なので、寝たふりをすることを「たぬきねいり」と言います。少し細くて、逆三角形の顔のキツネと丸い顔のタヌキとは対照的で、昔から日本人の話の中によく出てきます。

ところで、あなたの顔はキツネ型ですか、それともタヌキ型ですか。あなたは何かにすがたを変えることができますか。それとも、宿題を忘れたときに「たぬきねいり」が上手にできますか。今度おそば屋さんへ行ったら、メニューにたぬきそばやきつねうどんがあるかどうか見てください。

 

 

29課 ケープコッドのクリスマス

今から十数年前、私はアメリカ中西部のシカゴの近くに住んでいました。親しい友人は東部のケンブリッジ(ボストンから地下鉄で10分ぐらい、ハーバード大学があ名町)に住んでいました。それで夏休みやクリスマス休みにはニューヨークやボストンで会って、いっしょに見物したり、ブロードウェーの芝居を見たり、ドライブをしたりしたものでした。

ある年のクリスマス休みのことです。もう一人の友人が新しいスポーッカーを買ったので、それに乗ってシカゴからケンブリッジヘ行きました。クリスマス当日は、そこからケープコッド(マサチューセッツ州南東部の岬)へ、日帰りドライブをすることにしました。ケープコッドでは今でもメイフラワー号(1620年にアメリカヘ移住した人たちが乗って来た船)が見物できるし、新せんな貝や魚りようりが食べられるので、とても楽しみにしていました。車を満タンにして、そのガソリンがちょうどなくなるころ、(スポーツカーは、ガソリンをたくさん使う)ケープコッドに着きました。思っていたと持りの、静かで、きれいな所で、海辺がまっ白に見えるほど、カモメがたくさんいました。

まずガソリンを入れてから見物するつもりで、ガソリンスタンドをさがしたのですが、クリスマスなので、町中の店は全部しまっていて、人影も見えませんでした。ガソリンがなくては見物もできないし、帰ることもできません。本当に困って、人がいるところをさがすと、ホテルが見えました。うれしくなって、そこに入って、昼食を注文してからたずねました。「ガソリンスタンドの人はいませんか」。すると、そこにいたおおぜいの人たちは「スタンドのジョンがどこにいるかさがそう」と言いながら出て行って、そのジョンさんをさがしてきてくれました。ジョンさんはすぐにスタンドをあけて、ガソリンを満タンにしてくれたので、ホットしました。

それからやっとクリスマス気分になって見物を始めることにしました。みんなのしんせつに心からお礼を言って昼食代を払おうとすると、ホテルの人たちが「あなた方はここへ昼食を食べに来たのではなくて、ガソリンをさがしに来たのですから、昼食代はいりません」と言ったので、びっくりしました。「いいえ、おなかもすいていたのですから、払わせてください」と私が言うと、「今日はクリスマスの日です。1年に1回ぐらいは知らない人にもプレゼントをして喜ばせたいのです。メリー・クリスマス!」と言いました。それでわたしたちも「本当にいろいろありがとうございました。メリー・クリスマス!」と言ってホテルを出ました。何年たっても忘れられない心があたたまるクリスマスでした。

 

 

30課 こぶとりじいさん

昔、ある所に、ほほに大きなこぶがある、きこりのおじいさんがいました。ある日、いつものように山の中で、木を切っていると、急に空がくもって、大粒の雨がザーザーと降り出しました。ピカピカといなずまがひかって、ゴロゴロとかみなりもなり出しました。仕方なく、おじいさんは、近くの古い小屋の中で雨やどりする(雨がやむまで、待つ)ことにしました。けれども疲れていたのでねてしまいました。

外でガヤガヤとおおぜいの人声がしたので目をさまし、外を見て、びっくりしました。赤おにや青おにが集まって、にぎやかに、飲んだり、うたったり、おどったりしていました。おじいさんは、戸のすき間から、ふるえながら見ていました。しかし歌やおどりが、とても楽しそうなので、こわさを忘れて、おにたちのわの中に、おどり出ました。そして、むちゅうでおどりました。

おにたちは、初めはびっくりしましたが、とてもおどりが上手なので、大よろこびで拍手をしました。持にのかしらは「あしたの晩もぜひ来ておどってくれ。来ないと困るから、こぶをあずかっておこう」と言って、おじいさんのこぶをもぎとりました。おじいさんは「あっ!」とおどろきましたが、ぜんぜんいたくありませんし、かおがかるくなって大よろこびで、家へ帰りました。

さて、この働き者のおじいさんの家のとなりに、もう一人、いじわるなおじいさんがいました。このおじいさんも、反対のほほに大きなこぶがありました。いじわるじいさんは、おにの話を聞くと、うらやましいと思いました。それで「わたしも、おににこぶを取ってもらおう」と言って、いそいで、山へ出かけました。

となりのおじいさんは、雨が降っていないけれど、小屋の中にかくれて待ちました。おにたちのえん会が始まりました。となりのおじいさんは、こわくてふるえていましたが、「さあ、今だ!」とさけんで、外へとび出しました。そして、おどり方がぜんぜんわかりませんので、でたらめにおどりました。とても下手で、へんなおどりでした。

それでおにたちはまたびっくりしました。おにたちは「ゆうべのおどりはとてもおもしろかったけど、今夜のおどりはぜんぜんおもしろくない。こんな下手なおどりは見たくない。」と言いました、

おにのかしらも「ゆうべのこぶはかえすから、もう帰れ帰れ!」とおこった声でさけんで、となりのおじいさんのほほにこぶを投げました。大きなこぶが二つになってしまったおじいさんは泣きながら、家に帰りました。

 

 

 

[要約]

昔、ある所に働き者のおじいさんがいました。このおじいさんは、ほほに大きなこぶがありました。ある日、このおじいさんが、山で木を切っていると、急に大雨が降って来ました。仕方なく近くの小屋で雨やどりをしているうちに、疲れて寝てしまいました。外がさわがしいので目をさますと、たくさんの赤おにや青おにが飲んだりおどったりしていました。おどりが大好きなおじいさんは、こわさを忘れてとび出しておどりました。おにのからは「うまいぞ!うまいぞ!あしたの晩もここへ来ておどってくれ!それまでそのこぶをあずかっておくぞ!」と言ってこぶをもぎとりました。おじいさんは大よろこびで家にリ帰りました。

となりのおじいさんも反対のほほにこぶがありました。この話をきいて、となりのおじいさんも山へ行っておにの前でおどりました。けれども、おにに「下手なおどりだ!帰れ帰れ!こぶはかえすぞ!」と、いわれて、もう一つのこぶをつけられ泣きながら家に帰りました。

 

31課 一寸法師

昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。年をとって子どもがいないので、二人は毎日、神様にお祈りをしました。ある日やっと、子どもが生まれました。手の平にのるほど小さい赤ちゃんでしたが、とても元気に泣きました。二人は一寸法師と名づけて大事に育てました。一寸法師はじょうぶなかしこい子どもになりましたが、せいは大きくなりません。「やあい、チビ、チビ」と村の子にからかわれるので、一寸法師は考えました。「都へ行って一生けんめい勉強してえらい人になろう。そうすれば皆にばかにされないだろう」。一寸法師はその決心をおじいさんと持ばあさんに話しました。二人は一寸法師が旅に出る時に何が欲しいかききました。一寸法師は「おわんとはしと針を一本ください。おわんをふねに、はしをかいに、針をかたなにして旅をします」と言いました。

一寸法師は川におわんのふねをうかべて、はしのかいでこいで行きました。夜は橋の下におわんをとめて眠りました。、都につくとふねを降りました。しばらく歩くと大臣のりっぱな家がありました。一寸法師はどこか大きな家で働きながら勉強しようと思っていたので、大臣の家へ入って行って、たのみました。一寸法師は体は小さいけれど元気いっぱいですから大臣に気に入られ、家においてもらうことになりました。大臣にはきれいなお姫様がいましたが、お姫様も一寸法師が大変気に入り、自分の召使いにしました。いつも一寸法師を自分のそばにおいて、身の回りのことをさせました。それで、一寸法師はお姫様が家にいる時も外に行く時もいつも一緒でした。

ある日、お姫様がお寺にお参りに行った帰りにおにが出てきて、お姫様をさらおうとしました。一寸法師は針のかたなでおにの体をチクリチクリさしました。おにはおこって一寸法師をのみこみました。しかし一寸法師がおにの口の中を針のかたなでさしたので、おにはなみだを流して一寸法師を口からはき出しました。そして、逃げて行ったので、お姫様は大変よろこびました。おにが逃げた後に「打ち出のこづち」が落ちていました。これをふると欲しいものはなんでも出てくるし、夢が実現するのです。一寸法師はみんなのようにせいが大きくなるようにお願いをしました。お姫様が打ち出のこづちをふると、一寸法師はずんずん大きくなってりっぱな若者になりました。

そして、一寸法師はお姫様をお嫁さんにして、おじいさん、おばあさんのところへ帰って、みんなでしあわせに暮らしました。

 

 

 

 

要約

昔々、子どもがいない年よりの夫婦がいました。神様に祈って子どもが生まれましたが、とても小さくて一寸法師と名づけました。かしこい子どもでしたが、体が小さく皆にばかにされました。そこで勉強してえらい人になるため都へ行って大臣の家ではたらきました。大臣のお姫様の召使いをしていましたが、ある日、おににさらわれそうになったお姫様を、おにとたたかって助けました。おにの落としていった「打ち出のこづち」のおかげで一寸法師は体が犬きくなり、そしてお姫様と結婚してしあわせになりました。